女として大阪で暮らす。(朝鮮婆ではないよ)

自然を愛する人です。
そして動物を愛する人です。
植物も大好きです。
ニコ生すき、日本の糞ばばですよ。

12月12日のひみつ。

2011-11-01 | 日記
私の大事な日です。そして、わすれられない日なんです。
結婚記念日です。

昭和56年12月12日の日に、一緒になってそののち20年後に死別したんです。
今でも、12という数字がすきで、わすれられません。

それでも、死別なんて言うと好きで好きでそれで死に別れたと思うでしょ。
でも、そのみじかいなかでも、喧嘩したり、きらいになったり、むこうもそうでしょう。
死別しなければ、たぶん、今でも喧嘩をして一緒にいたでしょうね。

みんなにも、好きな数字があると思うのです。
この数字には、ほかに意味があるとはおもうのですが、縁のある数字です。

今度、なんかくじでもかうときでも、この数字で買ってみようかと思ったりです。
人を、すきだったとか、そういうかんじがわかるのが、くやしいけど、思い出の中なんです。

いつも、いてもあたりまえすぎて、嫌いになるほうがおおかったのに。

今いる大阪は、旦那様も、わたしもだいすきなまちでした。
いつも、ドキドキする街。

いまでも、道頓堀を一人で歩いてる気がしませんね。
どこかの路地にかくれているようで、いじわるなあなたが、嫌いになります。

大阪が好きなのに、ひとりでいきれなんて、
無理、無理、それなのに、大好きな大阪が、きらいになりそうです。

彼方にあえなくなって、12年目も、ちゃんとあなたがかえってきていいように、
シーツをきれいにせんたくして、ちゃんと化粧してまってます。

でも、ゆうれいでもきてくれないから、ことしの、12月12日に、あいにきてください。

道頓堀のあの場所で、ひとりたたずむ、白髪の少しデブのおばちゃんが、わたしです。

さがしてください。がっかりして、天国に帰らないでね?!

「ジョゼと虎と魚たち」 を見て感じたこと。

2011-11-01 | 日記
先天的に足の悪い女の子にひかれていく、大学生の恋愛ドラマです。
最終的には、男が逃げて、わかれてしまうのですが、ジョゼの強さと、身の引き際の良さを。

こんな女の子って、いないぐらい、悲しみを受け止めて、別れてゆくふたりです。
さて、どうして別れたのかと考えてみたら、現代的には、こんな恋愛はなさそうだし、ジョゼのような、強い女の子もなさそうなので、結婚するよりも、今の時代にあっていると思った。

暗い生活の女の子にあい、ひかれてゆくけれども、一緒にはならない。
すべてを、みたあとに、男が結局にげてゆく、現代社会にはこんな話はありそうです。

珍しい女の子にひかれたものの、一緒になるには荷が重すぎるし、女の子のほうもやはり強い人だから、運命と割り切り、最後は、一人で強く生きていく姿には、すごく感動した。

わかれもさっぱり、恋愛中はべったりで、素敵なドラマでした。

いろんな恋愛もあるけど、結ばれない恋もたくさんあります。

だから、いろいろあった、若い時はたのしかったとおもいます。

あなたもみてください。なんとなくものがなしくも、強い女の子にひかれていきますね。
そして、すべて前向きに、強く生きてゆくラストが素敵なんですね。

猫がなぜ好きなのか?(忍の100の話)

2011-11-01 | 日記
はっきりいって、きまぐれ、そっけない、ゆうことをきない、
まるで、おんなのこのようだ。

でも、ちゃんとあまえてくれる、寒い時は、あしにすりよりごろごろして、
ふとんにのり、まえあしで、もみもみして、またごろごろする。

のみさえとれば、ぬくいし、ふゆはゆたんぽがわりになる。
人間になつかない、でも、人間に甘える。

勝手にでかけたり、勝手にいなくなる。
でも、かえってくる。

猫は、ひとにこびない、すきいなときに、あまえるだけで、
しかし、あの眼のかわいい感じと、おひげと、せまいひたいが、
なかなか、あいきょうがある、たまに、がりがりしたり、
ふーと、おこるのも、いい。

わたしは、犬よりもねこがすき、
わがままで、ほんとうに、すこしいじわるで、それでもみためがかわいいので、
ゆるせてしまう。

美しいにんげんのようで、ねこもおもう、このおばさんにはなんかもらおうと、
ごろごろしてくるのは、なにかをねらって、甘えたいときだけ。

おばさんは、それでもかわいいので、なでなでしてやる。
しあわせに猫が、生きる下町で、こころやすらぐときに、猫をみつめるわたしです。