私は、あるきっかけで、昔住んでいたマンションにさみしくて、つらくて、一人で、いれなくなり、帰りたくない日々がつづいた。
暗闇の中で、なにかにおしつぶされそうで、わびしい一人がつらかった。
町に出たら、誰かしら知らない人と話ができたし、仕事もする気もないので、貯金をつかいはたしたら、ホームレスになろうと思って、その前に練習して、なってみようと、それから、マンションに帰らない日々が3か月ほどつづいた。
家賃と光熱費だけはおさめていたので、空き家にはならなかったが、一人でその部屋には、いられないほど、こころがさびしかったときがあった。
しかたなく、外に、寝てみようと考えた、危なくないところそれは駅であった。
天王寺駅の前は、みんながとうるし、まったくダンボール生活には最適だった。
しかし、何かチケットの並ぶのと勘違いされたりした。
そのうちに、こじきといわれたり、まあさむいときだったので、そのまま死んでもいいとも思っていた。帰るところはちゃんとあったので、本当のホームレスとは言い難いが、経験したかった。もちろん、そこでのできごとは、あまりにも新鮮で、おもしろく、つらくはなかった。
お金がなくても、生きていく仕組みを、先輩たちにおしえてもらった。
どこの教会に、何曜日に行けば、ごはんにありつけるとか、そうたべるのにはこまらなかった。
女を捨てることができたし、がたいがでかいので、だれもよりつかないし、まあ安心して、そんな体験をした。雪の降る日は、つらいよりも、楽しかった。子供のキャンプのようで、子供じみた経験をしたと思う。
本気で心配してくれた人もいた。狭いマンションでも帰りなさいといわれたけど。
あきるまで、この経験をしなくては、お金がなくても、どうやっていきていくのか、私は、しりたかったし、つらくはなかった。
もちろん、女の武器はつかわない、体を張るようなことはなかった。気持ちは強くはなった。
生きていくためには、どんなことでもできるけど、唯一犯罪だけはしなかった。
でも、路上を占拠したのは、悪いことをしたと今では少しだけ反省している。
人生は何でも、経験だけど、これは役に立つことかというと、わからない。
苦労は、その時にはわからないけど、それなりに苦しんだ時期にうちにいることがつらいときがあった。
でも、さびしいので人が恋しい。そんなわけで、そとにいたのである。
年齢も、今よりは若かったので、健康面では心配はなかった。
しかし、生まれついての変わり者、こじきになるなどは、恥でもなかった。
よほど今の自分がはずかしい、それは、ホームレスの人々が自分の意志と力で、生き抜いているのに、じぶんには、もうできないし、たぶん風邪をこじらせて、死んでしまうぐらい体力もないし、不眠症でねむれないから。
本当に大阪は、やさしいまちでもある。
困った人には、パンぐらいはくれる。
だから、私はこの町に集まる廃人たちのきもちはよくわかる。
やさしいまちだから、私のような人間も生かされた。
ホームレスは、一部は本当に、自由がすきでしているひともいるし。
気楽さと、仲間が好きでしているひともいる。
案外不幸でもない、これが私が経験した、結論なのです。
百聞は一見にしかず。あなたも、いろんな経験をしてみると実際とは違うことを知るのです。
暗闇の中で、なにかにおしつぶされそうで、わびしい一人がつらかった。
町に出たら、誰かしら知らない人と話ができたし、仕事もする気もないので、貯金をつかいはたしたら、ホームレスになろうと思って、その前に練習して、なってみようと、それから、マンションに帰らない日々が3か月ほどつづいた。
家賃と光熱費だけはおさめていたので、空き家にはならなかったが、一人でその部屋には、いられないほど、こころがさびしかったときがあった。
しかたなく、外に、寝てみようと考えた、危なくないところそれは駅であった。
天王寺駅の前は、みんながとうるし、まったくダンボール生活には最適だった。
しかし、何かチケットの並ぶのと勘違いされたりした。
そのうちに、こじきといわれたり、まあさむいときだったので、そのまま死んでもいいとも思っていた。帰るところはちゃんとあったので、本当のホームレスとは言い難いが、経験したかった。もちろん、そこでのできごとは、あまりにも新鮮で、おもしろく、つらくはなかった。
お金がなくても、生きていく仕組みを、先輩たちにおしえてもらった。
どこの教会に、何曜日に行けば、ごはんにありつけるとか、そうたべるのにはこまらなかった。
女を捨てることができたし、がたいがでかいので、だれもよりつかないし、まあ安心して、そんな体験をした。雪の降る日は、つらいよりも、楽しかった。子供のキャンプのようで、子供じみた経験をしたと思う。
本気で心配してくれた人もいた。狭いマンションでも帰りなさいといわれたけど。
あきるまで、この経験をしなくては、お金がなくても、どうやっていきていくのか、私は、しりたかったし、つらくはなかった。
もちろん、女の武器はつかわない、体を張るようなことはなかった。気持ちは強くはなった。
生きていくためには、どんなことでもできるけど、唯一犯罪だけはしなかった。
でも、路上を占拠したのは、悪いことをしたと今では少しだけ反省している。
人生は何でも、経験だけど、これは役に立つことかというと、わからない。
苦労は、その時にはわからないけど、それなりに苦しんだ時期にうちにいることがつらいときがあった。
でも、さびしいので人が恋しい。そんなわけで、そとにいたのである。
年齢も、今よりは若かったので、健康面では心配はなかった。
しかし、生まれついての変わり者、こじきになるなどは、恥でもなかった。
よほど今の自分がはずかしい、それは、ホームレスの人々が自分の意志と力で、生き抜いているのに、じぶんには、もうできないし、たぶん風邪をこじらせて、死んでしまうぐらい体力もないし、不眠症でねむれないから。
本当に大阪は、やさしいまちでもある。
困った人には、パンぐらいはくれる。
だから、私はこの町に集まる廃人たちのきもちはよくわかる。
やさしいまちだから、私のような人間も生かされた。
ホームレスは、一部は本当に、自由がすきでしているひともいるし。
気楽さと、仲間が好きでしているひともいる。
案外不幸でもない、これが私が経験した、結論なのです。
百聞は一見にしかず。あなたも、いろんな経験をしてみると実際とは違うことを知るのです。