女として大阪で暮らす。(朝鮮婆ではないよ)

自然を愛する人です。
そして動物を愛する人です。
植物も大好きです。
ニコ生すき、日本の糞ばばですよ。

男は変態なのよ?!(SOSの替え歌)ちかんあかん?!

2011-11-08 | 日記
おとこはへんたいなのよ、きをつけなさい。
としごろになったなら、つつしみなさい。

まともな顔していても、こころのなかは、
おんなのあそこばかりそうぞうしてる。

この人だけは、エッチごころがないなんて、
うっかり信じたら、ダメ、ダメ、ダメなのよ。

SEX, SEX,ほらほら拒んでいるわ、今日もまた誰か乙女のピンチ。

男はへんたいなのよ、きをつけなさい。
熟女になったなら、つつしみなさい。
 
年齢は、おじいちゃんでいても、下半身は、
わかさをおもいだし、がんばりだしている。

70代だから、大丈夫なんて、
うっかり、きをゆるしたら、はめ、はめ、はめられる。

SEX、 SEX,ほらほら入れ歯をとばしていうわ、今日もまた、ばあちゃんの秘宝のピンチ。

鬱なんて、平気だよ?!

2011-11-08 | 日記
こころのかぜなんて、いつかなおるんだよ。
みんなが、ひいてもいつか、なおるんだよ。

やさしすぎるあなたがつらいんでしょ。
たまには、ずるしていいかげんにしましょう。

こころが、きれいな人がかかる風邪だから、
処方箋は、たくさんの無駄な時間で心の洗濯をすること。

いやなことも、いいことも、
明るく考えるようになるまで、自分の心と相談すること。

人生は、案外長いし、あんがいおもしろいから、
死んじゃうなんて、もったいないよ。

明日、いいことも、わるいこともおこるかもしれないけど。
いきていたら、いいことも自分に起こるのは必ず、ある。

「がんばれ?!」は禁句だけど、
「とにかく、ねこんでもいいからいきて?!」は必要だ。

わたしは、この鬱にかかり、悩んで苦しんで、結果わかった。
誰でも、鬱になるけれど、風邪と同じようにかかりやすいひともいるし、
すぐに治る人もいる、慢性化したなら、鬱と一緒に暮らしたらいい。

適当に、忘れるようにしたらいつの間にやら、眠れるようになり、
いつのまにやら、すべてを楽天的にかんがえるようになり。

年を取ったら、なおるとおもう。
これも、経験の一つとして、落ち込むだけ落ち込んでみて、
結論は、あとにのばして、生きるのが私です。

鬱とは、たまに、わかれたいけど、
このおかげで、こんなつまらない文句をかいているんだから、
「いいか」って思えるのです。

置いてきぼりの昭和のおばちゃん。

2011-11-08 | 日記
昭和の時代、平成の時代、次はどんな時代なのか?
ついてはいけないが、パソコンで何でもできるから、退屈はしない。

しかし、人の会話しなくても、外出しなくても、買い物しなくても、
金さえあれば、生きていけるこの世の中。

さみしいと感じる、お金は少しはほしいが、くらしていけるだけでいい。
ほしいのは、努力して得る快感なのだ。
私には、今はその努力する意欲がない、やっても無駄という感じ。

世の中では、携帯電話を持っているのがふつうで、わたしはもたない、
もてないからではなく、もって毎日会話をする相手がいないからである。

何回も言うようだが、おばちゃんにあいたがるひとなどいないので、
まして、デブはしかたないが、暇を埋め尽くすことなどできない。

この平成の世の中で、ただ一つ変わらないのは、人間の寿命だ。
100歳までいきるのは、たやすいことではない。
人間には、生きることのできる、時間が限られている。
それが、たとえ無駄なことでも、かぎられている。

子供のころにかんがえた、どうしていきているんだろう、楽しくないし、
お金なんてないし、人よりも貧しいので、それさえも気が付かない自分がいて。
暇な時間にやることなど、子供のころはもっともっとあったのに。

置いてきぼりの、昭和のおばちゃんは、おおさかのおばちゃんにもなれない。
どうしてか、名古屋弁がぬけないので、どこのいなかのひとかといわれるし。

名古屋の景色を、グーグルでみたが、たいしてかわりないし、田舎のまま、
いまは、住所さえいれたら、グーグルで家の写真までわかるし、すべて丸見えの社会。
いいのだろうか?そんなに簡単に、他人の家までまるわかりなのだ。

すこしだけいいたいのは、こんなにも情報化社会なら、どうして、プライバシーまで、
勝手に公開されているのだろう。すべて丸裸の社会で生きるのは、つらい。

たとえ、夫婦でも秘密の一つや二つは、あるんだし、それなのに赤の他人にまで、
プライバシーは、漏れてしまっている。
それを、調べたり、名簿を売る商売があるのだから、昔からすこしはしられるかもしれないが。

私のような、幼稚なものでも情報は拾えるのだ、金さえあれば、名簿業者から買える資料がある。
それも、パソコン一つで見れるもので、高いけど、かさばらないポケットに入ってしまうもので。

何を信じて、何を知らないで生きていっていいのかと思う。

正直にいって、世間しらずのおばちゃんで、旦那の世話だけで終わる人生でよかった。
たまに、酒飲みなので、大変だったが、それは辛抱できた。

いまは、いろいろな社会の矛盾と、格差を調べるだけでいや気がする。
知らないでいいことのほうが、多い。
知ってしまいたくない情報が多い。うそもたくさんある。

昭和の時代はよかった。情報はこれほどまでに簡単に、みることはできなかった。

でも、わたしはながいきしてよかったとおもうときもある。
できないことでも、世界の旅はパソコンでじゅうぶんできる、一見できるのだから、
それに、他人の意見もみることができるし、便利なよのなかだ。

私のような人嫌いな人は、パソコンは絶対にひつようなのだ。
昭和のおばちゃんの必需品なのだ。

新聞の広告も見れるし、もちろん買い物もできるし、顔を見て会話もできる。
なによりも、いいのは、好きな映画も家でただでみることができるのだ。

どんな情報も、たいてい見ることができるこの社会でいきつづけてみたい。
大阪も市長選挙で、だれがなっても、これだけの世の中だから、いい街にしてほしい。

玉出という恐ろしいスーパーのイメージがおおさからしい。
一度、大阪に来た折はみてほしい、ひっかけばしでも看板が出ているド派手な店。