女として大阪で暮らす。(朝鮮婆ではないよ)

自然を愛する人です。
そして動物を愛する人です。
植物も大好きです。
ニコ生すき、日本の糞ばばですよ。

好きな人をあきらめる方法。

2011-11-22 | 日記
大好きな人をあきらめる方法。
とにかく、死んでしまったら、より愛しく思える。

そのひとをあきらめるには、その人に徹底的に嫌われること。
それから、その人が、大好きな人を自分に紹介して、幸せそうにすること。

そんなことで、簡単にあきらめられるのは、本当に大好きな人は、
しあわせになるのが、自分の幸せであると思えるから。

最近、自分が不幸なのは、他人のしあわせをねたむからだとおもうし、
しかし、悲しいのはそんな自分に気が付かないことで。

好きな人を、うしなったひとはどういきたらいいのか?
簡単である。その人が、ひと時でもじぶんのことをすきだったときのように、生きればいいし。

素直な気持ちと、悔しい気持ちとを、ちゃんと整理して生きることで、理性というしょうもない社会のルールでいきてみたら、案外楽かもしれないと思うこと。

好きな人を、あきらめるのは、できないかもしれないが、その人が幸せになるなら、自分が身を引いて、見守るのも大切ではないのか。

大事なのは、相手の幸せを自分のものと思えるようになるのだけど、常識ではなかなかあきらめられないときは、酒でも飲んでくださいとしか言えないですね。

人間として恥ずべきことをした私。

2011-11-22 | 日記
わたしは、大切な人を裏切った。
その人の言うことを聞くのを、逆らったのだ。

信頼関係は崩れていなかったのだが、私がこれ以上醜態をさらすのを、
さけたかった。
その人にもらった命を。大切にしたいから、別れた。

おろかなことで、いやな思いをさせたくないし、けんかもしたくない、
しかし、助けてもらった命を、無駄にしたくないので、つらくても、くるしくても、
いきたい、いきてみる。

彼方のことは、本当に、命の恩人だとおもっています。
このいのちを、もっと、素敵に生きるために、ひとにあいされるために、さよならしました。

ごめんなさい。でも、これでいいのです。
命の炎をけすことなく、生きていける決心がようやくつきましたから。

わたしは、恩をあだで返した人です。
でも、もう人を、恨んだり、にくんだり、ねたんだりするよりも、人をいとおしく思い、
想い人ができるような、余生をつつましくおくりたいのです。

たとえば、尼になるように、ひっそりと、いきたいのです。
想い人が、しんでしまっても、その人がわたしがいきてわらっているときがあれば、
きっと、喜んでくれるはずです。

わたしが、人をいたわり、心優しくできる人間に導いてくれるはずです。
いけないときは、罰をあたえてくれるはずです。

こんな生きる価値さえない人間にできることは、幸せでない人を生きる道へ、みちびくことの、
すこしだけの、みちしるべになることです。

生きるのは、だれにでも、大切な想い人が、心に住んでいるからだと思います。