女として大阪で暮らす。(朝鮮婆ではないよ)

自然を愛する人です。
そして動物を愛する人です。
植物も大好きです。
ニコ生すき、日本の糞ばばですよ。

人情の街でも?!(忍の100の話)

2011-11-12 | 日記
人情の街でも、この町は最近おかしい。
お金持ちは、個々の街にはすまない。

福祉の街としてみんなに知られている。
片道切符でこのまちに、送られてくる人々もいる。

外国からも、この町に来て福祉の世話になっている。
でも、おかしいと思う。

故郷で、福祉の世話になればいいのに、どうしてだろう。
祖国で、福祉の世話になればいいのに、どうしてだろう。

ほんとうにこまったひとがいるのに、インチキな商売もある。
ほんとうに、お金のために引っ越してきた人もいる。

仕事がないのではなく、この町は仕事にありつけるのが少ないのだ。
しかし、食うのにこまらないシステムを、しっているが、そこがいけない。

人情もまちらしいが、もう破綻している。
だから、本当にしっかり、今度の市長にしらべてもらいたい。

祖国に帰る人も、優先的にかえしてあげてほしい。
故郷に帰る人も、もっとふやしてあげてほしい。

この町は、もう無理だ。
これ以上は、無理だ。

せめて、外国籍の人は、その国に帰国してがんばってほしい。

今度の市長にきたいしたいが、さて、どうだろう不安ばかりの街である。

優越感で生きる。(忍の100の話)

2011-11-12 | 日記
ひとは、だれよりも、最低な人間と思っては生きていないらしい?
そう、あの人よりは私は、しあわせとおもって、優越感で生きている。

しかし、ほとんど、人は劣等感でいきているのに。
しあわせなど、ほんのすこししかかんじないのに、不幸はすごく多い人生なのに。

でも、私は、こんな優越感があるのだ。
人と一生つきあわなくても、孤島でも生きていける強さがある。

つまり、孤独にはすごく強いと思う。
劣等感でもあるが、それがこれまでいきてきた、強さだと思う。

名古屋では、そんな孤独感はなかったが、大阪では孤独だった。
しかし、孤独であるがゆえに、たくさんできることもあった。

恥ずかしいこの生活、みっともないすがたをさらすのは、孤独でなくてはできない。
相手がいたら、迷惑をかけるのだから。

これが、強さの秘訣は、守るものが命以外にはないのが私。
命さえおびえる生活から、のがれたのが、今の私。

劣等感でそれを、つよさにしていきることができたのは、
この町で鍛えられた、日本一住みにくいこの町で、きたえられたのだ。

いじめられ、にくしんで、くるしんで、さべつされ、ひとりでいきて、
涙も、かれるほどないて、たおれて、それで、この町で生きた。

日本一住みにくい街だが、そんなまちでいきたのは、すごいとおもう。
昔の私なら、たぶんしんでいたかもしれない、数々の苦痛を乗り越えたつもりだ。

みつともないのも、しかたないことなので、くれぐれもこのみにくいわたしを。
みないでほしい、こどくがだいすきなのだ。

孤独に強いのが、私の一つの長所でもある。見捨ててほしいそれだけの街だから。

私がおばさんになったから捨てた人へ(忍の100の話)

2011-11-12 | 日記
わたしは、たくさんのおとこにすてられた。
まあ、ハゲをバカにする事もできないほど、すごいおばさんになった。

まあ、容姿の劣化と、肥満、その他くそ婆の要素がありすぎる。
かわいいとこなどない、でかい体、顔の不細工さでも、生きているのはそいつが、
のうのうといきているのに、死んでしまったらみとめたことになる。

捨てる価値のない人間ではない、とおもうのだが、ねこのようにすてた。
にくいわけではないが、そう死ぬほどくやしいわけではないが、生きてみたいと思った。

みにくいなら、妖怪人間のように、早く人間になりたいと思い。
化粧をして、隠すとこはかくして、いけばいいし、恋愛はもうお断りなら、
そういう生き方がいい。

私は、それほどおとこがきらいではないが、捨てた男に言いたかった。
これからは、男には悪いが、きらいになっていくとおもう。

あいてにされないのならそれでいい。
おとこにうらみがあるわけではない。

おばさんとして、わたしはふんべつがあるので、ようかいのように、
隠れて、みをさらさないように、しずかにいきていくのでいいとおもう。

出会いなどなくていいから、たべていけるだけのしあわせでいい。
それと、健康だけでいいのだ。

まちがっても、このおばさんには声をかけてはいけない?!

もう、おんなやめましたから?!

カツラの話。(忍の100の話)

2011-11-12 | 日記
わたしは、ある人に会いたいとおもった。
出会いは、単なる出会い系サイトというものだった。

信じていないので、まあ適当に考えて、危険なら死ぬ覚悟であった。
その時の話をしようと思う。

その人は、かなりメールだけのやり取りをしていた時はロマンチックで、すごく好きなタイプだった。
どうせ、嘘なら、すべてすべて、作り話にしてほしかったのに、と最近思うのだ。

その人の写真は、帽子をかぶり、スポーツマンで素敵な感じのイメージだった。

なぜか、会うことになった、期待した。
期待は、一瞬にうらぎられた、そう一本も毛のない、ずるっぱげだった。

せめて、だますなら、バレバレのカツラでもいいから、つけてほしかったのに。
カツラは、つけていたほうが、いいそう思う。

墓場まで、そのカツラをはずさないでいてほしいひともいるのに、残念。
しかし、その人は、正直すぎて、私には驚いた。

ロマンチックなことを言う割には、本当はメル友でよかったのに。
わたしも、まあそんなことのいえない、くそばばあであったのだが。

嘘は、最初の出会いは必要だ、せめて、その禿はみたくなかった。
カツラは、安物でもいいから、つけてほしかった。

私がおばさんだから、油断したのだろう。もちろんさよならしたけど。
後悔していない。

なぜなら、男は女のために、いい恰好をすべきだし、そしてうそもつくべきだ。
ハゲの恋人をもとめるのは、結婚したあとで、付き合う時はカツラはつけてほしい最低ね。

ハゲは、わるくない、男として、かくしてほしいものはかくしてほしい。
ほんとうに、正直はいけない。

しかし、そのひとはあるひとと、むすばれたらしい。
すごい、その女の人は、たぶんたぶん、カツラだったとおもうなぜなら、
わたしが、カツラなら、理解できる行動だったからだ。

私のみた夢の話(忍の100の話)

2011-11-12 | 日記
現実ではないのだが、とても楽しい夢を見ることがある。
今日はその話をしようと思う。

設定は、なぜか、優しい鞄づくりのおばちゃんのいえでのこと、わたしはそこに、あそびにきている。
おばちゃんは、皮でカバンを作る職人さんのようなひとだ。

「わたしもつくりたい?!」そういったとおもう。
私に、なんとその皮のカバンを作らせてくれたと思う。

なんか、わけのわからない夢だが、その夢が何かの予言なら、こうかんがえてみた。
わたしは、ものづくりはすきなほうだ。

もちろん、上手ではないが、ひとつのものをつくるのはすきなほうだ。
その残された能力で、何かを作りたいと心の中で思っていたのは事実だ。

もちろん、お金がかかるので、無理なことなのだが、願いは夢の中ではかなう。
本当にやりたいことは、自分の自己満足で、そのことができないと夢でみてしまうのではないか?

カバンをつくりたい、つまり何かを作りたいそんな願望があるのだろう。
心の中では、我慢しても、浅い睡眠の中でははっきりとおぼえている。

ものづくりをしたいけど、いまはむりだ。
しかし、夢の中では、いつも私は素直ないい人なのだが、実際とは違うのだ。

優しいいい人にも、出会うこれも実際には違うのだが、なんでか夢は、すごく楽しい。
怖い夢は、あまり見たことがない。

こんな最低な生活と、貧しい生活で、反対の夢を見るときだけはしあわせなのだが、
夢は、かなえられるともいうが、カバンぐらいはつくれるだろうが。

その意味は、わたしにはわからないが、たぶん、きっと何かの暗示なのだろうね。

難しいことはわからないが、何かを教えてくれる夢はやはりまた見たいものだ。