(2009.11.6)
自治基本条例を他都市の条例を見比べながら、勉強を始めるやり方がある。しかし、この方法は、決していい方法ではないと思う。
いつも言っているように、条例づくりは条文づくりではないからである。
試行錯誤の結果、この検討会では、メンバーのそれぞれの活動の中から、自治基本条例の内容を考えることにした。それによって、空中戦でない議論が行われることになる。全国数ある中で、こうしたやり方で自治基本条例を考えるのは、そうはないであろう。これこそが小田原方式ではないか。
(2009.10.25)
小田原市の検討委員会が始まって、すでに4回になった。小田原の方式は、検討委員会と出入り自由の市民会議(オープンスクエア)を並行して行うものである。全国的にもはじめての試みで、ここでは、試行錯誤をしながら、とりわけ検討委員さんが知恵を出しながら、検討を行っている。気がついたらもう4回になっていた(私は毎週、小田原に行っている計算になる)。
当初、危惧したのは、検討委員会とオープンスクエアの位置づけである。「相互がキャッチボールをしながら」というのは、言葉としては分かりやすいが、実際には難しい。相互に見合ったり、自分たちが主力と言い始めたら、収拾がつかなくなるからである。
何度も言っているが、自治基本条例づくりは、民主主義の実践である。条文をつくるというレベルを超えている。市民の自律と他者への配慮という民主主義の基本をまさに民主主義の学校である地方自治において、かたち(条例)にし、つくる過程でも実践してみようというのが自治基本条例である。
小田原の検討で感心するのは、委員会のメンバーが、多くの市民の意見を聞こう、市民に関心を持ってもらおうと考えていることである。今回の委員会でも、サポートセンターのお祭りで、自治基本条例のコーナーを持と言う提案が委員から出されて、「説明会には私が行く」、「当日は私が参加する」といった具体的な話がどんどんと進んだことである。
この検討委員会では、こうした市民の実践や、それぞれの地に足がついた活動のなかから、自治基本条例の内容を考えていこうと思う。確実に、自治基本条例が進化している。
自治基本条例を他都市の条例を見比べながら、勉強を始めるやり方がある。しかし、この方法は、決していい方法ではないと思う。
いつも言っているように、条例づくりは条文づくりではないからである。
試行錯誤の結果、この検討会では、メンバーのそれぞれの活動の中から、自治基本条例の内容を考えることにした。それによって、空中戦でない議論が行われることになる。全国数ある中で、こうしたやり方で自治基本条例を考えるのは、そうはないであろう。これこそが小田原方式ではないか。
(2009.10.25)
小田原市の検討委員会が始まって、すでに4回になった。小田原の方式は、検討委員会と出入り自由の市民会議(オープンスクエア)を並行して行うものである。全国的にもはじめての試みで、ここでは、試行錯誤をしながら、とりわけ検討委員さんが知恵を出しながら、検討を行っている。気がついたらもう4回になっていた(私は毎週、小田原に行っている計算になる)。
当初、危惧したのは、検討委員会とオープンスクエアの位置づけである。「相互がキャッチボールをしながら」というのは、言葉としては分かりやすいが、実際には難しい。相互に見合ったり、自分たちが主力と言い始めたら、収拾がつかなくなるからである。
何度も言っているが、自治基本条例づくりは、民主主義の実践である。条文をつくるというレベルを超えている。市民の自律と他者への配慮という民主主義の基本をまさに民主主義の学校である地方自治において、かたち(条例)にし、つくる過程でも実践してみようというのが自治基本条例である。
小田原の検討で感心するのは、委員会のメンバーが、多くの市民の意見を聞こう、市民に関心を持ってもらおうと考えていることである。今回の委員会でも、サポートセンターのお祭りで、自治基本条例のコーナーを持と言う提案が委員から出されて、「説明会には私が行く」、「当日は私が参加する」といった具体的な話がどんどんと進んだことである。
この検討委員会では、こうした市民の実践や、それぞれの地に足がついた活動のなかから、自治基本条例の内容を考えていこうと思う。確実に、自治基本条例が進化している。
教科書的には、住民自治は、「政府を住民が統治すること」とされています。ところが、最近の自治基本条例の制定過程の中では、より根源的に、「住民の自治そのもの」と考えられるようになりました。
①たしかに、政府は市民のものなので、これを市民が統治するのは、当然です。
②しかし、それだけでよいのか、それだけで、市民の幸せが創れるのかというのが、自治基本条例の問題意識です。
③①を住民自治と考えることで、この結果、政府への依存、政府への要求ばかりになってしまって、市民自身の自律性が曖昧になってしまったというのが、問題意識のひとつです。他人任せ、人任せになってしまいました。
④分権時代にあって、地域のことは地域で考える必要が出てきました。住民の自治、つまり、市民自身の自律性と社会性という、民主主義そのもののをこの機会に考えてみようというのが、自治基本条例の動きです。教科書を乗り越える動きですね。
⑤キーワードとなる協働と言うのは、行政と市民が一緒にやるということが本質ではなくて、市民も公共の担い手であると言うことです。
⑥これは公共の担い手は政府のみであると言う、フランス革命以来の憲法秩序への挑戦という側面を持っています。
⑦国ならば、⑥を変えるのには勇気が要りますが、国と地方は違います。運営秩序が違うと言っていいかもしれません。なぜならば地方のテーマは、市民の生活そのものだからです。周りをみても、市民の生活を市民が支えている場面はいくらもあります。市民が公共を担っているのですね。つまり協働です。
⑧かつてのような経済成長はもはや望めない、人口減少も確実に進行する中、日本全体が曲がり角のきています。新しいパラダイムを作っていかなければいけない時がきています。
⑨政府の統治=住民自治という18世紀の理論を越えて、民主主義の原理=住民自治という原理を生み出そうと模索しているのが自治基本条例だと思います。
⑩大事なのは、これが市民の声として起こっていることです。このままではだめだと市民自身が思っていることです。その思いを「行政から市民への負担の付け替えに」しないように、制度設計し、維持していくが大切です。そのためには自治体職員の役割は重要で、「協働」の意識と実践が求められます。自治基本条例は、それを養っていくプロセスだともいえますね。
⑪だから、市民と「協働」でつくっていくのです。初めてのことで、戸惑うことは多いのですが、やっていくということだと思います。
参画と協働は、住民と行政が対等な立場で行うことだが、本来住民自治とは、住民が行政を「統治」することを意味する。したがって「参画と協働こそが住民自治だ」というのは違和感がある。という先生がいるようですが、私は「住民自治とは地域の幸せは地域で考えること」と思っていたので違和感はないのですが、憲法学的には「住民自治=参画と協働」とは、断言してはいけないのでしょうか?