
ひとつ年をとり、あらためて、私たち世代の役割を考える機会となった。
今年のお正月は、元旦以外、特段の行事もなく、また大学のHPも壊れてしまったということで、大学メールもひとつも来ず、その分、ゆっくりと本を書く日々だった(その分、ブログを書く余裕がない)。
いくつかの本を並行して書いているが、もっとも先行しているのが『励ます地方自治』である。従来の地方自治は、監視の地方自治であるが、これを励ます地方自治に転換しようというものである。内容的に深いものを書くだけの能力はないが、大事に問題提起になると思う。
あわせて力を入れているのが、『自治体若者政策』である。私たちの世代がバトンタッチすべき若者世代が、元気をなくし、自信をなくしている。若者の出番と居場所が必要であるが、それを社会参加政策として組み立てようという試みである。
若者で言えば、最近気がついたが、ネトウヨとひと括りにされるが、60代の「ジジウヨ」といわれる人たちと、20代、30代のネトウヨといわれる若者たちとは、大きく違うことである。違いの理由は、怒りの源泉が違うことである。
若者の怒りの根源は、若者らしい正義感、公正感である。韓国や中国の法を無視した振る舞いや常軌を逸した主張に怒っているのであって、差別意識からではない。実際、彼らには差別の現場にいるという原体験もない(私たち世代は、朝鮮学校は、けんかの相手だったという原体験がある)。
逆に、若者たちは、戦後教育の結果、人種差別や男女差別には、本能的に反発する世代である(差別は不公正だからである)。だから料理も子育ても、一緒にやる。女は家庭にいるべきなどとは微塵に思っていない。第一、協力し合い、共働きしなければ、生活が維持できないとのことである。
先の選挙では、次世代の党は、ここを勘違いして大敗したが、教育の成果と若者らしい純粋さで、平等や公正を身に着けた若者たちの居場所と出番づくりが、自治体政策の役割ということである(これに対して、私たち世代は、平等や公正を頭で考えるため、閉塞感にさいなまれると、とたんに差別する側に変わるという弱さを持っている)。
このままいくと、若者らしい正義感、公正感が、次に向かう矛先は、おそらく60代、70代世代になるのだろう。
3ヶ月大学のHPを開くと自分の顔に出会い、恥ずかしい思いをしていたが、今月から、別の先生に代わるのだろう。これが見納め。