松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆自治体と市民活動団体のミスマッチ(茗荷谷)

2012-12-08 | 1.研究活動
 日本協働政策学会で報告をした。
 私は、この学会の会員ではないが、同志社大学の今川先生からのお誘いで、報告をすることになった。最初は、簡単に報告して、コメントもひとこと、ふたことくらいかと考えて引き受けたが、この日の午後全般にわたって、報告と意見交換になった。
 ご一緒したのは、東工大の坂野達郎先生で、討論型世論調査(デリバリーティブ ポーリング DP)の報告であった。主に神奈川県で行ったDPの分析で、データを踏まえて詳細に分析していく手法は、すごかった。私のアバウトな報告とは、好対照になった。
 私に与えられたテーマは、「自治体と市民活動団体のミスマッチから」であった。私は、「協働という言葉は正しかったのか」という観点から話をした。
 私の結論は、
 ①協働には、一緒にやる協働と一緒にやらない協働がある。
 ②協働の本籍は、一種にやらない協働のほうである。つまり、行政と同時に市民も公共を担うというのが協働の意義だからである。
 ③一緒にやる協働は、あくまでも行政のテリトリー内での協働であるので、行政の行動原理に縛られる。適法性、公平性、公正性、行政計画への整合性である。
 ④行政とは別の行動原理で動くのが市民活動団体である。行動原理の源は、自分たちが大事だと思うこと、そして、自分たちの金で動くこと。だから、公平性や公正性、行政計画との整合性とは関係がない。
 ⑤そこが、ミスマッチが起こる原因である。いくら努力しても越えられない壁があるということである。適法性・・・以下の行動原理をこえたら、それは行政とはいけないからである。
 ⑥この限界を超えて、補助金を出せば、監査請求や住民訴訟の対象になる。最終的には担当者が、損害賠償責任を負い、懲戒処分を受ける。下手をすると職を失うのである。
 ⑦それでも、微妙なグレーゾーンがあるので、境界線を動かす余地があり、そのための技術もあり、努力をすべきである。しかし、基本的な部分では限界がある。
 要するに、行政と市民活動団体との一緒にやる協働には、構造的な限界があるということである。
 コメントや意見交換で、勉強になる指摘があった。
 ①市民セクターと市民アクターという言葉。新しい公共の担い手は、市民セクターなのか、市民アクターなのかという問題は、私自身、いまひとつ踏み切れずにいた。今回出す本では、市民セクターに限る必要はないと決めたが、「市民アクター」という言葉を使うと、より趣旨が明確になる。
 ②一緒にやる協働と一緒にやらない協働との限界線はどこか。はじめて考える質問であったが、法的な意味では、監査請求や住民訴訟の対象になるかどうかが一つのメクマールではないかとお答えした。監査請求の対象にならなければ、それは、不当、違法な補助とはいえないからである。
 ③おそらく、その他のメルクマールもあるのだろう。補完性の原理のようなものもそうだろうし、最小の経費で最大の効果原則も、そうかもしれない。この辺りは、今後の課題としよう。
 茗荷谷で降りるのは、何十年ぶりである。筑波大学が東京教育大学といったころ、訪ねたことがある。今回の会場は拓殖大学であったが、ここは初めてである。会場に行く途中、跡見学園があった。跡見学園といえば、大学時代、合ハイの相手であった。合ハイとは女子大と一緒に行く合同ハイキングのことである。跡見女子大学とは、江の島へいき、砂浜でバレーボールを一緒にやった。
 勉強にもなったが、昔を思い出す一日ともなった。
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