地方における住民投票は、次に来る憲法改正の国民投票のある種、試金石である。
新城市をはじめ全国の住民投票を覚めた目で注視している人たちがいると思う。国民投票によって憲法改正を成功させようと思う人たちと憲法改正を阻止しようと思う人たちである。
憲法の国民投票における最大の争点は、もちろん憲法9条である。冷戦の時代で、アメリカが圧倒的な力を持っていた時代ならば、憲法9条をよりどころに、バックパッシングしていれば済んでいたが、冷戦が終わり、アメリカの力が相対的に弱まる中で、日本はパスばかりせず、自分でゴールにボールを持ち込めと言われるようになったことが背景である。
改正を目指す人たちも、改正を阻止しようとする人たちも、新城市の住民投票から学んだことは、問題をできるだけ単純化して、2項対立的な構造をつくり、善(=善良な市民)と悪(=悪代官)を対比させることである。
改正派にとって、悪代官役は中国だろう。南沙諸島の傍若無人な振る舞いは、たしかに悪代官にふさわしい。日本人の意識の底には中国人に対する微妙な思いもある。そこを煽れば、風向きは一気に決まるだろう。その結果、経済的関係や市民間においてこれまで積み上げてきた親善関係をひどく傷つけるが、ともかく国民投票で勝つことが目的なので、そんなことは知ったことではないということだろう。
阻止派における悪代官役は、安倍総理だろうか。安倍さんは、今は人気者なので、悪代官に設定するのは難しいが、経済が悪化すれば、一気に悪代官になる。そこで、アベノミクスが失敗して、日本経済が混乱に陥るのを期待することになる。本末転倒な話であるが、ともかく国民投票に勝つこと主眼なので、そんなことは知ったことではない。
いずれも問題の現れ方や展開は、地方の住民投票とひどく似ている。
こうした時代状況を背景に、新城市においても、リーダーたちは、いずれ来る憲法改正の国民投票を視野に入れながら、今回の住民投票に取り組んだのだと思う。相互の主張を尊重し、冷静に判断して、よりベターな決定するといった、民主主義のあるべき姿を新城市で示そうと考えたのだと思う。
しかし、その新城市においても、そうはならなかった。実際は、相手方の欠点をあげつらう非難合戦、さらにはスーパーの安売りチラシのようなPR合戦になってしまった。「あの新城市をもってしても・・・」というのが、率直な感想であるが、当事者たちの思惑とは別に、どんどんと地の底に引き込まれてしまうのが、住民投票の魔力なのだろう。
今こそ、煽りやムードではなく、冷静に日本の未来を判断することが求められているが、それは民主主義の学校である地方自治における住民自治の着実な実践を通して学ぶことが最も近道である。その意味で、住民投票が終わった後のリーダーたちの第一声が大事である。注目したい。
(追伸)
早速、穂積市長さんのコメントが出された。市長として意見はあるとは思うが、市庁舎建設では、市民多数の生活感情や価値観からまったくかけ離れた事業では成り立ちようがないことから、「投票によって示された住民意思を尊重し、それを踏まえた見直し案を早急に策定、提案する」ということである。この市民に寄り添うという姿勢と、「ともあれ、関係したすべての皆さんのご労苦に感謝を申し述べます」というコメントは、いかにも穂積さんらしい。
住民投票のリーダーの一人である白井さんのコメントが出された。「ノーサイドだ。さあ力を合わせてがんばろう」といったコメントを期待していたが、そうにはならなかった。ここが、ふんばりどころだと思う。