松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆なんでも条例という風潮

2012-05-19 | 1.研究活動
 最近は、なんでも条例という風潮がある。政策法務の弊害だろう。
 正確には、政策法務の弊害というよりは、作文条例を条例づくりと誤解する結果だろう。私が住む神奈川県では、前の知事さんがたくさんの条例をつくったが、大半は、作文条例だった。私たちの生活に、何一つ影響を与えなかったからである(ただ、受動喫煙防止条例だけは、これはすごいと思う。この条例ひとつだけで、条例をつくるというマニフェストは合格である)。
 弊害の結果が何でも条例という風潮である。
 誤解を受けやすいが、地方において、議会がつくる条例と市長がつくる規則は対等である。規則は条例の下に位置するわけではない(条例を執行するための規則は別)。
 試みに地方自治法を見ると、条例は「法令の範囲内で制定できる」(14条)とされるが、規則も同じように「法令の範囲内で制定できる」(15条)となっている。規則は、「法令、条例の範囲内」とは書いていないのである。
 なぜそうなのかであるが、これは地方自治が、二元代表制をとるからであるである。二元代表制というのは、市長と議員が、市民の代表ということである、つまり代表が2ついるということである。
 これに対して、国のシステムは議院内閣制である。国民は議員を選び、その議員が内閣総理大臣を選ぶ(だから内閣がつくる政令は、国会がつくる法律の下になる)。これに対して、地方では、市長は市民によって直接選ばれる。市長と議員は、ともに民主的存在で対等なのである。
 つまり、市長と議員は、それぞれ独自の責任領域を持っていて、議会といえども関与できない領域があるのである。その市長がつくるのが規則で、それゆえ議会がつくる条例とは対等であることが基本となる。
 それにもかかわらず、なぜ、条例なのかである。その説明が必要になる。
 なぜ条例なのか。それは条例の場合、納得性が高いからである。つまり、条例は、多くの議員が多面的な視点で審査し、しかも、市民の開かれた形で行われるからである。民主性が強いということであるが、平たく言えば納得性が高いからである。
 したがって、条例のつくり方が大事になってくる。納得性が得られるようにつくることが、大前提になるのである。地方分権で、国の条例準則の権威がなくなってしまい、市民の納得性を高める仕組みや技術があらためて必要になった。それをどのように構築し、実践するかが各自治体で問われるようになっているが、それが私にとっては市民協働立法を模索する動機となっている。
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2 コメント

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なんでも条例 (hoti-ak)
2012-05-23 20:25:23
ご無沙汰をしています。
この4月から数年振りに法務の仕事をしています。
これから分権一括法における条例委任事項への対応が待っているのですが、「こんなつまらないことまで条例に委任するのか」と思う事項が山ほどあります。これも「なんでも条例」の弊害ではないかと思います。
今後ともよろしくお願いします。
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法務への復帰なによりです (マロン教授)
2012-05-23 22:26:52
 hoti-akさんが法務へ復帰とのこと、なによりです。
 私は分からないことや迷ったことがあると、hoti-akさんに聞いてみます。力を出せる部署に移ったのは、本当に何よりです。ちなみに、hoti-akさんのブログは、自治体法制執務雑感です。
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