松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆熟議の市長選挙⑦伝えたい人(候補者)の選挙から、聞きたい人(市民)の選挙へ(三浦半島)

2017-07-11 | 1.研究活動
 本来、選挙とは、伝えたい人(候補者)のための選挙ではなく、聞きたい人(市民)のための選挙である。そうでなければいけないはずだ。田村さんの指摘はとても重要である。

 ところが今の選挙は、名前の連呼、笑顔と握手、さらには辻立ち。これらはよく考えると、これは伝えたい人(候補者)の立場からの選挙である。こんな選挙ばかりやっているから、市民はしらけ、辟易し、不平ばかりが積もっていく。発想を逆転し、聞きたい人(市民)の立場から選挙を考えるべき時だということである。聞きたい人(市民)の立場からは、「すべての立候補予定者の政策論争を聞いて、自身が正しいと思った判断を下したい」と思う人も数多い。こうした選択肢がなかったことが、そもそもおかしいといえる。

 公開政策討論会の是非や制度設計にあたっても、この聞きたい人(市民)のための選挙であることを基軸に考えていかないければならないということである。公開政策討論会が、伝えたい人(候補者)のためになってしまったら、聞きたい人(市民)は、またも期待を裏切られ、失望し、シラケてしまう。仕組みづくりは簡単ではなく、時間との勝負もあるが、この基本を忘れないでやってほしいと思う。
 
 山本さんは、相変わらず不参加のようであるが、次のように考えたら、公開政策討論会は、むしろ主義主張に合い、わだかまりを捨てて参加できるのではないか。
 
 選挙における市民ニーズも多様である。個別にじっくり話を聞きたいという人もいるし、文字で書かれたもので判断したいという人もいる。それと同時に、「すべての立候補予定者の政策論争を聞いて判断したい」という人も少なからずいる。この市民ニーズの一つに応じる形で、公開政策討論会が開かれ、そこに運動のひと時を割けばよいだけのことである。

 市長になって、市民ファースト、市民ニーズにこたえた市政を運営しようというのだから、ならば選挙の時から、市民ニーズにこたえた選挙をするのが自然ではないか。公開政策討論会を、そんな風に考えれば、自分の中でストンと落ちるのではないか。

(追記)
 その後の白井さんと穂積さんのやりとりを乗せようと、上記のブログの記事を書いた後に、お二人のやり取りを読んだ。

 1、私が書いたことをすでに、穂積さんと白井さんの間でやっていた。議論の質が高く、むしろ、私のほうが、後追いになってしまった。私は遅れ始めたようだ。渦中にいて真剣に考える当事者と遠く離れた場所で限られた情報しかない第三者の違いである。しかし、私なりに、余り遅れずに、第三者ならではの切り口で報告していこう。

 2、穂積さんは、この公開政策討論会は、一選挙の話としてではなく、新たな、本来あるべき選挙のルールとして、提案し、これを普遍的なルール化の礎にしようという意図で考えていることが今回鮮明に出された。「新城発の熟議の選挙ルール」である(若者政策が全国ルールになっていくような感じである)。私も同じ思いであるが、同時に今回の取り組みは、新城市の評価を高めるものと考え、全国に向けて、このブログを書いている(今のところは、地方自治の関係者を中心に大きな関心があるようだ)。

 3.これはまだ鬼が笑う話であるが、選挙が終わったら、白井さん、穂積さん、山本さんとの共著で、『新城発・熟議の選挙』の本を書こう(閑話休題)。


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 2017年07月10日 穂積氏からの返答がきました
 穂積氏からの返答が届きましたので、以下の様に返答しました。

 穂積 亮次様
 早速の返答ありがとうございます。一つ一つ返答させていただきます。返答部分を赤字で示します。

 白井倫啓様
 私の7月8日発信のメールに対する返信を受け取りました(7月9日)。私の意見を申し上げます。少し長文になりますがご容赦ください。

1.私はつねづね自らの行動や政治判断を、市民の検証ならびに後世からの審判にさらされるべきものと自戒しながら行っています。現在の行動の一歩一歩は、明日の世代が批判的に検証し、より良き未来をつくりあげるための糧となるべきものです。それですから、正確な記録を残し、その時に下した判断がいかなる理由と論理に基づいていたのかを理解できるようにしておくことを心がけています。可能な限り正当な手順を踏み、筋道の通った選択をすることが、そのために必要な最低限の基盤です。

→その通りだと考えています。

2.貴兄の、2人だけでも早急に討論会を開こう、とのお求めについて、お気持ちは良く分かりますが、こういう時ほど客観的で公正な眼で物事を判断すべきと思います。今回の公開政策討論会等の可能性については、期待する声も強くあります。それだけに、失敗させてはならず、生煮えのままに突っ込んで「こんなはずではなかった」という結果になることは極力避けねばなりません。

→「こんなはずではなかった」とならないようにするために、まずは二人から話し合いましょう。できるだけ早くその話し合いの場作って欲しいと申し入れしているのです。

3.現時点で貴兄と私とのやりとりは、一部地元紙が報道したことを除けば、まだまだ少数の方が知るのみです。広く認知されているわけでもなければ、第三者の評価を得ているわけでもありません。ある意味で言うと、貴兄と私の「頭の中」にあるレベルを大きく越えてはいません。その状況で2人の政策討論会を開催したらどうなるでしょうか。「なぜ2人だけでやるのか」「3人そろってこそ意義があるのではないか」「山本氏をなぜ加えないのか」といった当然の疑問が市民のなかに生れます。

→それでは二人で話し合って開催要項を決めましょう。それをもって山本氏への要請をしたらいいのではないでしょうか。

4.「山本氏が拒絶したから」と言うのは簡単ですが、山本氏から貴兄にあった回答はどんなものでしょうか。氏の回答文にあることは、⑴白井氏の公開質問状には応じない、⑵公開討論会について直接の申し出を受けていないので詳細が分からず回答できない、というものです。現在のところ山本氏が公式に発したコメントはこれ以上でも以下でもありません。もっとも回答文の最後には、JC主催の公開討論会には出席する予定だが、それ以外は計画にない、と書かれていますので、貴兄が山本氏が応じる可能性は低いと判断されるのも分からないわけではありませんが、それは貴兄がそう想像しているだけで、氏からの正式回答を得ているわけではないのです。「山本氏にも正式提案をしたが、断りの返答があった」というのと、「山本氏が応じる可能性は低いと判断したので2人で始めた」というのとでは全く違います。

→市民への情報公開が前提にあるのが、あなたが申し入れた公開政策討論会であったと考えています。そのためには、少しでも早く実施すべきだと考えます。3問目の提案の様に、山本氏が参加するのかしないのかを要請するとともに、開催要項の検討に入りましょう。

5.貴兄は2人で政策討論会を実施することによって、(山本氏は)『「公開政策討論会にも参加できないなら、市長選に立候補すべきではない」という市民判断にもつながります』とまで書かれています。この考えについては、私は見過ごすことができません。政策討論会をこのような政治宣伝のために使うことこそ、絶対に戒めなければならないからです。もうこの時点で政策討論会の意義を自ら辱めることにつながります。ここはどうか撤回してください。

→あなたは、公開質問状の回答で「より開かれた場で、より多くの有権者の視線が注がれる中で、一方的な主張や非難のお応酬に終わらない形で政策討論会が交わされることが必要です」と言われています。そのために「公平・中立の第三者委員会を立ち上げ」ると提案されています。この考えがあれば、あなたが心配する「政治宣伝」にはならず、立派な市民への情報提供になると考えています。出馬表明した人間には、「より開かれた場で、より多くの有権者の視線が注がれる中で」の討論会がもとめられて当然です。その討論会に参加できないことは、「市長選に立候補すべきではない」との市民判断が出てきて当然と考えていますので、撤回にはあたらないと考えています。

6.選挙における候補(予定)者は、それぞれの責任において自らの行動を選びます。どのような選挙手法をとるかは、それぞれの独立した責任において下せば良いのです。地道な地域まわりを優先するも、強力な宣伝戦を優先するも、強みも弱みもある人間同士の戦いですので、それぞれの尊重されるべき選択です。成否の判断は有権者に委ねられているだけで、候補(予定)者同士が非難しあっても何の益ももたらしません。山本氏が他候補(予定)者との政策討論に消極的で、あくまでも有権者一人ひとりとの直接接触の時間を優先したとしても、そのことで何ら非難を受ける筋合いはありません。それも立派な選択であり、十分に合理的な政治判断です。ましていわんや市長選に立候補する資格がないかのような印象を振りまいては断じてならないのです。その相互尊重なきところに有権者の求める政策討論会は成り立ちません。もしも貴兄が、「公開政策討論会に参加できない山本氏には市長選立候補の資格がない」ことを主張する意図をもって(あるいは市民の中にそういう論調が広がることを期待して)、私との政策討論会を考えているのなら、私の企図しているものとは全く違います。

→あなたが言われるように、「それぞれの責任において自らの行動を選びます」ということだと考えます。あなたは、山本氏に自分のやり方を押し付けたいのでしょうか?あなたと私が納得できれば、市民への情報提供に一つとして、ふたりでの公開政策討論会を選ぶだけではないでしょうか。私は、山本氏との公開政策討論会を否定しているわけではなく、いつでも門戸を開きながらも、ふたりでまず始めることを提案しているだけです。相手を尊重するなら、どうしても山本氏に参加してもらうというのは矛盾すると考えます。私は、公開政策討論会に参加しないことは、市民に対して失礼と考えましたので、あなたと提案に即、賛同しました。私には、市長選に出馬しておいて、市民のための情報提供の場である公開政策討論会に参加しない選択はありません。その覚悟を山本氏に問うた言葉です。

7.合併後3回にわたる市長選挙、市議会選挙等を通じて、白井氏、山本氏、穂積は、市民のなかで十分に知られる存在になっています。つまりは3者3様に支持を寄せる市民が相当数おられる中での選挙戦です。そして合併後12年間、とくに前回選挙以来4年間の歳月は、3者の立場・役割を大きく分けることになりましたが、それぞれの立ち位置から見た新城市政の現状と未来について、市民の前で大いに語り合うことは、この市の未来を拓くうえでも、有権者が適切な審判を下すうえでも計り知れない利益があると、私は考えています。白井氏は、議員として議会活動を中心に据えて4年間を過ごしてこられました。山本氏は、住民運動やNPO活動に軸足をおいて行動してこられました。私は市長という執行機関の長として市政運営にあたってきました。地方自治を構成する3つの主体がここにあります。立場・立ち位置が違えば、見える風景も聞こえる音色も異なってきます。それを相持ち寄り、それぞれに検証を加えるとともに、全体を再統合して見えてくる課題を浮き彫りにするという点で、私たち3名は適役であるといえないでしょうか。その意味で、私は山本拓哉氏の立場も最大限に尊重したうえで、なお最後まで3者による討論会の可能性を追求していきたいと思います。

→ 可能性を追求するのは否定しませんが、そのための時間が無為に流れては、本末転倒です。どうしても3者の討論会が必要と主張するのであれば、あなたが山本氏と連絡を取ってみたらいかがですか。公開質問状を出してから、本人との連絡は簡単にはとれませんでした。並行して、私との打合せを行ってください。打ち合わせの中で、あなたと山本氏の交渉状況をお聞かせください。私も、山本氏が参加されることは大賛成です。その思いも是非お伝えください。

8.結論は前便と変わりません。まずは2名連名による提案(申入れ)を山本氏に発しましょう。その正式回答をもって次のステップに移りましょう。もちろん私は、貴兄と2人の政策討論会であっても、双方に意義が合意できるならば価値あるものと考えています。
貴兄はしきりに「時間がない」と言われますが、こうしたやるべき手順を誠実に行う時間は、決して無駄に終わることなく、かえって最後になってみればもっとも有効な時間の使い方であったことが分かるはずです。しかも告示は10月22日、市民の中には市長選があること自体の認知も十分ではない状況です。時間は十分にあります。より良きものをつくり上げる努力は、市民に必ず分かっていただけるはずです。

→「こうしたやるべき手順を誠実に行う時間は、決して無駄に終わることなく、かえって最後になってみればもっとも有効な時間の使い方であったことが分かるはずです」という指摘は、その通りだと考えます。慎重に進めるために、合意した二人から様々な課題を明らかにして、実際に有効に機能する討論会を設計しましょう、と言っているだけです。山本氏の参加の有無だけで、何日も過ぎています。並行して進めることができるものを先延ばしするようであれば、時間が無為に過ぎていくだけになります。わずか4ヵ月とも言えます。新しい挑戦ともなります。開始前には十分な検討が必要です。市民への協力もお願いしなければなりません。3者がそろわないと、市民は納得しないというわけでもないと考えます 。できることかやりましょう。山本氏へ、具体的な提案ができれば、参加の判断もしやすくなると考えます。何回も言ってきましたが、まず合意した二人から準備を始めましょう。

貴兄のお考えをお聞かせください。
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