
横浜市では、平成12年度に横浜市市民活動推進条例が制定されていたが、議員提案で、新たな条例(横浜市市民協働条例)が制定された(手法は全部改正)。
公明党が主になって立案して、自民党と共同で提案した。採決は、無所属議員の2名のみが反対で、共産党も賛成という、ほぼ全員賛成だった。
この条例の評価であるが、プラス面では、
①ともかく議員が、条例立案に取り組んだということは評価すべきだろう(中心となったのは、元横浜市の職員で法規係にもいたW議員さんのようである。同じ、総務で一緒に仕事をしたが、真面目で、誠実な男だった)。
②自治会、町内会を協働のパートナーとした点である。これまで協働というとNPOであったが、地域コミュニティも、公共を担っていることを明確にした。
問題点もある。
①内容的には、協働を「役所と市民活動団体が一緒にやる」ことと狭くとらえているので、市民活動団体間の協働、あるいは一緒にやらないけれども、公共を担っているという活動が、見えなくなってしまった。これは、なぜ協働なのかのかの基本が、あいまいであるためだと思う。
②自治会町内会を行政の相手方に想定しているから、今日の両者の関係が投影された条例になってしまった。つまり、行政の下請け、行政の都合というのが、にじみ出る条例になっている。
③内容的には、この①,②から出発するために、協働の今日的な水準とはずれたものになっている。内容については、今後、多くの関係者が指摘するだろう。それに委ねたい。
ここで、私が問題とするのは、議員立法という手法から生まれる限界である。
①議員は執行しないので、執行しにくい条例ができやすい。条例といっても作文になりやすいのである。本来ならば、議会と執行機関が協議するルールを整備すべきであるが、現在はそれがない。今回は執行部に話したということであるが、実際は「ああそうですか」で終わってしまうだろう。通常の条例制定のように、両者で細部まで緻密に論議する仕組みが必要になる。この条例には、矛盾するような規定も散見され、詰めの不足が表れているように思う。
②議会の審議も、悪く言えば、「なあなあ」である。議事録を読むと、いつもならもっと鋭い議論をする人が、ゆるい質問をやっているように思う。同じ議員同士であり、かつ市民協働という「いいこと」の審査は、やはり甘くなるだろう。ここで必要なのは、行政の質問権である。条文をどのように実施するのか、議員に対する厳しい質問ができる仕組みが急務なのだろう。
③市民参加の弱さである。この条例づくりでは、それでもパブリックコメントや市民団体との話し合いが行われていて、一定の評価はできるが、大事なのは、もっとつくるプロセスから市民を巻き込む仕組みである。市民参加の検討委員会は最低限であるが、議員の場合は、議員=市民代表という足かせで、そこまで踏み込むのが難しいのだろう。
市民協働活動をしている人たちから見れば、この条例は、地方自治法の再議(条例のやり直しを行政が命じる)事案のように見えるが、行政の立場では、そこまではいけないだろう。担当部局は悩んだと思う。
やはり、「なぜ協働なのか」、その基本をしっかり体得することが必要だと思う。頑張って本を書こう。
公明党が主になって立案して、自民党と共同で提案した。採決は、無所属議員の2名のみが反対で、共産党も賛成という、ほぼ全員賛成だった。
この条例の評価であるが、プラス面では、
①ともかく議員が、条例立案に取り組んだということは評価すべきだろう(中心となったのは、元横浜市の職員で法規係にもいたW議員さんのようである。同じ、総務で一緒に仕事をしたが、真面目で、誠実な男だった)。
②自治会、町内会を協働のパートナーとした点である。これまで協働というとNPOであったが、地域コミュニティも、公共を担っていることを明確にした。
問題点もある。
①内容的には、協働を「役所と市民活動団体が一緒にやる」ことと狭くとらえているので、市民活動団体間の協働、あるいは一緒にやらないけれども、公共を担っているという活動が、見えなくなってしまった。これは、なぜ協働なのかのかの基本が、あいまいであるためだと思う。
②自治会町内会を行政の相手方に想定しているから、今日の両者の関係が投影された条例になってしまった。つまり、行政の下請け、行政の都合というのが、にじみ出る条例になっている。
③内容的には、この①,②から出発するために、協働の今日的な水準とはずれたものになっている。内容については、今後、多くの関係者が指摘するだろう。それに委ねたい。
ここで、私が問題とするのは、議員立法という手法から生まれる限界である。
①議員は執行しないので、執行しにくい条例ができやすい。条例といっても作文になりやすいのである。本来ならば、議会と執行機関が協議するルールを整備すべきであるが、現在はそれがない。今回は執行部に話したということであるが、実際は「ああそうですか」で終わってしまうだろう。通常の条例制定のように、両者で細部まで緻密に論議する仕組みが必要になる。この条例には、矛盾するような規定も散見され、詰めの不足が表れているように思う。
②議会の審議も、悪く言えば、「なあなあ」である。議事録を読むと、いつもならもっと鋭い議論をする人が、ゆるい質問をやっているように思う。同じ議員同士であり、かつ市民協働という「いいこと」の審査は、やはり甘くなるだろう。ここで必要なのは、行政の質問権である。条文をどのように実施するのか、議員に対する厳しい質問ができる仕組みが急務なのだろう。
③市民参加の弱さである。この条例づくりでは、それでもパブリックコメントや市民団体との話し合いが行われていて、一定の評価はできるが、大事なのは、もっとつくるプロセスから市民を巻き込む仕組みである。市民参加の検討委員会は最低限であるが、議員の場合は、議員=市民代表という足かせで、そこまで踏み込むのが難しいのだろう。
市民協働活動をしている人たちから見れば、この条例は、地方自治法の再議(条例のやり直しを行政が命じる)事案のように見えるが、行政の立場では、そこまではいけないだろう。担当部局は悩んだと思う。
やはり、「なぜ協働なのか」、その基本をしっかり体得することが必要だと思う。頑張って本を書こう。
とんちんかんなことをいっているかもしれませんが、これでも住民参画をしているつもりのひとりの市民がいるということをお伝えできればと思います。
こうして、降ってわいたような話は、議員立法が出始めるようになって、市民協働以外のテーマでも、見え始めています。条例づくりを条文づくりと誤解し、それを煽る人がいるからです。
先行的な蓄積があるのに、それを活用しない話は、本当にもったいないですね。
3年後の改正ということですが、この議員立法でほぼ全員賛成なので、改正作業は容易ではないですね。対岸から、相手の無理解を非難し、立派な対案をつくってみても(つくればつくるほど)、川幅は縮まらないので、まずは橋を架けるところからでしょうか。
キーとなった議員さんたちと、一緒に勉強会を始めたらいいですね(謙虚に)。地方自治の政策づくりでは、統一地方選挙が判断のポイントになりますが、2011年に選挙があったばかりで、この1年は、じっくりと勉強できるチャンスですね。