松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆霞が関法務をこえて(横浜市)

2012-05-24 | 1.研究活動
 政策法務がすっかり元気をなくし、本来、乗り越えるべき相手方である霞が関法務を跡付けるようになっているのをとても残念に思っていたが、そうなるのも仕方がないのではと感じる事例があった。
 横浜市の夜間講座を担当しているが、その講義終了後、何人かの人と話をする。そこで、思わぬことに気が付いたのである。
 私は、これまで、夜間講座の受講生は、すっかり係長試験対策だとばかり思っていた。なぜならば、わざわざ夜間、自分の時間を使うのである。「試験に受かるため」ならば、「それならばわかる」と勝手に思っていたのである。
 ところが、実際は、係長試験のためではないという。でもなぜ自分の時間を使うのか。それは、住民訴訟等に対応できるように、きちんと法律の勉強をしておこうというものである。
 いまの時代、何かがあるとすぐに訴えられるとのことである。たしかに住民監査請求や住民訴訟の規定を見ると、訴えるネタは、いくらでも転がっている。実際に裁判に負けるケースは少ないとしても、裁判にかかるだけでうっとうしいし、それだけで十分にダメージになるだろう。民事訴訟までも含めれば、いくらでも攻める手はあるからである。
 こういうなかで、対応策の第一は自衛である。法律をしっかり学んで、ミスをしないようにしようというのである。そこが、霞が関法務の追従につながる法務論になるが、それに対して、政策法務は、既存の法を乗り越え、自治の現場から、ふさわしい法を構築していくものである。いわば、攻めの法務であるが、攻める以前に、守りに汲々としていて、それどころではないというのが、政策法務がすっかり元気をなくし、魅力を失っている要因のひとつなのだろう。
 こうした自治体職員の態度を非難することは容易であるが、それではあまりに酷だろう。第一、たいていの場合、こうした非難する人は、対岸の安全地帯にいて、そこから声を発しているからである。
 どのように乗り越えるか。
 条例の役割については、いろいろな議論があるが、その基本は(民主性に基づく)納得性である。それが結果として職員が安心して仕事ができる裏付けとなっていく(条例に基づいて仕事をしたと自信を持っていえる)。条例ひとつとっても、カラ元気で空虚な政策法務論(条例論)ではなく、他方、霞が関法務を跡付ける政策法務論(条例論)でもなく、自治の関係者が、その力を存分に発揮できる政策法務論(条例論)を構築していくのが急務である。
 ところで、仕事に関連して職員が訴えられたとき、役所はどのように対応することになっているのだろうか。物心両面の支援を期待したいが、物のほうは、なかなか難しいので、保険を用意するということだろうか。大事なのは心のほうの応援で、それをサポートするが、同じ職場のトップであり、また仲間であり、法的にバックアップするのが法規担当の仕事なのだろう。役所を辞めて民間に移って、もう10年になるが、こうした安心感が、役所の魅力である。こうした職場があることが、職員の力を発揮し、それが市民の幸せの実現につながることは言うまでもない。
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