その前の大阪国際大学は、ほとんど男性で、これもこれでさっぱりしていて、なかなか良かったが、女子大には、女子大の良さがある。
私のゼミには、サガジョの中等部、高等部からの学生もいた。中等部からだと合計10年、高等部でも7年間は、女子ばかりである。人格形成の中心部分を女子ばかりのなかで暮らす。
高等部から来た学生は、おおむね次のような特徴がある(中等部からの場合は、さらにバージョンアップする)
1.どんどんやる
2.男に媚びない
3.おっさん化する
4.かわいいのに、男にもてない(個人差があります)
1,2,3が合わさって、困難から逃げないという点が、一番いい。だから、頼みやすいし、断られても、逃げてるのでないことが分かるので、気持ちがいい。
4について、その理由を準ゼミ生にきいたところ、おっさん(ここでおっさんとは、30歳くらいの人)は、たくさん声をかけてくれるそうであるが、同世代からは、それがないらしい。
理由は、本人もよくわからないようであるが、1.どんどんやる 2.男に媚びないという点から、同世代の男のほうがビビるというのが、私の仮説である。
でも心配はいらず、勤めると、あっという間に、いい人を見つけるので、一時の気の迷いと考えてよいだろう。
市役所に勤めていたころ、男女共同参画が始まり、女性の登用を急いだ。そのころは、ある時は女性、ある時は男女対等と、都合のよい使い分けをする女性もいて、声には出さないけれども、みな閉口した。でも、学生たちが、社会にどんどん入り、今では、そんなことはなくなったのだろう。
連れ合いも、女学校出身であるが、昔の人なので、都合のよい使い分け世代だと思う。最近の食事当番は、私であるが、「男も料理をするのが当たり前」説である。また、いやな交渉事は、「男の役割でしょ」。
ハンガリーのブタペストの国際空港で、早めに手続きをして、ゆっくりお茶を飲んでいたら、呼び出し放送が入った。松下すぐ来いという。行くと、すでに手続した飛行機が、飛ばないという。
社会主義が崩壊して、時間が立っていたころだと思うが、それでも、国家機能が不完全な時代である(そこからのち市川市で制度化する1%制度が始まった。国がnpoや教会に資金を配れなくなって、市民自ら税金の1%を配るシステムを考案(?)した。ハンガリーは、この1%制度の調査ではなく、単に連れ合いに誘われて音楽を聴きに行った)。
帰りの飛行機の交渉役は、「男の役割でしょ」ということで、私の役割となった。相手は、ヴィエンナ経由でもいいかという。連れ合いは、「ヴィエンナって、どこなの」と盛んにいうが、私は面倒くさいので、OKといった。
結局、ヴィエンナは、ウィーンであることが、すぐに分かったが、このときの交渉の早さは、「たまには、男もやる」という、我が家の数少ない事例のひとつとなった(わたしはただ面倒くさかっただけである)。