路傍のshiawase

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「あいのうた」について あれこれ

2005年12月14日 | TV
放送直前の投稿で、すべりこみとなりますが、
以前TBしてくださった、伊達さまのブログに今度はこちらからTBさせていただきます。

伊達さまのブログ「伊達でございます!」では
毎回「あいのうた」の内容が詳細に綴られています。
番組をご覧になっていらっしゃらない方も、公式サイトよりも
様子がわかるかと思いますので、ぜひジャンプしてみてくださいませ。

さて、前回「あいのうた」第9話についてのブログですが、
伊達さまはこう書いていらっしゃいます。

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「あいのうた」の場合、僕は、病名を明らかにする必要はないとは思いますが、病気を描くのが、このドラマのテーマではないにしても、病気がもたらす症状などのディテールについての説明は、ある程度あってしかるべきだと感じました(毎回、定期検診のシーンもあるわけですし)。たとえば、「1リットルの涙」で、担当医が母親に語っていたような形で。このドラマの場合は、ドラマ側が最初に半年と期限を切って提示している以上、半年後にどのような形で死を迎えることになるのか、ある程度の説明があったほうが、ストーリー展開としては自然だったのではないかと。限りある命を前提にしてストーリーを進めてこそ、このドラマとしてのフィクションなりのリアリティを感じさせることにつながるのではないかと。

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なるほど、と思いました。
これより前の文では、ドラマ制作事情が記されています。
それについても納得しました。

私は、優二の病名についてはあまり気にならず観ていました。
病名が視聴者に明らかにされていないことで、
優二のそばに洋子がいつもいてくれたら、
ひょっとして回復するのかも! とか、
長男がホームランを打ったら、本当に奇跡が起こるかも!
などと、かすかな希望を持つことができました。
とても単純で楽観的なのですけど。

本当は怖くて仕方ない。でも笑顔でいることで元気になれる、
笑顔でいることに決めた優二。
本音を口にするまで、そんな現実を抱えているなどと
だれも思わないほど穏やかでとびきりの笑顔をたたえ続け、
洋子に、皆に優しくいられるなど、並ではない。
優二は特別な人間なのかもしれない。
そんな清い優二像が、病名をはっきりさせないことで
際立ったように思います。
洋子が抱えているものが複雑で大変なものであるがゆえに、
優二についてはシンプルであってちょうどよかったと。

このドラマを絵に表現するとしたら、
背景を細かく書き込んである写実的なものではなく、
中間色のバックに、
ストーリーを繰り出す登場人物だけが
はっきりと描かれているような絵、
そんな印象を持っています。

大河ドラマ・義経(長かったような、短かったような…)

2005年12月14日 | TV
最終回。
義経の運命は変えられないが、
惨たらしい終わりにはしないでほしいと願っていた。

タッキー演ずる義経は、初めからどこか神秘的で、
遮那王時代に陰陽師(美輪明宏さん)に指導を受けるところや、
壇ノ浦の戦いで見せた身のこなしなど、
汗のにおいのしない人物として描かれていたように思う。
その最期も、この義経らしいものだった。

郎党達は次々に敵に切られ血にまみれて倒れていく。
義経をお堂に隠し、その前で弁慶、堂々の立ち往生。
義経は、新しき国を思いながら自害。
その時、眩しいほどの閃光が放たれる。
お堂の屋根を物凄い勢いでその光が噴き出したかと思うと、
義経の象徴である、白馬が空を駆け上って行った。
魂は死んでいない、という描き方だった。

その後、藤原泰衡(渡辺いっけいさん)がやってきて、
義経の姿を見つけ泣き崩れる声がするが、
そこは画面に映らない。

義経と郎党の強い絆。
この世で理想の国を築けなくても、
必ずもう一度会って一緒に大仕事を成すと信じて揺らがなかった。
この絆に感動する。

頼朝(中井貴一さん)についても、
このドラマでは、義経と同じように
本当は「情」の人として描かれていたところがよかった。

(途中、「きいっちゃん、何だよまったく!!いつも応援してるのに、頼むよ、もう」と
頼朝に憤慨することもあったが、義経の自害を知り、
一人涙する場面を見て、少しほっとしたのだ。)


とうとう終わってしまったが、
こうして振り返っては余韻に浸っている。