子供の頃(昭和12~3年頃)
今の松茸のシーズンになると父の会社では朝早くトラック2~3台を連ね松茸狩りに行ったものだ。
行き先は中国山脈の山奥だ。
当時はトラックの荷台に畳を敷いて其処に10数人が乗り約4~5時間くらい走った山奥の山に行った。
到着すると我々子供は直ぐに松林の中をナバ採りに走り周った。
其処では小一時間でナバは笊に一杯取れた。
私たち子供は其処で取ったばかりの松茸を持参の七輪で、ナバを4~5個くらいに適当に手で裂いて焼き、醤油をつけて食べて、また、昼ご飯は其処で炊いた、ご飯のおかずにして松茸を食べた。
メシも美味しかったがナバの味は子供ながら、その香りと共に忘れられない味だった。
親父たちは茣蓙に座り七輪を囲み4~5人づつの輪になり同じく取り立てのナバを裂き焼きながら、それを肴にして酒を飲んでいた。
今、考えると随分と贅沢で単純な食べ方だった。
然しこれが物凄く美味しかった。
今でも、あの時は、よく腹いっぱい食ったものと思う。
なんとかもう一度、あのような食べ方をして腹いっぱい食べたいと思うが現在では先ず無理というものだろう。
田舎の方に聞くと、もう昔のように採れないとか・・・
乱獲?或いは環境の変化?ですか?
この季節になると、あの贅沢な思い出に我知らずため息を吐きながら思い出す。
カミさんに話すと北海道では採れないらしい?
結婚当時は、この季節になると私の母から毎年ナバを送ってきたものだ。
今、思うとその時に手で裂いて焼いて醤油で食べたのが終わりだったようだ。
今の松茸のシーズンになると父の会社では朝早くトラック2~3台を連ね松茸狩りに行ったものだ。
行き先は中国山脈の山奥だ。
当時はトラックの荷台に畳を敷いて其処に10数人が乗り約4~5時間くらい走った山奥の山に行った。
到着すると我々子供は直ぐに松林の中をナバ採りに走り周った。
其処では小一時間でナバは笊に一杯取れた。
私たち子供は其処で取ったばかりの松茸を持参の七輪で、ナバを4~5個くらいに適当に手で裂いて焼き、醤油をつけて食べて、また、昼ご飯は其処で炊いた、ご飯のおかずにして松茸を食べた。
メシも美味しかったがナバの味は子供ながら、その香りと共に忘れられない味だった。
親父たちは茣蓙に座り七輪を囲み4~5人づつの輪になり同じく取り立てのナバを裂き焼きながら、それを肴にして酒を飲んでいた。
今、考えると随分と贅沢で単純な食べ方だった。
然しこれが物凄く美味しかった。
今でも、あの時は、よく腹いっぱい食ったものと思う。
なんとかもう一度、あのような食べ方をして腹いっぱい食べたいと思うが現在では先ず無理というものだろう。
田舎の方に聞くと、もう昔のように採れないとか・・・
乱獲?或いは環境の変化?ですか?
この季節になると、あの贅沢な思い出に我知らずため息を吐きながら思い出す。
カミさんに話すと北海道では採れないらしい?
結婚当時は、この季節になると私の母から毎年ナバを送ってきたものだ。
今、思うとその時に手で裂いて焼いて醤油で食べたのが終わりだったようだ。
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