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下記は上の記事の出だしです。
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「毛首席がお会いします」
突然そういわれて田中角栄、大平正芳、二階堂進の三人が会見にのぞんだ。
「もう喧嘩は終わりましたか」という毛沢東の名言はこのときのものだ。緊張のなかにも和気に似たものがあふれていた。
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今日は
今日は原爆が広島に投下された日です。
当時、広島の私学の中学生だった私も多くの同級生を失いました。
幸いに生き残った数少ない同級生の一人がベンさんです。
今日の私は例年の如く静かに過ごす心算です。
亡き友の冥福を祈って・・・。
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40万都市の片隅に眠る英霊 この言葉も若しかしてGHQにより
使用禁止になった言葉かも知れません。
戦いに敗れるということは言葉を失うことに通じるのでは?或いは
本来持っていた文化(風俗、習慣,信仰、全て)まで・・・。
坂道を登ったところはやや広い公園のような場所であった。
この広場に入った直ぐ側の右側にある碑もん
剥ぎ取られた?私にはよく判らない?
お花の一束 . . . 本文を読む
地元広告紙の囲み記事
一昨日の5月17日(土)は馬門山墓地墓前祭が行われた。
我輩は丁度この日が病院の受診が午前9時半と重なったため、
ここに埋葬されている方々からすれば、部外者ではあるが出来れば
日本人の一人として参列して国の為に殉職された多くの慰霊者の方の
冥福をお祈りしたかった。
病院から帰る道を少し遠回りして馬門山墓地墓前祭のある
16号線を辿って帰ったのだ。
馬門山墓地墓前祭の . . . 本文を読む
昭和20年の今日 お昼に戦争は終わった。
我輩が中学1年生の夏だ。
近くの海軍航空隊には飛行機の爆音一つしていなかった。
飛ぶ飛行機が居なかったのかも?
負けたという実感はなかったように憶えている。
一体何故負けたのだ?と言う疑問もあったが、一方、広島の「ピカドン」と言う新型爆弾が日本全土に落とされては「ダメ」かな?くらいだった。
長崎の現状も既に耳にしていた。蛇足ながら、広島と長崎の . . . 本文を読む
昭和30年代前半は日本の国が貧しき時代から豊かな国に変化する端境期だったのではないかと思う。
私は北海道の現場に居た。
ある日 現場の土工の親方がプンプン怒っていた。
「なにか あったのかい?」覚えたての北海道弁で聞く。
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