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天井の高い家に住みたいとと思うようになった。
居室の天井の高さは建築基準法で2.1m(旧7尺) 以上と決められている。
若い頃は共同住宅ばかり造っていた環境にいた。それが普通と思っていたから情けない。
部屋の窓の大きさもこれ以上小さくしてはいけない寸法だ。居室の採光面積からきている。
床の高さも地面から45cm 以上の規制ギリギリの高さに畳があり絨毯がある。
おかげで床下に空気攪拌器?なるものを2台 設置した。一台5~6万したと思う?
階段だけは なんとも不可思議だが規制値を少々上回る寸法になっている。これは規制値が異常なのだね。
大体 基準値の蹴上げ23cm 踏面(フミズラ)15cm と言う その寸法そのものの数値がおかしい?
何処から規制された数値がでたのか?調べたことがないが不思議な数字だ。
我が家の二階に上る階段は蹴上げ18cm 踏面(フミズラ)18 cm で 規制値と比べるとやや余裕?がある。・・とは言うものの勾配は科矩(カネ)勾配である。← 住宅に限り緩和されている数値である。共同住宅は別である。
太って身体が重く膝の悪い我輩には苦しい階段である。
手摺を付けたいが階段の幅に余裕がない。基準法ではそこまで規制していない。
それを良いことに階段幅は80cm を切る。パネルの芯芯3尺で施工されているからだ。
この家に住んでもう30年? 軸組日本家屋なら まだまだ朽ちる年数ではないが既に一部パネルに異常が見られる。
パネル自体が構造体であるから簡単には補修はできない。
日本の住宅建築に大いに考えさせられる。
次世代住宅のモジュールは早急に変えてほしい?
寝転べば 天井せまり 背も冷える オサム
ゴキブリもダニも蚊も居る 終の家 オサム
夏?の季語?川柳だね。
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http://mainichi.jp/opinion/news/20130121k0000m070081000c.html 以下全文
余録:はるか北方の暗い海に鯤という巨魚がいる…
毎日新聞 2013年01月21日 00時06分
はるか北方の暗い海に鯤(こん)という巨魚がいる。それがいったん変身すれば、翼長何千里とも知れぬ鵬(ほう)という鳥となる。海の荒れる季節、鵬は風に乗って南の海に向かって飛び立つ。9万里の高さに上り、6カ月の間休むことなく飛び続ける
▲「荘子(そうし)」が記す巨鳥にちなむ「大鵬」は、漢籍好きの先々代二所ノ関親方秘蔵の四股名であった。先に使われるのではと気が気でなかったが、期待の愛弟子が十両に昇進して、満を持して言い渡す。だが当の納谷幸喜さんは戸惑った。「ズドーンというあれですか?」
▲その3年前、北海道の営林署の力仕事をしていた納谷少年がある日、上司に「きょうはいい」と言われた。するとおじに相撲の巡業を見に行こうと連れて行かれ、あげくに「ここに残れ」と言われて着のみ着のまま巡業の一行に加わった。始まりはそんな時代だった
▲その名の通り大鵬はたちまち昇進をとげ、第48代横綱の天空に達する。柏戸という好敵手を得て飛び続けた12年間はほかでもない日本が高度成長の坂道をかけのぼり、目もくらむような社会の変貌(へんぼう)を経験した時代である。その坂道で人々が仰ぐ空に大鵬は舞い続けた
▲「巨人・大鵬・卵焼き」は当時の熱気を後世に伝える“不滅の流行語”だろう。ただし当人は天性を評価されるのを嫌った。「僕は天才ではなく、苦労してはい上がる努力型です」。優勝賜杯を受ける時いつも考えていたのは「これで来場所はまた大変だな」だった
▲鵬は南方の天の池を目指すという。貧苦や傷病の重力に抗して飛び続け、人々と時代の元気を分かち合った翼は今、池のほとりで静かにはばたきを終えた。
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つぶやき ぼやき
海外から帰国した社員が言うことは一応に日本は窮屈だ。
「早く元の勤務地(海外)に帰りたい」だった。彼等は帰国して日本は人が多すぎるしせせコマ過ぎるとも言っていた。
もっとおおらかな生活はできないのか?だった。海外に出る前はそのようなことは一切いわなった。
私の勤めていた会社では海外勤務者の給料の全額は内地にいる家族の元に振り込まれ海外で働く社員はそこで生活に必要な分だけ支給されていたと聞く。
海外に2年 勤務すれば家が建つとも言われたものだ。
彼等の話す外国のことは日本しか知らない我輩には理解できないことばかりだった。
追伸に書くことではないが きょうは亡き母の祥月命日である。昭和48年1月22日 早朝 胸の苦しさを父に訴える。夕方 亡くなる。享年 63歳。心筋梗塞だった。寝たきりを予想していたのか納屋には多くの母の手によるオムツが作ってあって家族の涙をそそった。
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お若くして亡くなられ、ご無念だったこととお察しいたします
人はなぜ愛する人と無理やり別れねばならないのでしょう
その逝く人、送る人は悲痛な思いをせねばなりませんね
受けた数々の愛情の深さ、楽しい共有の日々・・が
思い出となって、胸を締め付けたり暖かくしてくれたり・・
けれども、この世に残っている人は、毎日の慌ただしい生活があり、悲嘆にくれるばかりしては前に進めませんね
だから強い心でいたいです。故人もきっと「私のことは心配いらないから、しっかり生きて行きなさいよ」と仰ることでしょう。
osamu様はお母様から花まる印がいただけますね^^。
まずは交流会無事終了おめでとうございます。日ごろの膝の強化運動のおかげですね。
当方は左ひらめ筋の痛みで、よたよたとかかと歩きをしています。長い正月休みの後、急に10回以上運動をし、冷たい体育館をはだしで走ったのが主因と思います。断じて2kg太ったからとは思いたくありません。奥方は冷たく(それだわ~)といいますが。
海外出向:同僚の大半は4~5年で日本に返してくれ~と言っていました。条件はいいのですが、出張時聞くと文化の違いは、やがて辛抱できなくなるようです。偏見の無い国ですらそうで、まして偏見のある国では大きなストレスのようでした。
友人の一人は大会社だったので、世界各国を回り、政情不安な国では現地の社長が殺害され、自分達もピストルを購入し国境まで逃げたと(自動小銃には勝てるべくもないのだが、おぼれるものは~状態だったからな)と言っていました。
アルジェのこともあり、危ない国に出る場合は、会社も良く考える必要があります。
これらの国では(人命は地球より重い)など平和ボケの物差しは通用しませんね。草々
飽食ボケ拝
毎日新聞、・・・・・・。
詳しい説明から、伝わってきました。
「大鵬」、・・・・・・。
「僕は天才ではなく、苦労してはい上がる努力型です」「これで来場所はまた大変だな」だった、・・・・・・。
惹かれました。
納屋には多くの母の手による手作りオムツに、家族の涙そそり、・・・・・・。
涙、涙、・・・・・・。
昨日も、大変に嬉しいコメント&応援ポチに、心より、恐縮、、深謝、深謝です。
応援ポチ♪♪
温かい言葉有難うございます。
故 植村(敬一?)先生のビデオを昨夜見ました。違いますね~ 植村先生には5年以上も師事したのですが・・・。
私の会社では海外勤務を経験した者は殆ど二度と日本には帰りたくないと言っていましたし退社するとある人は豪州のパースに移住してそこに会社の移住組で村を作ったといって居ました。毎日ゴルフとボートでカジカ?大物の魚釣りだとか?羨ましいことばかり書いてきましたが返事を出さないので今は連絡が途絶えました。(苦笑)
>これらの国では(人命は地球より重い)など平和ボケの物差しは通用しませんね
こんな寝ぼけた言葉が通じたのですね。おかげで又銃乱射による被害者がでました。被災者には日本政府で補償したようですが詳細は報道されませんでした。
これは知りませんでしたね~横綱もかれくらい品位がるといいですね。アサセイリュウなど横綱の名を汚しただけです。
コメント&応援有難うございました。