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明治政府が朝鮮を併合したことは、まさに「ブタに真珠 」であったようだ。
明治政府が朝鮮に施政した政策には日本の国家予算の 20 %を投じてダム・教育施設・インフラ 等 図りしれない改革や改良をお粉っyたが今やそれが仇となってきている。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/rekishi03.htm
下記 記事は上のURLの記事から一分を数回に分けて抜粋し安した。
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>また朝鮮では、学問は排他的な朱子学があるだけで、科学も、医学もありませんでした。学校も病院も治水施設等もほとんどなく、中国の文豪・魯迅からは「世界一貧しい国」とまで呼ばれた国が朝鮮でした。
外国人は、ソウルを「世界有数の不潔な街」と評し、道で糞尿を踏まずに歩くのは不可能だったと述べています。
街には鼻をつく悪臭が満ちていました。また当時の朝鮮にいた宣教師は、あまりに水がきたないので、風呂に入れば、入る前よりも汚れてしまうほどだったといいます。
商売はいまだに物物交換が主流で、ろくな産業も道路もありませんでした。
また人々は、冬の寒さをしのぐ薪とするために山の木をみな切ってしまうので、山がいたるところハゲ山と化していました。そのために泥水が流れだし、農業も壊滅状態にありました。
しかし一番の問題は、そんな極貧の状態で、内乱が頻発していることでした。
政治は混乱し、いまや李朝末期の朝鮮は崩壊寸前だったのです。
国際連盟の事務局次長であった新渡戸稲造は、「枯死国朝鮮」と呼び、国家的な死に瀕したのが朝鮮だと述べました。 また当時、朝鮮人の玄永燮は、
「日韓併合前の朝鮮は地獄であったといってもよい」
と述べています。<
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>生まれ変わった朝鮮
日韓併合当時、日本人は決して朝鮮を「植民地」とは考えていませんでした。むしろ日本本土の延長と考えていました。
西欧の植民地ではどこも、搾取が行なわれていましたが、日本は朝鮮に対し巨額の投資を行なって、国造りをしていったのです。それは朝鮮を、日本本国の延長と考えたからです。
朝鮮統治は、最初から最後まで、日本にとってはいつも「持ち出し」でした。日本の税金によって朝鮮の建て直しを行なったのです。もともと朝鮮には、搾取できるような富も、資源もありませんでした。
搾取というなら、日本政府は日本人から搾取して莫大な富を朝鮮半島につぎ込んでいったのです。
たとえば黄文雄著『韓国は日本人がつくった』(徳間書店)によると、朝鮮での歳出はいつも一五~二〇%の赤字で、その赤字分はいつも日本本国から補填されていました。
また朝鮮の京城帝国大学の図書館予算は、東京帝国大学の一〇倍にものぼりました。
地租(土地の税金)にしても、日本国内が二五%だったのに対し、朝鮮ではたったの三・八%。それだけ朝鮮人の負担を軽くしたのです。
米価の設定も、生産者の手取り価格は一石あたり五〇円であるのに対し、消費者価格は四三円(一九四一年)。逆ざやです。つまり、生産者からは高く買い取り、消費者には、買った値段より安く売っていたのです。
いかに朝鮮の人々が手厚く保護されていたか、この一事をみてもよくわかります。
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また、日本による統治以前、朝鮮は衛生事情がきわめて悪く、西洋医学もなかったため、毎年、疫病によって多くの人々が死にました。しかし日本は、朝鮮国内の衛生事情を改善し、医学知識を教え、病院を建てました。その結果、疫病も猛威をふるうことはなくなりました。
日本統治以前の朝鮮は、どこへ行ってもハゲ山で、土地はやせていて、毎年、多くの餓死者を出しました。当時の朝鮮を旅したジェロトケビチの『朝鮮旅行記』や、シャルル・ダレ神父の『朝鮮事情』にも、その惨憺たる状況が描かれています。
しかし、そこにダムを造り、治山、治水事業を行ない、やせた土地を開墾し、荒れ地を農地に変えていったのは日本人たちでした。日本人はまた朝鮮人に愛林思想を教え、山に木を植え、また効率のよい農作技術も教えていきました。
こうして「日帝三六年」の間に、農業生産は飛躍的に拡大したのです。朝鮮の人口も、二・四倍に増加しました。これには衛生事情の改善や、医療、また食糧事情の改善などが影響しています。
日本統治以前、朝鮮にはろくな道路も、港湾も、鉄道も、空港もなく、整った貨幣制度もなく、近代的な法律体系もなく、産業の基盤となるインフラはほとんどありませんでした。しかし日本は、それらのものを、わずか三六年で疾風怒濤のように整備していきました。
李朝末期の朝鮮はまた、ソウルを除くほとんどの地域で、強盗のはびこる社会でした。
内乱も頻発し、道にころがる死体を見るのは日常的なことでした。けれども日本統治下で治安は安定し、強盗の多くは姿を消し、また李朝末期に比べれば内乱もはるかに少なくなったのです。朝鮮人の玄永燮は、 「日韓併合によって旧来の習はすべて改められ、生命に満ちあふれた新朝鮮に生まれ変わった」 と述べました。
日本は奴隷制を廃止した
日本が朝鮮を併合したとき、朝鮮の王族は尊重され、日本の皇族からの厚い待遇を受けました。これは、かつてのフランス革命のときにルイ一六世がギロチンにかかったことや、ロシア革命の際に王室が滅ぼされたことと、きわめて対照的です。
またイギリスがビルマを植民地としたとき、ビルマの王室は悲劇の運命を歩みました。しかし日本統治下の朝鮮王室は、存続しただけでなく、きわめて厚遇されていたのです。
一方、日本は、朝鮮にそれまで存在していた奴隷制を断固、廃絶しました。
朝鮮には、あのインドのカースト制にも匹敵するひどい階級差別が存在していたのです。
これは日本の江戸時代の士農工商とも違い、東アジア社会ではほかに見られない最も頑強な階級差別でした。
とくに最下級のは、売買される奴隷であり、財物とみなされ、家畜と同様の扱いを受けていました。
主人が奴隷を殺しても、殺人罪にはなりませんでした。奴隷は、朝鮮人口の約四三%もいました。
朝鮮の奴隷(奴碑)。日本はこれを廃止し、万民平等とした。
日本はその奴隷制度を廃止し、階級差別をなくし、そこに万民平等を敷いたのです。
朝鮮の国土開発計画は、こうした元・奴隷を「労働者」として雇うことによって行なわれました。その際、日本は彼らに「日当」を支払いました。当たり前のことと思うかもしれませんが、かつての李朝朝鮮時代には奴隷に給料が支払われることはなかったのです。
日当が支払われたことは、朝鮮半島の歴史始まって以来、破天荒のことでした。
日本統治時代は彼らにとって、文字通り奴隷からの解放であったのです。日本の強権統治を批判する向きもありますが、このような未開社会を改革するには、強権統治以外にはなかったでしょう。
李朝時代の朝鮮の階級別人口は、奴婢(奴隷)が約四三%、良民(常民)が約五〇%、残りの約七%は「両班」(ヤンパン)と呼ばれる人々でした。良民は普通の人々、「両班」は特権階級の官吏、公務員です。日本はこうした階級制度の廃止を断行しました。
階級制度の廃止で、と良民は喜びました。しかし両班にとっては、それは特権の喪失を意味しましたから、彼らは日本に対し恨みを持ち続けました。日本が大東亜戦争に負けて朝鮮半島から引き上げていったとき、朝鮮の指導者となったのは、この両班の流れをくんだ人々でした。
彼らは、朝鮮の教育界を反日一色にしていきました。
両班が反日運動の流れをつくった
日本に恨みを抱いたこの「両班」と呼ばれた人々について、もう少しみてみましょう。
李朝時代の朝鮮に君臨した支配層は、王族とこの両班でした。一方、江戸時代まで日本を支配していたのは、武士たちです。
支配層の考え方や思想は、国全体の国民性に深く影響します。
日本の武士たちは、忠実、誠実、勤勉、正直、勇気、先取性、自主独立等を人間の徳と考える人々でした。また「滅私奉公」という言葉があるように、私利私欲は悪であり、公に奉仕することこそ人の道という考えを持っていました。
一方、朝鮮の両班の人々は、労働を蔑視し、「箸と本以外に重いものを持たない」といわれるほどの労働蔑視論者でした。
彼らは、額に汗して労する農民たちをさげすみながら、その農民たちから搾取して自分たちの生活を支えていました。
両班は、儒教の一つである朱子学を奉ずる人々でした。朱子学では、人間を「君子」と「小人」に分けます。小人とは一般の働く人々で、君子は、働かずに身を動かさないことが原則なのです。
聖人君子は働いてはいけないとされ、彼らは極端に労働をさげすみました。
スポーツも、彼らは忌み嫌いました。すなわち、本を読み、労働せずに暮らすのが彼らにとって正しい生き方なのです。
怠惰と、異常に高い気位が彼らの特徴でした。その最高の美徳は、働かずに得る不労所得でした。両班の実態について、グレゴリー・ヘンダーソンは『朝鮮の政治社会』のなかで、
「国家と民衆を食い物にして私腹を肥やすことしか考えていなかった」 と記しています。
彼らは「公」に奉仕するのではなく、私利私欲に生きる人々だったのです。そして、国内では極度に頭を下げる事を嫌い、少しでもプライドが傷つけられるような事になれば、烈火のごとく怒りだす人々でした。
しかしその一方、両班は、中国に対しては「事大主義」(じだいしゅぎ)を通しました。事大主義とは、大きな勢力に逆らわず、ペコペコして、追従して生きる態度をいいます。
一〇〇〇年にわたって中国の「属国」であった朝鮮では、宗主国・中国の意向にいつもペコペコして、年貢を納め、中国の要求には何でもお従いしますという態度がしみついていました。両班はその代表的な人々だったのです。
中国に対するその卑屈な態度は、そのうっぷんを晴らすかたちで、国内では逆に、彼らの異常に高い気位となって現われていました。
自己批判をした韓国人
この事大主義は、ほかにも、その後の韓民族の民族性の多くの源泉となりました。朝鮮の作家であり、思想家でもある李光洙(一八九二年~?)は、李朝の成立によってゆがめられた韓民族の民族性を、次のような言葉で表しています。
「虚言、詐欺、相互不信、美辞麗句、空理空論、阿諛迎合、面従復背、大勢従応、無知、悪口、卑屈、臆病、無決断、反社会的利己心…」
属国根性はこれらを韓民族に植えつけた、というのです。
大東亜戦争後にも、韓国の優れたリーダーであった朴正熙大統領(一九七九年に暗殺された)は、自著の中で韓国人の民族性の欠点をきっぱり指摘し、自己批判をしました。彼は、韓国民が克服すべきものとして次の事柄をあげています。
1 事大主義
2 怠惰と不労所得の観念
3 開拓精神の欠如
4 企業心の不足
5 悪性利己主張
6 健全な批判精神の欠如
7 党派意識
8 特権・エリート集団意識
いずれも、一見してかつての両班たちの伝統から来たものであることが、わかります。どんな民族にも、もちろん欠点はあります。日本人にもあります。しかし、韓民族が今日も持つこれらの欠点は、両班の精神性を受け継いだものであることを知る必要があるでしょう。
これらは、日本統治時代に形成されたものではありません。それ以前からあったものです。そして、日本統治時代が短かったために両班の特質が消し去られず、それが今も韓民族の中に生き続けていることが問題なのです。
もし日本に罪があったというなら、日本の最大の罪は、朝鮮での統治が短かすぎて両班の精神性を消し去れなかったことでしょう。
強制連行、従軍慰安婦は本当か
近年、かつての日本軍による朝鮮人の「強制連行」が騒がれたことがあります。朝鮮人を無理矢理連れてきて、日本で働かせたというのです。これを言い出したのは、在日朝鮮人でした。
しかし、事実は全く逆です。日本統治時代に、多くの朝鮮人が貧しい朝鮮を離れ、われ先にと、裕福で高い給料をもらえる日本に働きにやって来た、というのが事実です。
彼らの流入は、日本の内地の失業者を増やしただけでなく、犯罪者となって悪事をする者も多くいました。それで政府は、これ以上朝鮮人が日本に流入しては困ると、制限をかけたほどです。
強制連行どころか、阻止したいほど勝手に入ってきたのです。そして日本の敗戦後は、彼ら朝鮮人は、望むなら「タダで」朝鮮に帰ることもできました。費用は国が払ってくれたのです。しかし多くの朝鮮人が日本に残りました。
そして戦後五〇年もたってから、在日朝鮮人は、自分たちは「強制連行」されて連れてこられた、と騒ぎ立てたのです。
しかし、もし強制連行なら、なぜこの五〇年間、韓国から帰還要求がなかったのかの質問に、彼らは答えようとしません。また、もし強制連行ならなぜこの五〇年間、韓国に帰ろうとしなかったのか、の質問にも彼らは答えません。
さらに、彼らは日本での劣悪な労働環境などを口にしますが、当時は日本人もみなそうだったのです。たとえ劣悪な労働環境であっても、朝鮮で働くよりは給料が高かったので、彼らは望んで日本に働きに来ていました。
にもかかわらず、彼らは自分が被害者であると言いたがるのです。このような被害妄想は、日本人には到底理解できません。しかし、ここに両班以来の精神性が今も生きているのをみるのです。
いわゆる「従軍慰安婦」にしてもそうです。韓国は一九八〇年代意向、日本に対してしきりに「従軍慰安婦」問題を追求してきています。しかし、韓国の歴史をひもといてみるならば、「慰安婦」というのはもともと韓国の文化であったことがわかります。
朝鮮半島は昔から、アジア最大の「貢女」の産地とみなされていました。そこからいつも中国に対して、「慰安婦」が届けられていました。そうした「慰安婦」は、日本の吉原などの大衆文化とは違い、国家管理売春として行なわれていたのです。
最近まで韓国は管理売春国家として有名でした。「妓生」などは今でも存在します。韓国では昔から「慰安婦」の輸出や売却、韓国人経営の「慰安所」の輸出などがなされてきたのです。
韓国人は、かつて日本が多くの朝鮮女性を「従軍慰安婦」として強制連行したと非難しますが、そもそもその事実を示す客観的証拠など存在していません。また、たとえあったとしても、日本を非難するよりもまず、自国がなしてきた数多くの慰安婦の歴史を反省するほうが先決でしょう。
台湾の歴史家・黄文雄氏は、韓国人の欠点として、「悪いことを反省するのではなく、他人のせいにする」ことをあげています。残念ながら、ここにも両班以来の精神性が残っているのです。
韓国は他国を侵略したことがない?
今も韓国では、両班の流れを汲んだ反日的な人々がつくった教科書を用いて、歴史教育が行なわれています。そこには一体どんなことが書かれているのでしょうか。そこには、
「韓国は、他国から侵略されたことはあるが、他国を侵略したことは一度もない平和愛好の民族である」 と書かれています。そして多くの韓国人は、教えられたとおり、これを事実として疑いません。けれども、実際には韓国は何度も他国を侵略しています。
元寇のとき、朝鮮半島の高麗軍約一万人は、モンゴル軍に合流して日本を二度侵略しました。その際、彼らは壱岐(いき)、対馬(つしま)の住民を虐殺しています。また二〇〇人の童男童女を強制連行して、高麗の王に献上しました。
壱岐にある元寇の船の碇(いかり)石。左京鼻沖で
発見された。高麗(朝鮮)軍は、二度にわたって
日本を侵略し、壱岐・対馬の住民を虐殺した。
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つぶやき
上の内容は韓国の学校では一切 教えていません。自国に都合のよいように歴史さえねつ造した内容を教えていると言われます。
韓国の教科書の日本語版を何故 日本で販売しないのでしょう?
若しも日本人がみれば呆れてものが言えないことだと思います。日本の教科書にはすぐにイチャモンを付けてくるが自国の教科書に日本から文句を言われることは嫌がります。
日本の外務省もだらしないことおびただしいです。何一つ韓国には文句を言いません。
ところで先ずは上のURLの記事の中の一部です。
>大東亜戦争後にも、韓国の優れたリーダーであった朴正熙大統領(一九七九年に暗殺された)は、自著の中で韓国人の民族性の欠点をきっぱり指摘し、自己批判をしました。彼は、韓国民が克服すべきものとして次の事柄をあげています。
1 事大主義
2 怠惰と不労所得の観念
3 開拓精神の欠如
4 企業心の不足
5 悪性利己主張
6 健全な批判精神の欠如
7 党派意識
8 特権・エリート集団意識
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セオル号沈没事件でも船長は先ず自分が逃げています。
今また韓国が北朝鮮から攻撃を受けたら日本は韓国を助けるのは当然と韓国高官は述べています。なんとご都合のいいことを言ってるのでしょう?しかも日本の「集団自衛権 」には反対しています。これでは助ける「法」がありません。
虫がよすぎることも平気で主張する厚かましいというより日本そのものをバカにしていることに気がつかないようだ。あるいはそれも承知のうえで言っているのかも?
余りに主張が支離滅滅です。 物事を論理的に考える能力にも欠けている。このような国とはお付き合いはごめんこうむりたいね。勿論 我々から言わせれば助ける謂れはないです。
ついでながら日本にいる朝鮮系代議士及び議員は早々に半島に帰国してほしい。彼らは日本の国に害のみの存在しかない。まさに日本の国の寄生虫と化している。
また韓国人の日本国籍取得も厳しくして欲しいものだ。
在日のまま「生活保護」を受けている人のなんと多いこと。日本は実におかしな国となっています。
きょうは8月 15日終戦記念日 改めて騒がしいお隣の韓国併合の弊害を考えてみた。
「おしん」のような極貧ながら明治政府は朝鮮を支えてきたことが今は仇となってきている。
マタイ伝 第7章
また眞珠(しんじゅ)を豚(ぶた)の前(まへ)に投(な)ぐな。恐(おそ)らくは足(あし)にて蹈(ふ)みつけ、向(む)き返(かへ)りて汝(なんぢ)らを噛(か)みやぶらん。
註解: 彼らは福音を受けざるのみならず、かえってこれに対して冒涜を敢てし、又この福音の使者に害を与えることがある。これによりて啻(ただ)に彼らを救うことができないのみならず自らも損害を蒙り、殊に福音が汚され神の御栄えが涜(けが)されることは許すべからざる事柄である。ゆえによく人を見分け、かつ自己の齎(もたら)すものの貴重さを敬重しなければならぬ。▲外国人宣教師が日本人に伝道する際に本節の注意が殊に必要である。
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追記 15 日 午後7時
中国で出所の高氏、拷問で「精神破壊」 歯抜け22キロ減、会話不能…妻は米に対中圧力要請
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140815/chn14081516110002-n1.htm
今日8月15日は69回目の終戦記念日ですね。
国の政策とは言え不幸にして亡くなられた人々に1分間の哀悼の黙とうを捧げましょ~!
そして「生きていて色んな事の巡り合いに感謝しましょ~!」
ーーToYouPC--
*今日の日韓併合の記事をゆっくりと読ませて頂きました。
☆「神奈川県人気ブログランキング」に→応援のポッチ!!
ーMyBlogへのお誘い!-
('_')今日は8月度最後の観光旅を北九州よりお届けしますので一緒に行って見た気持ちに成って頂ければ幸せます。
!(^^)!ご覧頂いた感想やご意見をお待ちしていま~す!バイ・バ~ィ!!
終戦の日にテレビから流れてきたニュース音声です。
韓国の事か?と思ったら「企業の設備投資が五期ぶりのマイナス」だったそうで(笑)。
本日の天皇陛下の御言葉「戦没者に哀悼を捧げるとともに、我が国の一層の発展を祈ります」。
韓国人は「日本はまだ発展するつもりなのか!」。と思ったでしょうね。お前らには分からんだろうと言いたいです(笑)。
門司港 いい建物が一杯でした。ところで関門トンネル調べますと沢山あるのですね~驚きました。
ただ 米国がやきもきすることでしょうね?やがて米国も口撃するようになるのでは?中国の思う坪でしょう?
現在の韓国企業はピンチのようですよ・・・。中国に飲み込まれるかも?
本日は敗戦記念日、奥方は息子と一緒に里へ墓参りです。私は奥方に頼まれた用事があり太極拳教室へ。
基本の基本で全国3位まで行った男性から、脇が詰まると、直されました。やはり7年やっても、50年の脇を詰める(脇は急所なので閉めなければならない)空手癖は治りませんね~、しばし集中して直しますが。
シセイシュは何度やっても正確に覚えられません。齢のせいもあると思いますが、これは集中してやることで、体に覚えさせないと上達しないのではと思います。自主練習では悪癖が付きそうですし。
先日NHKでペリリュウ島の激戦に関し、アメリカのビデオを放映していました。島の戦略的重要性が亡くなってからも米、日の意地で最後まで戦ったと。生々しい画像でした。
一番印象に残ったのは、日本兵に銃剣で襲われ、腹に二発撃った海兵隊員が、死んだ彼のポケットから家族の写真が出てきたので頭を抱え、そのままずっと座り込んでいる画像でした。至近距離だったので、彼も人間に返ったのでしょう。
日本兵も狙撃せず、銃剣攻撃とは~弾薬も尽きていたのかもしれません。撃った彼にも家族はいたはずで、生き長らえても、それを一生引きずってきたことでしょう。
これが戦争なのだと、生映像なので説得力がありました。
日本兵1万人以上ほぼ戦死、海兵隊の死傷者も数千人、その他精神を患った海兵隊員が多数と、アメリカ戦闘史上最大の損害であったと。
この激戦で日本軍は徹底的に戦うと見たアメリカは、その後沖縄、本土無差別攻撃に拍車をかけ、それが東京、長崎、広島などの民間人虐殺につながった?
今も日本兵の遺骨数千体が残っていると。現地人は、危ないので島から出され、戦闘が終わってから日本兵の遺体を埋葬してくれたそうです。今もまだ地雷などが残っており危ないので立ち入り禁止と。
遺骨収集に関しては、現地人はせっかくここが終焉の地なのだから、なぜ遺骨を掘り起こすのか?との考えがあると。なるほどまだ沈んだ船の中の兵隊(民間人も)もそうだな~
戦争は避けるとしても、戦う気概は捨ててはならないとは思いますが。弱いといじめの標的になります。せめてプルトニュウムはたくさん保管しておかなければ? 草々
メタボ拝
>死んだ彼のポケットから家族の写真が出てきたので頭を抱え、そのままずっと座り込んでいる画像でした<
私も同じシーンでは胸を打たれました。玉砕・突撃も許されず・・・大本営の命令には逆らえない当時の指揮官 さぞつらかったでしょうね。
命を賭して守った今の日本の現状をなんとみるでしょう?
戦争を避けるには攻め込む敵が恐れる武力が必要です。
私は丸裸では国は守れないと思っています。
街頭取材では多くの方が 「絶対に戦争はしてはならない」と言っていますが・ではどうすればいいかは?は問われていません。一番肝心な質問は避けています。これが戦後の教育ではないでしょうか?
ペリリュウ島のようなことは他にもあるのでは?とも感じましたが・・・。遺骨収集も命掛けですね。 戦争を避けるには 「いざ」 と言う時に押す「ボタン」 も必要のようです。
玉砕は代表的な黄島始め、何ヶ所もありますが、今まではいつのまにか忘れております。今回調べると、もう少し調べないと、大戦で亡くなった兵士、民間人に申し訳ないと思うようになりました。インパールもシベリア抑留も~そういえばロスケ~4島返せ~
さすが日本!原潜ならずとも長期間海に潜れる潜水艦を過日進水させました。これにプルトニュウム入りミサイルを搭載し、刺し違える姿勢を見せなくてはなりません。
このディーゼル潜水艦は、今後多数作成し、日本だけが終末でなく、近隣諸国も引きずりこまなくてはなりません。その覚悟があっての抑止力と思います。(これは極秘なので誰にも言えませんが 笑)
韓国はここまでいじけると、もはや、50年、100年での短期修正は無理と判断します。とりあえず来るであろう経済危機の時には助けてはならないと思います。どっち道恨まれるので、我が子孫のための資産を使ってはなりませぬ!くねくねは本音は違うなど言っても、立場上言ったことに責任を取らなくてはなりませぬ!なりませぬ!
先日3500年前の大陸の土器を見て感慨を覚え、それからいろいろ本を読んでみましたが。先日のTVで6000年前の日本の縄文時代の櫛(紅い漆塗り)が発掘されたと。
なぬ~縄文時代は文化らしいものもないと思っていましたので、大反省!見直さなくてはと。~花一輪、髪を櫛すく乙女かな~
ちょうどNHKで上山春平氏(哲学者、故人)が、稲作の始まった弥生時代からでなく、以前にもちゃんとした文化があったとおもうと。
さっそく氏の(照葉樹文化?)の本を発注いたしました。日本国の縄文を軽んじておりました。反省~盆は暇なので妄想が湧き、本も読めます。 草々
メタボ拝
>日本の縄文時代の櫛(紅い漆塗り)が発掘されたと。
そうですか?全く知らなかったです。よく見られていますね~。
今 国立美術館(上野)で台湾の故宮の宝物展が開かれていますが足が悪いので行けません。残念です。 早く膝を治したいですが食い意地が張って根性もないので難しいですね。 三越の工芸展も もう何十年も行っていません。現役時代 時に会社をサボって行ったことが懐かしいです。行き先は富士 第二サテアン? 冗談ですが・・・。