手術から二年ほど経って、だいぶ楽に歩けるようになりました頃からのお話。
(ちなみに、今は三年目。)
試歩に付き添ってくれてるパパさんから、尋ねられた。
『片方ひきずってるけど、足、痛いの?』
え?
お店の脇を歩くときなどに、心がけてガラス窓に映る自分の姿を観察してみました。
あ~、なるほど。
左足、ひきずってるというか、ぴょんこぴょんこ、歩いてるんだなぁ。
普通にしてると思ってた。気がつかないもんなのね~。
(あたしが鈍いだけ?)
意識して一歩ずつ足を運ぶと、ちゃんと歩けます。(の、つもり)
右足の足の裏、左足の裏、つま先からかかとまで、地面に着く瞬間をずっと意識していると、実はものすごく疲れます。
今足先がついた、いまかかとまできた、膝が曲がってる、それを伸ばして、と、コンマ0.何秒のうちに意識集中。
そうやると、見た目は普通に歩いてる。
・・・めんどくさっ。
左側には人工肛門の袋をぶら下げてますから、左右の重さが均一ではない、のだけど。
まさか、それで身体が傾いてる??
気を抜くと、確かに左、少しタイミングが合わない歩き方だよなぁ。
これじゃ、疲れやすくなるわけだわなぁ。。。
健康だった時には、思いつきもしないことでありましたよ。
じわじわ老いる時には分からない、ガンの手術で一気に来たから指摘されたのかもしれない出来事。
変な歩き方をしていると、腰にきます。
じんわ~~~、っと痛んできます。
止まって、腰をさすさす、さすってやると、おさまるのですが、毎回だとイラっ、とする。
でも、ちょっと前には、自分の車まで来て、横にしゃがみこんで立てずにいたのだから、今は元気になったんだな。
とりあえず、筋肉戻さないと。
術後、文字通り「骨格標本の上に皮」状態になりましたことを思い出すと、現状はありがたいとしか言えない。
忘れない、忘れない、まっすぐ歩く、足二本を意識する、大事に大事に。
最近の呪文です。
健康だった時には、他の人がそういう状況でも、あたしはなーんも考えて無かった。
ごめん、ということでもないのかもしれんけど、なんとなく、ごめん。
まだまだ、学ぶこと、たくさんあるんだなぁ。
(ちなみに、今は三年目。)
試歩に付き添ってくれてるパパさんから、尋ねられた。
『片方ひきずってるけど、足、痛いの?』
え?
お店の脇を歩くときなどに、心がけてガラス窓に映る自分の姿を観察してみました。
あ~、なるほど。
左足、ひきずってるというか、ぴょんこぴょんこ、歩いてるんだなぁ。
普通にしてると思ってた。気がつかないもんなのね~。
(あたしが鈍いだけ?)
意識して一歩ずつ足を運ぶと、ちゃんと歩けます。(の、つもり)
右足の足の裏、左足の裏、つま先からかかとまで、地面に着く瞬間をずっと意識していると、実はものすごく疲れます。
今足先がついた、いまかかとまできた、膝が曲がってる、それを伸ばして、と、コンマ0.何秒のうちに意識集中。
そうやると、見た目は普通に歩いてる。
・・・めんどくさっ。
左側には人工肛門の袋をぶら下げてますから、左右の重さが均一ではない、のだけど。
まさか、それで身体が傾いてる??
気を抜くと、確かに左、少しタイミングが合わない歩き方だよなぁ。
これじゃ、疲れやすくなるわけだわなぁ。。。
健康だった時には、思いつきもしないことでありましたよ。
じわじわ老いる時には分からない、ガンの手術で一気に来たから指摘されたのかもしれない出来事。
変な歩き方をしていると、腰にきます。
じんわ~~~、っと痛んできます。
止まって、腰をさすさす、さすってやると、おさまるのですが、毎回だとイラっ、とする。
でも、ちょっと前には、自分の車まで来て、横にしゃがみこんで立てずにいたのだから、今は元気になったんだな。
とりあえず、筋肉戻さないと。
術後、文字通り「骨格標本の上に皮」状態になりましたことを思い出すと、現状はありがたいとしか言えない。
忘れない、忘れない、まっすぐ歩く、足二本を意識する、大事に大事に。
最近の呪文です。
健康だった時には、他の人がそういう状況でも、あたしはなーんも考えて無かった。
ごめん、ということでもないのかもしれんけど、なんとなく、ごめん。
まだまだ、学ぶこと、たくさんあるんだなぁ。
日本の若い女の子たち、ひたすら細くなるにはどうすればいいか、細いことこそ美、みたいなのがトレンドっぽいけど、
あんな細くて筋肉ないまま年をとってって大丈夫なんかなって思います。
彼女たちに言わせると筋肉が脚につくこともダメなんだそう。
Otikomiさん、タンパク質ですよー。
それから出来る範囲の筋トレですよ。
「筋肉は裏切らない」って言われてるじゃないですか、あれ本当です。
鍛えるとちゃんとついてきます。ただ筋肉は裏切らないけど放置しておくとすぐなくなりもするんですよね。。。
だから出来る範囲で増やさないといけないんです~
でもOtikomiさん、本当にお元気になられましたよね:)
それだけでも素晴らしいことです!
血縁は無い親戚に、子どもの頃からの障害で運動ができない子がおりました。
今でこそ、さまざまな身体の鍛錬方法がありますけれど、大昔は、そういう子は
ひたすら「大事に」扱われておりました。
歩くとかは普通にできましたので、あまり気にしてませんでしたけど
おとなしい子、という印象でした。
「うん^^」とか、「いやぁだ」っていう表現はしてました。
今の、普通のお子さんたちと、あまりかわらない、かな。
今のお子たち、って、机に座ってゲームとか、一日中やってますでしょ。
あんな感じ?昔には珍しい光景でした。
普通っていうと、山や野原を駆け回ったり、夕飯のご飯を炊く焚きつけにするための杉の葉を拾って帰るのが、ありきたりの子どもの姿だった、です。
おくどさんで煙にむせながら火を焚いて、鍋のつばの数を鍋底の寸法に合わせて設置して
家族が野良から戻るまでの間にご飯を炊いたりお味噌汁を造ったり、
夕餉の臭いが漂う頃には日暮れの赤い日差しが窓から床に落ちて
大きな柱に造った棚に置いたラジオから、いつものドラマの音楽が流れてきて
早く家族が戻らないかなぁ、って。ひざをかかえていたこと、懐かしく。
あ、運動とか筋肉の話だった^^;;
で、その、大事にされてた親戚の子、ね。
四十才で、亡くなりました。死因は「老衰」だった、です。
心がけて動かないと、人間の身体はどんどん退化します。
身にしみてます。
特別な運動で無くて良い。普通に動く、動ける、ことって、凄く大事なんだ、と、あたしは思います。
通勤で毎日歩いてた人が、退職して毎日歩いてたことを「やめる」って、ね。
老化へのまっしぐら街道、なのですよ、体感として。
と、おべだふり(しったかぶり)してみました。
実感として、かなりの恐怖です。
あたしは、その老衰で亡くなった子を、生まれた時から可愛がっていて、大事に思ってて。
遠くに居たので、亡くなったと知らされた時は、呆然としたこと、忘れられません。
人間は、お人形さんでは無い。動物なのだ、と、思い知りました。
歩くこと、無理だったら、踊るのも、なんだったら「貧乏揺すり」でも、いいと思ってる。
あたしがよく踊ってる、のは、半分は好きだから、半分は恐怖から、です。
ケイエスさんの食事とか運動とかの記事を拝見するたびに、「いいなぁ」って、心底本気で思う。伸びやかで、幸せを感じます。
言い方、真剣すぎて怖いかも。
伝わってる、かな。(冷や汗)