もう少しで秋彼岸も終わるし。
さまざまに心がせわしないと、物事がよく見えていないなぁ、と感じてしまう。
大きい姉が、七月の末に病気で入院していた先で亡くなった。
同級生で、卒業してからも時々(年一回の同窓会とかで、だけど)会っていた人が亡くなっていた。
夏はやたらに暑かった。
言わなければいけなかった事や、記していかなければいけなかった事などが、どこかに消えたような気持ちになる。
一つのことに集中していると、ほかの大事なことがどうしてもおろそかになっていて、気づかず過ぎて慌ててみたり、とか。
言ってはならないことを吐きだしそうで、恐ろしかったりも、する。
悲しみは、胸(心)の歯止めを狂わせる。
この前、久しぶりに大きいお風呂に行った。
脱衣所で、皆様がおしゃべりしていた。
最近は着物が売れなくてたいへんなのだ、とか。
「あたしなんか、ほどいて洋服に縫い直しているんだよ。」
と言う方に、答えて、ほかの方が「縫う腕があるのはすごいよね^^」と。
みんなでわいわい、楽しそうで。
そしたら、最初に自作なさってる、と言った方が「もう、あの世まで(着物を)いっぱい持っていかなきゃ、だし^^」と、楽しそうに笑った。
ほかの方たちが、「重ねて着ればいいべな^^」と、はやし立てる。
あたしの真後ろだったので、うっかり『目指せ、おしらさま、ですかね^^』と、参加した。
ちょっと、嫌な顔をされちゃった。しまった。
おしらさま、というのは、毎年美しい着物を重ねてお飾りする、地の神様のこと。
忘れていたのだが、別名「きっかない(とんでもなくオソロシイ)神様」でもあった、のを、すてんと忘れてしまった。
口は災いのもと、なのであった。(しくしく)
夜の雨。
外灯に、庭の木々の奥がきらきらと見えて。
近寄ってみたら、露が葉っぱのそこここに輝いていた。
日に当たれば消えてしまうものでも、夜の暗がりに存在を主張しているのだろうか、などと考えてしまう。
自分は、もしかして、心がすりへっているのかもしれないな、と思ってしまう。
些細なことに囚われすぎてはいけない。
流すことも、身に着けていかなければ、と、死んだ姉から言われたっけな。
特別に仲が良かったわけでもなかった。
一回り以上離れた姉なので、知っているのは嫁に行って子供が生まれた、と養母あてに写真を送ってくれたこと、くらいなのだが。
あたしは、それを「見せてもらった」だけで、当時の写真技術はあまりよくなかったので、なんだかぼんやりした写真だ、と思ってた。
大人になってから、直接会う機会もできてきたのだが。
姉の方は、あたしが幼かったときは、よくおんぶしてくれたのだ、と自慢げに言っていた。
あたし自身は、そういう記憶は皆無なので、少し悔しかった。もったいなかった、というか。
ねえさん、と呼んだことがない。
いつも、名前で呼びかけた。
そんなことを、ぽつぽつと思い出していたり、する。
同級生の方は、あまり口をきかなかったけど、三年間同じクラスだった人は少なかったので覚えている。
毎年クラス替えがあって、三年目に「また同じか。」と言われて、少し戸惑ったっけ。
いい意味にとればいいのか、悪いと言われたのか、と悩んだ。若かったなぁ。
大人になってから出会ったら、「あ、この人って、笑うんだ!」と、驚いたっけ。
高校時代は笑顔を一回も見たことがないような。
記憶にないだけだったら、ごめん。
家族構成とかまで知っているほど親しいわけでもないが、あぁ、もう居ないんだなぁ、と思ったら、なんかしらんけど寂しかった。
むこうは、あたしが寂しいなんて言ったら、どでんした(ひどく驚いた)はずみで、うっかり蘇るかもしれんな、と苦笑してみたり。
心にひっかかりがあると、腹の底から笑えなかったりする。
お友達のブログに何かコメントを残したいなと思っても、うかつに打ち込めば、重たくなりそうで、躊躇する。
昼間。
外回りの工事があるとかで、休日だというのに、さかんに足場を組んでいる方々の作業が無駄なくて美しいことに、見惚れていた。
見習いたいなぁ。
いろいろと。
さまざまに心がせわしないと、物事がよく見えていないなぁ、と感じてしまう。
大きい姉が、七月の末に病気で入院していた先で亡くなった。
同級生で、卒業してからも時々(年一回の同窓会とかで、だけど)会っていた人が亡くなっていた。
夏はやたらに暑かった。
言わなければいけなかった事や、記していかなければいけなかった事などが、どこかに消えたような気持ちになる。
一つのことに集中していると、ほかの大事なことがどうしてもおろそかになっていて、気づかず過ぎて慌ててみたり、とか。
言ってはならないことを吐きだしそうで、恐ろしかったりも、する。
悲しみは、胸(心)の歯止めを狂わせる。
この前、久しぶりに大きいお風呂に行った。
脱衣所で、皆様がおしゃべりしていた。
最近は着物が売れなくてたいへんなのだ、とか。
「あたしなんか、ほどいて洋服に縫い直しているんだよ。」
と言う方に、答えて、ほかの方が「縫う腕があるのはすごいよね^^」と。
みんなでわいわい、楽しそうで。
そしたら、最初に自作なさってる、と言った方が「もう、あの世まで(着物を)いっぱい持っていかなきゃ、だし^^」と、楽しそうに笑った。
ほかの方たちが、「重ねて着ればいいべな^^」と、はやし立てる。
あたしの真後ろだったので、うっかり『目指せ、おしらさま、ですかね^^』と、参加した。
ちょっと、嫌な顔をされちゃった。しまった。
おしらさま、というのは、毎年美しい着物を重ねてお飾りする、地の神様のこと。
忘れていたのだが、別名「きっかない(とんでもなくオソロシイ)神様」でもあった、のを、すてんと忘れてしまった。
口は災いのもと、なのであった。(しくしく)
夜の雨。
外灯に、庭の木々の奥がきらきらと見えて。
近寄ってみたら、露が葉っぱのそこここに輝いていた。
日に当たれば消えてしまうものでも、夜の暗がりに存在を主張しているのだろうか、などと考えてしまう。
自分は、もしかして、心がすりへっているのかもしれないな、と思ってしまう。
些細なことに囚われすぎてはいけない。
流すことも、身に着けていかなければ、と、死んだ姉から言われたっけな。
特別に仲が良かったわけでもなかった。
一回り以上離れた姉なので、知っているのは嫁に行って子供が生まれた、と養母あてに写真を送ってくれたこと、くらいなのだが。
あたしは、それを「見せてもらった」だけで、当時の写真技術はあまりよくなかったので、なんだかぼんやりした写真だ、と思ってた。
大人になってから、直接会う機会もできてきたのだが。
姉の方は、あたしが幼かったときは、よくおんぶしてくれたのだ、と自慢げに言っていた。
あたし自身は、そういう記憶は皆無なので、少し悔しかった。もったいなかった、というか。
ねえさん、と呼んだことがない。
いつも、名前で呼びかけた。
そんなことを、ぽつぽつと思い出していたり、する。
同級生の方は、あまり口をきかなかったけど、三年間同じクラスだった人は少なかったので覚えている。
毎年クラス替えがあって、三年目に「また同じか。」と言われて、少し戸惑ったっけ。
いい意味にとればいいのか、悪いと言われたのか、と悩んだ。若かったなぁ。
大人になってから出会ったら、「あ、この人って、笑うんだ!」と、驚いたっけ。
高校時代は笑顔を一回も見たことがないような。
記憶にないだけだったら、ごめん。
家族構成とかまで知っているほど親しいわけでもないが、あぁ、もう居ないんだなぁ、と思ったら、なんかしらんけど寂しかった。
むこうは、あたしが寂しいなんて言ったら、どでんした(ひどく驚いた)はずみで、うっかり蘇るかもしれんな、と苦笑してみたり。
心にひっかかりがあると、腹の底から笑えなかったりする。
お友達のブログに何かコメントを残したいなと思っても、うかつに打ち込めば、重たくなりそうで、躊躇する。
昼間。
外回りの工事があるとかで、休日だというのに、さかんに足場を組んでいる方々の作業が無駄なくて美しいことに、見惚れていた。
見習いたいなぁ。
いろいろと。
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