昭和16年、17年といえば、
太平洋戦争の最中であるが、
海軍の士官には、艦内で私室を与えられることもあり、
読書や遊びに興ずるということも、なかったわけではない。
また、ちょっちゅう港には寄港するから、
戦艦所属の軍人が家庭にかえることもまれではなかった。
また、私信もゆるされたことがある。
小泉信吉の、家族あての私信の例を挙げてみる。
……
8月も終わり、9月1日となった今朝は、風が恐ろしく強く、雨が叩くような音をたてて船体を打っていました。こちらでは総員起こしが3時、朝食が5時、昼は10時、夜は3時で、ただ今の時間は午前6時半少し過ぎです。天気は治り、薄日がさしていますが、光線に力がないので、陸上の樹木の緑色は艶がなく、海面も鮮明な色を欠いて、一寸趣の変わった景色です。
さてまだまだ、内地向きの便がないので、この手紙出せそうもありません。しかし一応ここで区切りをつけ、余は「通信第4」に譲ることにしました。只今は9月5日の夜であります。ではみなさん、何とぞ御身くれぐれもご自愛ください。小生は相変わらず元気、程よき食欲あり。
信吉
父上様
母上様
加代子様
妙子様
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