ichiro,jrさんのコメへの返事で、少し補足する事があります。
京都の天皇と江戸の天皇という問題です。以前、シバちゃんで記事にしたと記憶しますが、読んでいない方のために少しだけ書いておきます。
明治天皇はすり替えで、大室寅之助という長州の男が明治天皇に摩り替わり、本物である睦仁天皇は伊藤博文か岩倉具視に暗殺されたというあの説です。
私の考えは江戸へ赴いた明治天皇は替え玉で、本物は京都に残ったという立場である。結局、睦仁は暗殺されたわけではなく、御所の中で無事天命を全うしたのである。つまり、天皇を暗殺できるのは神のみということ。
江戸というのはあくまで徳川政権の根城であり、玉である天皇を京都の公家や奉公衆が行幸させるわけはない。かといって、新政府としては天皇の名前を借りて日本を治める必要がある。そこで江戸へ赴く身代わり天皇には制限つきで就任させたのである。その制限とは外交は京都の専権事項であると私は考えたのである。もちろん憶測だよ・・・。
明治天皇は見事にその任務を果たし、明治政府は見事に日本を統治したのである。しかし、自分の子供を後継者にすることはできなかった。
ここからは推測しかないが、大正、昭和の天皇陛下はまさに正統な血筋だと確信する。もちろんそのような憶測が許されるのは戦後に制定された現憲法の元だからであり、戦前であったら間違いなく私は不敬罪として処刑されただろう。
大室寅之助の出自に付いては諸説あり、もちろん真実は闇の中である。少なくとも何らかの「お種」があったからこそ選ばれたと私は考える。
私が京都の天皇の存在を主張するのは堀川辰吉郎の存在があるからで、それがなければ思いもよらないことである。その根拠は落合莞爾さんの研究に詳しいのでそちらを見ていただくとして、堀川氏の存在は事実であり、国民が知らないだけで、諸外国の首脳は彼が天皇の分身だと理解していたようである。(彼が睦仁の子供であれば当然である。)
その堀川氏の周りに集ったのが京都の公家衆、大江山衆であり、それが大本教へ発展するのである。落合氏とは見解が異なるが、あくまで彼等は東アジア共同体の思想を持つツラン部族であろう。
要は今の政治的混乱は江戸城へ入った公家衆と、京都に残った公家衆の暗闘でもあるのだ。江戸では徳川家を中心に閨閥を構成し、従来の支配者、京都公家衆に対抗した。もともと警察、検察、司法は江戸幕府が握っており、京都に残ったのは宗教的権威と外交決定権だけだ。宗教の分析は難しく、いまだに私の手には負えないが、やはり宗教界も分断されているはずだ。
やれやれ、もう時間が来た。明日の朝も早いので、このぐらいで止めておこう。
京都の天皇と江戸の天皇という問題です。以前、シバちゃんで記事にしたと記憶しますが、読んでいない方のために少しだけ書いておきます。
明治天皇はすり替えで、大室寅之助という長州の男が明治天皇に摩り替わり、本物である睦仁天皇は伊藤博文か岩倉具視に暗殺されたというあの説です。
私の考えは江戸へ赴いた明治天皇は替え玉で、本物は京都に残ったという立場である。結局、睦仁は暗殺されたわけではなく、御所の中で無事天命を全うしたのである。つまり、天皇を暗殺できるのは神のみということ。
江戸というのはあくまで徳川政権の根城であり、玉である天皇を京都の公家や奉公衆が行幸させるわけはない。かといって、新政府としては天皇の名前を借りて日本を治める必要がある。そこで江戸へ赴く身代わり天皇には制限つきで就任させたのである。その制限とは外交は京都の専権事項であると私は考えたのである。もちろん憶測だよ・・・。
明治天皇は見事にその任務を果たし、明治政府は見事に日本を統治したのである。しかし、自分の子供を後継者にすることはできなかった。
ここからは推測しかないが、大正、昭和の天皇陛下はまさに正統な血筋だと確信する。もちろんそのような憶測が許されるのは戦後に制定された現憲法の元だからであり、戦前であったら間違いなく私は不敬罪として処刑されただろう。
大室寅之助の出自に付いては諸説あり、もちろん真実は闇の中である。少なくとも何らかの「お種」があったからこそ選ばれたと私は考える。
私が京都の天皇の存在を主張するのは堀川辰吉郎の存在があるからで、それがなければ思いもよらないことである。その根拠は落合莞爾さんの研究に詳しいのでそちらを見ていただくとして、堀川氏の存在は事実であり、国民が知らないだけで、諸外国の首脳は彼が天皇の分身だと理解していたようである。(彼が睦仁の子供であれば当然である。)
その堀川氏の周りに集ったのが京都の公家衆、大江山衆であり、それが大本教へ発展するのである。落合氏とは見解が異なるが、あくまで彼等は東アジア共同体の思想を持つツラン部族であろう。
要は今の政治的混乱は江戸城へ入った公家衆と、京都に残った公家衆の暗闘でもあるのだ。江戸では徳川家を中心に閨閥を構成し、従来の支配者、京都公家衆に対抗した。もともと警察、検察、司法は江戸幕府が握っており、京都に残ったのは宗教的権威と外交決定権だけだ。宗教の分析は難しく、いまだに私の手には負えないが、やはり宗教界も分断されているはずだ。
やれやれ、もう時間が来た。明日の朝も早いので、このぐらいで止めておこう。