まゆみさんからのコメントで、「中国、朝鮮半島、日本の古代史がオリエントのコピペなら、同時期の中国、朝鮮半島、日本ではどんなことが起きていたのでしょう。まさか何もないはずは無いだろうし、それぞれの歴史があるだろうし。そしてなぜコピペをする必要があったのか、自らの意思でコピペをしたのか、それとも大元からそういう指示があったのか。」
まあ、当然の疑問だと思います。しかし現実にそれらを実施した人たちに確かめないことには本当のところはわかりませんよね。
しかし、武力で簒奪した国はやがて武力で滅ぼされるでしょう。それを避けるために支配者たちは武力を後ろに隠し、宗教や祭祀等で民衆を手なずけてゆく方法を取ります。
私はお祭りの神輿を見るのはものすごく抵抗があり、なぜみんなが祭りにこだわるのか理解できないのです。
支配者たちが神輿をかつぎ、民衆はそれに石をぶつける、そんな祭りなら参加するかもしれませんが・・・・。
私は日本を征服した支配者たちを憎しむ気はありません。日本は良い国で、素晴らしい産業技術も持っていて、食べるものはすごくおいしいし、世界でも有数な暮らしやすい国だと思っています。これは支配者たちがやってきたことが悪い事ばかりではない証拠です。まあ、功罪半ばするというS氏の言葉は間違いないと思います。S氏には過去に何度も歴史に関する質問をしてきました。でも、必ずあいまいな回答しか得られませんでした。要は「ほかに研究することがあるだろう?」て感じかな。しかし、今はそう思いません。「歴史を調べてもがっかりするだけですよ。」ということを言いたかったのかもしれない。
昨日hanaさんから教えていただいたブログ、「浦島太郎から・・・」http://21seikinokadai.blog15.fc2.com/blog-entry-46.html
を読みますと、邪馬台国がエジプトであることを必要かつ十分に説明されています。とても参考になりますが、
「聖書の執筆者たちは、トロイ戦争について殆んど書いてはいません。一方、ホメロスは、出エジプトの情報を描いているようにはみえません。
しかし、考えても見てください、出エジプトとトロイ戦争は時代的にも地理的にも接近している出来事なのですから、両文明国がお互いに、こうした大事件にまったく無関心かつ無知ということは考えられないことです。
意識して書き分けているにちがいありません。
しかし、こうして、この古代史に大きな足跡を残した両雄の末裔がわたしたち日本人であるということ、そして、聖書の民とトロイア人とわが日本人が同一だったということが明きらかになろうとしていて、まさに、日本人の祖先たちの冒険とロマンが日の目を見ようとしているのです。
これが明らかになれば、わたしたち日本国民も、明るく前向きになれるはずです。」とあります。
残念ですが、私の認識とは大いに異なります。この論は所謂日猶同祖論となり、間違った認識をもたらす恐れがあります。私が言いたいことは、あくまでも日本を支配した人たちがエジプト、ギリシャ方面から来た人たちで、日本史はそれらの歴史を日本に移植したものだという考え方です。
まゆみさんのコメントにある「我々の歴史はどこへ行ったの?」はもちろん私たちが知りたいことではあるのですが、以前書いたように、日本は三波に渡って渡来人によって占領されています。最初は沿海州からやってきた縄文人、次に天神さん、最後に武力に秀でたユダ族、と言うことで、要は、渡来人にいいようにされたみじめな話にしかならないわけです。
全国各地に残る古文書や風土記をこまめに研究すればある程度の復元は可能かと思いますが、それほど楽しい作業には思えません。
私がやろうとしているのは現在の日本を作った人たちがどのような経路を経て日本にやってきたのかの解明となります。
始まりはメソポタミアの湿地帯から始まると言われていますが、そこへやってきたのはコーカサスから南下したフルリ人と考えます。
フルリ人からヒッタイト、ミタンニが出る。これが百済・高句麗なのだが、新羅がそこいらにいない。新羅がアルザワであるとかローマであるとか言われてますが、まあいずれ見つかるでしょう。
ローマは太秦です。ローマでキリスト教が国教になり他の宗教が禁止されるのが392年、現在調べているのはBC12世紀界隈、まだまだ先は長いな。
まあ、当然の疑問だと思います。しかし現実にそれらを実施した人たちに確かめないことには本当のところはわかりませんよね。
しかし、武力で簒奪した国はやがて武力で滅ぼされるでしょう。それを避けるために支配者たちは武力を後ろに隠し、宗教や祭祀等で民衆を手なずけてゆく方法を取ります。
私はお祭りの神輿を見るのはものすごく抵抗があり、なぜみんなが祭りにこだわるのか理解できないのです。
支配者たちが神輿をかつぎ、民衆はそれに石をぶつける、そんな祭りなら参加するかもしれませんが・・・・。
私は日本を征服した支配者たちを憎しむ気はありません。日本は良い国で、素晴らしい産業技術も持っていて、食べるものはすごくおいしいし、世界でも有数な暮らしやすい国だと思っています。これは支配者たちがやってきたことが悪い事ばかりではない証拠です。まあ、功罪半ばするというS氏の言葉は間違いないと思います。S氏には過去に何度も歴史に関する質問をしてきました。でも、必ずあいまいな回答しか得られませんでした。要は「ほかに研究することがあるだろう?」て感じかな。しかし、今はそう思いません。「歴史を調べてもがっかりするだけですよ。」ということを言いたかったのかもしれない。
昨日hanaさんから教えていただいたブログ、「浦島太郎から・・・」http://21seikinokadai.blog15.fc2.com/blog-entry-46.html
を読みますと、邪馬台国がエジプトであることを必要かつ十分に説明されています。とても参考になりますが、
「聖書の執筆者たちは、トロイ戦争について殆んど書いてはいません。一方、ホメロスは、出エジプトの情報を描いているようにはみえません。
しかし、考えても見てください、出エジプトとトロイ戦争は時代的にも地理的にも接近している出来事なのですから、両文明国がお互いに、こうした大事件にまったく無関心かつ無知ということは考えられないことです。
意識して書き分けているにちがいありません。
しかし、こうして、この古代史に大きな足跡を残した両雄の末裔がわたしたち日本人であるということ、そして、聖書の民とトロイア人とわが日本人が同一だったということが明きらかになろうとしていて、まさに、日本人の祖先たちの冒険とロマンが日の目を見ようとしているのです。
これが明らかになれば、わたしたち日本国民も、明るく前向きになれるはずです。」とあります。
残念ですが、私の認識とは大いに異なります。この論は所謂日猶同祖論となり、間違った認識をもたらす恐れがあります。私が言いたいことは、あくまでも日本を支配した人たちがエジプト、ギリシャ方面から来た人たちで、日本史はそれらの歴史を日本に移植したものだという考え方です。
まゆみさんのコメントにある「我々の歴史はどこへ行ったの?」はもちろん私たちが知りたいことではあるのですが、以前書いたように、日本は三波に渡って渡来人によって占領されています。最初は沿海州からやってきた縄文人、次に天神さん、最後に武力に秀でたユダ族、と言うことで、要は、渡来人にいいようにされたみじめな話にしかならないわけです。
全国各地に残る古文書や風土記をこまめに研究すればある程度の復元は可能かと思いますが、それほど楽しい作業には思えません。
私がやろうとしているのは現在の日本を作った人たちがどのような経路を経て日本にやってきたのかの解明となります。
始まりはメソポタミアの湿地帯から始まると言われていますが、そこへやってきたのはコーカサスから南下したフルリ人と考えます。
フルリ人からヒッタイト、ミタンニが出る。これが百済・高句麗なのだが、新羅がそこいらにいない。新羅がアルザワであるとかローマであるとか言われてますが、まあいずれ見つかるでしょう。
ローマは太秦です。ローマでキリスト教が国教になり他の宗教が禁止されるのが392年、現在調べているのはBC12世紀界隈、まだまだ先は長いな。