少し追加記事を書きました。
前回は神武天皇の東征がモロッコから始まったと述べました。なぜモロッコなのかがいまいち不明なのですが、そもそも始まりの天照様が降臨したのは天国アルメニアとなっていて、そこからイザナギ、イザナミ、海幸・山幸の物語などがあり、結果そうなったのしょうが、順番通り歴史を調べると意外と退屈なもので、気になることを重点的に調べるのが私のやり方なのです。わからないことはまたの機会に調べればいいのです。
私が最も知りたいのは日本の支配者がいつごろ、どのような経路で日本にやってきたか、そして彼らはその足跡をどのように残してきたかであります。
神武が実在したとして、その年代、さらにオリエントの歴史の中ではたしてどのように描かれているのか・・・・疑問は山ほどあるのですが、少しづつ解明してゆくしかありません。
現在研究対象にしているのが国立国会図書館デジタルコレクションでダウンロードした古書「日本民族祖先の雄図」(著者 木村鷹太郎 出版 大正9年)です。
古書をスキャンし、そのままPDF化したもので、入手困難な書物を我々が無料で読むことができる非常にありがたいサイトです。https://dl.ndl.go.jp/
もちろん「日本太古史(上、下)もダウンロードしましたが、「雄図」がおそらく木村氏の最新版で一番新しい考えが書かれていると思い、まずはこの本を読んでみようと考えました。(年代により少しづつ主張が変わってゆく。当然ですね。)
ただし、今日話題にするのは「日本太古小史」で、これは太古史の縮小版といえるもので、いわばダイジェスト版と言えます。これを少しずつプリントアウトし読んでいますが、時間が限られているため一日に何ページも読めません。まあ、ライフワークとしてゆっくりやっています。
何度も言いますが、私は木村氏の考えとは明らかに違います。彼は日本の天皇は世界を支配するべきだというような超右翼的な考えを持っていて、それこそ日本は世界のひな型だという危険な思想を持っています。しかし日本の天皇がエジプト・ギリシャ方面から移動してきたことを明らかにし、移動の経過を詳細に記すことは支配者層にとって実は「不都合な真実」であり、「ありがた迷惑」な話になっていたと思います。だからこそ史学会はシカトし彼の挑発を無視し続けたわけです。
さて、木村氏の説を鹿島氏がさらに進め、「史記解」(鹿島昇著)で、中国の歴史はオリエント史の借りものであることを証明し、さらに、日本史も朝鮮史のコピーだと論証してきた。しかし鹿島説をさらに進めたのが稲羽太郎で、鹿島氏の見逃してきた部分を大幅に見直し、おおむねオリエント史と中国史の対比がほぼ完成できてきた。
鹿島氏は司馬遷が漢の史家で、漢以降の歴史は正しいものと考えています。稲羽氏は中国史の宋代以前をすべてオリエントの借史とし、さらに高句麗・新羅・百済までもオリエントの歴史としています。ここまでくると中国・日本・韓国の歴史はほぼ全部が歴史とは言えず、支配者たちの出世物語に過ぎないことになります。
とはいえ、トロイ戦争と白村江の真実、ヘブライ王国の誕生年など本当に正しいのかは現状では仮説にすぎない。そんな中でデジタルコレクションで木村氏の著書が見ることができるとわかり現在夢中で読んでいるわけですが、そこで気が付いたのは「木村が一番過激」なことです。
まずは少し読んでみましょう。とはいえ、長くなるかも…ですが、本物は旧字体で格調高い代わりに読みにくいのでマヨ流に翻訳してあります。
「これより後代に関し、古典に書かれているのはアフリカ南部一帯より、インド、チベット、中国西南方面を含み日本書紀、天智、持統、天武天皇の時代においては日本国家の中心はインド・チベットとなりバンコク、ウイグル、デリー、カシミールの地は古典では他の名称をもって記載していることは新研究の発見でした。かくて日本歴史は奈良朝、平安朝、源平時代、鎌倉時代、南北朝時代となるものがあったと言うが、それらの時代の地理的舞台はどこであったのだろう。私はこれを極東島国日本ですとは言うわけにはいけないという者であります。なぜなら源平時代と南北朝時代とは実は連携する時代とは言えず重複していると考えるべきで、南北朝時代の末期、光厳院の行脚記事なるものは明らかにビルマ方面からインド南方一帯及び、セイロン島地誌を示しているわけで、しかもその年代は中国史に当てはめると宋末・元初のころになってしまう。
その日本書紀以後太平記に至る間に包有される地域は西北はエジプトギゼーの三角塔地からアフリカ南端に居たり、現在のアルベルト・ニャンザ湖、ビクトリア・ニャンザ湖等をはじめそのほか詳細なる地誌が存在する。また、マダガスカル及びその東方の再会島(リュニオン島・近松門左衛門は又会う島という)は鬼界島(オデッシーKirkao島)の名で書かれている。・・・・・略・・・・・・
その果たしていずれの時より現在島国日本の国家的活動の歴史の始まったのだろうか。私もいまだに十分明らかにできていないところではありますが、意外と新しいものであることは感じているところであります。」(「日本太古小史」p128)
まあ、さすがに平安時代や鎌倉時代まで日本列島の出来事ではないと言われるとちょっとびっくりせざるを得ないが、南北朝が別々の場所で起きたことを重ね合わせた歴史だとすると・・・・うーん何も信じられなくなるが…。
ただ、以前S氏から「亀山天皇の時代に日本の地政学的重要性」が高まってきたため、〇〇宮を設置し、日本を南北朝に分断し支配することにした。」と聞いている。その時代と木村氏の指摘する光厳上皇の宋末、元初が奇しくも一致する。
さらに稲羽氏の「中国の歴史は宋、元の時代から本当の歴史になる」という主張とも一致する。
それ以前に日本に歴史がなかったとは言わない。十分な長い歴史はあったのですが、書き換えられ、以前の歴史は破り捨てられたということでしょう。
宋はAD960年に建国された国家でこの国の歴史から本当の歴史だと稲羽氏は述べる。つまり元、つまり女真族とイスラエル部族の本格的な争いが起き、日本の地政学的位置が重要になってきたものと思われる。春秋時代の宋は実はヘブライ王国の歴史を中国語に翻訳したもので中国本土の歴史ではない。
また、木村氏は日本の元寇がペルシャとギリシャの戦争と全く同じであると述べている。つまり元寇があったとする北条時代に疑問を呈している。まあ、この件は別の機会に検証しよう。
木村氏は出雲風土記はエジプト史だとも言っている。この分でいうと各地に残る風土記も怪しいものである。wikiで風土記を調べると、「現存するものは全て写本で、『出雲国風土記』がほぼ完本、『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態で残る。その他の国の風土記も存在したと考えられているが、現在は後世の書物に逸文として引用されるのみである。ただし、逸文とされるものの中にも、本当にオリジナルの風土記の記述であるか疑問が持たれているものも存在する。」まあ、すべてをつじつまを合わせて改修するのはなかなか大変で、重要なものは書き換え、面倒なものは焼き捨てのだろう。
それにしても、支配者たちの歴史に対する執念には恐ろしいものを感じる。ウバイド=倭国は世界の王を決める権利を持っているという。国の代表が王だとしてその王を選ぶのはもはや神の仕事である。倭国は表面的には消えているが、既得権益を所持したまま影の存在として今もどこかに存在しているようだ。
私の研究はどこへ向かうのか、今は何も見えていない。
追加分
神武の兄弟で、稲氷命が新羅、つまりローマの始祖となったと書きましたが、もう一人の兄弟、三毛入野命はエジプトに入ったという。これがミケリヌスと言い、該当するエジプトの王とは、ギザの三大ピラミッドのうち第三ピラミッドを建造したとみられるメンカウラー王のことです。この王について、ギリシャの歴史家ヘロドトスがミケリヌス(Mykerinos)という名で伝説を残しているんですね。つまりメンカウラーのギリシャ語読みがミケリヌス。これはもうビンゴでしょう。このことでうれしいことは年代がほぼ確定できることです。この王のミイラが英国博物館に現存しているともいわれます。これで神話が現実とつながります。
要は、神武兄弟の活躍した時代がほぼBC2500年前後となります。
まあ、このような小さな積み重ねで歴史を構築してゆくわけです。
前回は神武天皇の東征がモロッコから始まったと述べました。なぜモロッコなのかがいまいち不明なのですが、そもそも始まりの天照様が降臨したのは天国アルメニアとなっていて、そこからイザナギ、イザナミ、海幸・山幸の物語などがあり、結果そうなったのしょうが、順番通り歴史を調べると意外と退屈なもので、気になることを重点的に調べるのが私のやり方なのです。わからないことはまたの機会に調べればいいのです。
私が最も知りたいのは日本の支配者がいつごろ、どのような経路で日本にやってきたか、そして彼らはその足跡をどのように残してきたかであります。
神武が実在したとして、その年代、さらにオリエントの歴史の中ではたしてどのように描かれているのか・・・・疑問は山ほどあるのですが、少しづつ解明してゆくしかありません。
現在研究対象にしているのが国立国会図書館デジタルコレクションでダウンロードした古書「日本民族祖先の雄図」(著者 木村鷹太郎 出版 大正9年)です。
古書をスキャンし、そのままPDF化したもので、入手困難な書物を我々が無料で読むことができる非常にありがたいサイトです。https://dl.ndl.go.jp/
もちろん「日本太古史(上、下)もダウンロードしましたが、「雄図」がおそらく木村氏の最新版で一番新しい考えが書かれていると思い、まずはこの本を読んでみようと考えました。(年代により少しづつ主張が変わってゆく。当然ですね。)
ただし、今日話題にするのは「日本太古小史」で、これは太古史の縮小版といえるもので、いわばダイジェスト版と言えます。これを少しずつプリントアウトし読んでいますが、時間が限られているため一日に何ページも読めません。まあ、ライフワークとしてゆっくりやっています。
何度も言いますが、私は木村氏の考えとは明らかに違います。彼は日本の天皇は世界を支配するべきだというような超右翼的な考えを持っていて、それこそ日本は世界のひな型だという危険な思想を持っています。しかし日本の天皇がエジプト・ギリシャ方面から移動してきたことを明らかにし、移動の経過を詳細に記すことは支配者層にとって実は「不都合な真実」であり、「ありがた迷惑」な話になっていたと思います。だからこそ史学会はシカトし彼の挑発を無視し続けたわけです。
さて、木村氏の説を鹿島氏がさらに進め、「史記解」(鹿島昇著)で、中国の歴史はオリエント史の借りものであることを証明し、さらに、日本史も朝鮮史のコピーだと論証してきた。しかし鹿島説をさらに進めたのが稲羽太郎で、鹿島氏の見逃してきた部分を大幅に見直し、おおむねオリエント史と中国史の対比がほぼ完成できてきた。
鹿島氏は司馬遷が漢の史家で、漢以降の歴史は正しいものと考えています。稲羽氏は中国史の宋代以前をすべてオリエントの借史とし、さらに高句麗・新羅・百済までもオリエントの歴史としています。ここまでくると中国・日本・韓国の歴史はほぼ全部が歴史とは言えず、支配者たちの出世物語に過ぎないことになります。
とはいえ、トロイ戦争と白村江の真実、ヘブライ王国の誕生年など本当に正しいのかは現状では仮説にすぎない。そんな中でデジタルコレクションで木村氏の著書が見ることができるとわかり現在夢中で読んでいるわけですが、そこで気が付いたのは「木村が一番過激」なことです。
まずは少し読んでみましょう。とはいえ、長くなるかも…ですが、本物は旧字体で格調高い代わりに読みにくいのでマヨ流に翻訳してあります。
「これより後代に関し、古典に書かれているのはアフリカ南部一帯より、インド、チベット、中国西南方面を含み日本書紀、天智、持統、天武天皇の時代においては日本国家の中心はインド・チベットとなりバンコク、ウイグル、デリー、カシミールの地は古典では他の名称をもって記載していることは新研究の発見でした。かくて日本歴史は奈良朝、平安朝、源平時代、鎌倉時代、南北朝時代となるものがあったと言うが、それらの時代の地理的舞台はどこであったのだろう。私はこれを極東島国日本ですとは言うわけにはいけないという者であります。なぜなら源平時代と南北朝時代とは実は連携する時代とは言えず重複していると考えるべきで、南北朝時代の末期、光厳院の行脚記事なるものは明らかにビルマ方面からインド南方一帯及び、セイロン島地誌を示しているわけで、しかもその年代は中国史に当てはめると宋末・元初のころになってしまう。
その日本書紀以後太平記に至る間に包有される地域は西北はエジプトギゼーの三角塔地からアフリカ南端に居たり、現在のアルベルト・ニャンザ湖、ビクトリア・ニャンザ湖等をはじめそのほか詳細なる地誌が存在する。また、マダガスカル及びその東方の再会島(リュニオン島・近松門左衛門は又会う島という)は鬼界島(オデッシーKirkao島)の名で書かれている。・・・・・略・・・・・・
その果たしていずれの時より現在島国日本の国家的活動の歴史の始まったのだろうか。私もいまだに十分明らかにできていないところではありますが、意外と新しいものであることは感じているところであります。」(「日本太古小史」p128)
まあ、さすがに平安時代や鎌倉時代まで日本列島の出来事ではないと言われるとちょっとびっくりせざるを得ないが、南北朝が別々の場所で起きたことを重ね合わせた歴史だとすると・・・・うーん何も信じられなくなるが…。
ただ、以前S氏から「亀山天皇の時代に日本の地政学的重要性」が高まってきたため、〇〇宮を設置し、日本を南北朝に分断し支配することにした。」と聞いている。その時代と木村氏の指摘する光厳上皇の宋末、元初が奇しくも一致する。
さらに稲羽氏の「中国の歴史は宋、元の時代から本当の歴史になる」という主張とも一致する。
それ以前に日本に歴史がなかったとは言わない。十分な長い歴史はあったのですが、書き換えられ、以前の歴史は破り捨てられたということでしょう。
宋はAD960年に建国された国家でこの国の歴史から本当の歴史だと稲羽氏は述べる。つまり元、つまり女真族とイスラエル部族の本格的な争いが起き、日本の地政学的位置が重要になってきたものと思われる。春秋時代の宋は実はヘブライ王国の歴史を中国語に翻訳したもので中国本土の歴史ではない。
また、木村氏は日本の元寇がペルシャとギリシャの戦争と全く同じであると述べている。つまり元寇があったとする北条時代に疑問を呈している。まあ、この件は別の機会に検証しよう。
木村氏は出雲風土記はエジプト史だとも言っている。この分でいうと各地に残る風土記も怪しいものである。wikiで風土記を調べると、「現存するものは全て写本で、『出雲国風土記』がほぼ完本、『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態で残る。その他の国の風土記も存在したと考えられているが、現在は後世の書物に逸文として引用されるのみである。ただし、逸文とされるものの中にも、本当にオリジナルの風土記の記述であるか疑問が持たれているものも存在する。」まあ、すべてをつじつまを合わせて改修するのはなかなか大変で、重要なものは書き換え、面倒なものは焼き捨てのだろう。
それにしても、支配者たちの歴史に対する執念には恐ろしいものを感じる。ウバイド=倭国は世界の王を決める権利を持っているという。国の代表が王だとしてその王を選ぶのはもはや神の仕事である。倭国は表面的には消えているが、既得権益を所持したまま影の存在として今もどこかに存在しているようだ。
私の研究はどこへ向かうのか、今は何も見えていない。
追加分
神武の兄弟で、稲氷命が新羅、つまりローマの始祖となったと書きましたが、もう一人の兄弟、三毛入野命はエジプトに入ったという。これがミケリヌスと言い、該当するエジプトの王とは、ギザの三大ピラミッドのうち第三ピラミッドを建造したとみられるメンカウラー王のことです。この王について、ギリシャの歴史家ヘロドトスがミケリヌス(Mykerinos)という名で伝説を残しているんですね。つまりメンカウラーのギリシャ語読みがミケリヌス。これはもうビンゴでしょう。このことでうれしいことは年代がほぼ確定できることです。この王のミイラが英国博物館に現存しているともいわれます。これで神話が現実とつながります。
要は、神武兄弟の活躍した時代がほぼBC2500年前後となります。
まあ、このような小さな積み重ねで歴史を構築してゆくわけです。
初めましてでないのは、もう何年も前のタヌ君にコメントしたことがあるからです。
たしか、他人の受け売りで昭和天皇アスペルガー説を投稿したかと思います。
それはともかく、木村鷹太郎には驚きました。こんな人がいたとは!!
最近のマヨさんの「古代史探求」も目を通してはいましたが、ここに至り全く別のルートから
「エジプト」が浮上して来たものですから、俄然本腰を入れて拝読するようになった次第です。
別のルートというのは、この7月に読んだ『特攻兵器「原爆」』にありました。
著者は水原紫織さん(ツイッターでは本物黒酒さん)、ご存じかも知れませんが。
この『特攻兵器「原爆」』の中にハッとした記述がありました。少々長いですが引用します。 (287頁~288頁から一部引用)
★また、あまりにも受け入れ難く信じ難いことだが、原子爆弾が「人の体、脳、遺伝子を子々孫々にわたって破壊する意図的な行為」であったことと、英米ハイドパーク合意の「原子爆弾は日本人に対して使用すべき」を重ね合わせると、原子爆弾は、日本人の「遺伝子を子々孫々にわたって破壊する」ことが目的だったことになってしまう。
では、いったいなぜ、日本人の遺伝子を子々孫々にわたって破壊しようとなどという発想が生まれたのか。
それについては、例えば香港の初代財務長官モンゴメリー・マーチンがヴィクトリア女王に対して日本人の先祖がエジプトから渡来した可能性を公式報告していたように、日本人が知らない外国の日本人研究を明らかにし、人類のどこかのグループに宿る日本人への怨念を、民俗学・宗教学・歴史学の視点から遡る必要がありそうだ。
以上の記述に驚きながらも、話はやっぱりそこまで遡るのかといったような感慨が湧いたのは事実です。
そこで、木村鷹太郎の話に戻りますが、鷹太郎(以下鷹太郎)の「邪馬台国エジプト説」を調べていたら、思いがけず「ムー」のバックナンバーに関連記事が載っていることが分かり、さっそく取り寄せて読んでみました。なんと40年前のものです。
(1982年12月号●日本超古代史の謎 「邪馬台国はエジプトにあった!?」)筆者は戸高一成という方、7ページほどの記述です)
ほんとうに凄い人がいたものだと、その鷹太郎本人の写真を眺めながら、あらためて感じ入った次第です。
そしてまた、筆者の戸高氏の述懐が、今回のマヨさんの記事「宋末、元初の時代に何があったのか?」に通じるものがあるように感じました。マヨさんが念を押される「鷹太郎とマヨさんの考えが明らかに違う」というのは私も充分理解できますし、
「しかし日本の天皇がエジプト・ギリシャ方面から移動してきたことを明らかにし・・・(以下略)」のところにも共感を覚えます。
戸高氏も、記事の締めくくりに、(鷹太郎の説がシカトされ、その説がある種の霊学として出口王仁三郎らに受容され、彼らがその論理性を取り込もうとした節があるのを踏まえた上で)★しかし、公平な立場に立って、現時点で鷹太郎の説を振りかえるとき、それは客観的な歴史学、神話学の分野においても再検討されるべき側面が多分に存在する。といったような記述に、マヨさんの古代史探求に通じるものを感じた次第です。
それでは、鷹太郎に感嘆しながら、
マヨさんに感謝しながら、このへんで失礼します。
明治時代にこれほどの偉人がいるのに、どうしてその研究が生かされなかったのか?やはり「不都合な真実」が含まれているからでしょう。彼が全部正しいわけではないので、それらを見極めるのが我々の役目だと思っています。
私が木村鷹太郎を知ったのも、多分「ムー」だったんじゃないかと思いますが。
1979年に創刊されて4号までの表紙を担当されてた
生頼範義(おおらいのりよし)氏。
2018年に上野の森美術館で「生頼範義展」があって
懐かしくて行って来ましたよ!
まさか、マヨさんブログで木村鷹太郎とは!?
殆ど忘れかけてましたよ^^;
日本とエジプトの関係
https://blog.goo.ne.jp/runrunsumera/e/e26d704d5bec7a339ef28a7bf61f543d
ご存じかも知れませんが。
一番知りたかったのはエジプトの関係よりもギリシャなのですが、まだ十分にわかったとは言えないところで、ゆっくりと読み解きたいと思っています。
ご指摘のブログは知りませんでした。旭日旗まで出てますね。さすが姫様、物知りですね。
話は変わるのですが、今日数ヶ月ぶりに会った友人が激ヤセしてたのでどうしたのかと聞いてみたらコロナだったそうで。その人は中等症で救急車を呼んだけど病院もなく自宅に帰されたそうです。その時の助け船が友だちのくれたイベルメクチン!!すぐに効果も出て無事生還できたそうです。血中酸素が90を割ってたからとても苦しかったと言ってました。私はアレルギーが酷いのでワクチンは、、、なので早速イベルメクチン取り寄せました(笑)
1976年から連載されて多分まだ完結してない細川智栄子先生の漫画「王家の紋章」の影響もあったかもですが、
新婚旅行はエジプトに行きたかったです。
友達は行きましたが^^;
伝説で語られる、トロイア戦争の直接的な原因と言うのが
スパルタ王妃ヘレネとトロイア王子パリスの駆け落ちであると。
このパリスの異名がアレクサンドロスなんですね!
ヘレネも卵生創成神話があって原始的な女神信仰。
ギリシャ先住民(黒海周辺からギリシャ本土に南下して来た)は偉大な母神、生命の源泉として大地と結び付けられていた女神を崇拝していて、ヘレネもこのような先住民の女神の系譜に属していると。
これは、加治木義博氏の説ですが
イラクのウバイドは、農業を主体に営み、
水の女神イナンナを崇拝、女性が祭政一切を担当し
女性支配国家を形成していた祭政一致の国。
我が国だと天武天皇は、倭国(ウバイド)を倒して
男系国日本にした天智天皇政権を倒して
国名は元に戻さず日本のままにした。
国名は日本でも、実態はウバイド=倭人国
女性国家であることを隠し、強力な武力を持つ神武天皇の東征に始まる武装男性国家だという印象を与えて
侵略意欲を殺ごうとしたのが、『記・紀』を新たに作った理由だと。
今の皇室の女系天皇、女性天皇の問題とか…
関連しているのではないですかね?
I・ヴェリコフスキーの『世紀末の黙示録』は ギリシャの伝説のオイディプス王が紀元前九世紀末に実在したエジプト王アクナトンと同一人物であることを証明したもの。原題は『オイディプスとアクナトン』そのものなのに、なぜ『世紀末の黙示録』になるのか未だに分かりませんが。
これが非常に面白く、数年前に図書館から数回も借りたほどです(入手困難本) この本の訳者は高橋良典氏、この方も鷹太郎の流れをくむ人ではないでしょうか。
高橋氏は、たしか高天原はデカン高原説だったと思いますが、私はアルメニアの方がグッときます。
どこで買いました?僕は信頼できるところが分からないので買いませんでした。まあ、MMSでいいっか、と思ってますが。
天国はアルメニアと見てますが、コーカソイドかアーリア人種かの問題になるのかな。今、アーリアの起源を研究しているところです。