毎年広島の原爆投下の日にあわせ、核廃絶を願う式典が開かれる。今年は英・米・仏、さらには国連総長まで参加したとあって、世界中に核廃絶の祈りを広げようとの意識が盛り上がったとマスコミが盛んに報道をしている。
大変に申し訳ないが、広島の原爆と核廃絶の運動とは別の次元でやっていただけないだろうか。何か、広島や長崎の原爆投下を核兵器廃絶の運動として問題を摩り替えようとしているように思えてならない。
核兵器がなくなったところで、戦争はなくならない。人間同士が殺し合いをする戦争を廃絶しようというのならわかる。しかし、広島や長崎に原爆が落ちたことと核廃絶運動は必ずしもイコールの問題ではないだろう。
本当の原爆被害者の遺族、被害者の心情はそんなものではない。
本当に知りたい問題は、なぜ広島や長崎に原爆が落とされたかである。なぜ、広島、長崎の住民が犠牲にならねばならなかったかなのである。
戦争を早く終結させるために原爆の投下はやむを得なかったとアメリカの国民は教えられている。今でも公式見解はそのようになっている。しかし、逆なのだ。原爆を落とすまで終戦をさせなかったのが真実である。日本はすでに十分負けていた、ただ、アメリカが引き伸ばしていただけである。それは、原爆の完成が遅れただけなのだ。
昭和天皇が「しかたがなかったのだ・・・」と言った意味はなんなのか?歴史家はきっちりそれを説明しなければならないのだ。
日本に落とされた原爆が人類に対する生態実験だったことは明らかで、だれかがそれを指示し、日本のなかにも知っていた人間がいるのである。
死んだ人達は生き返らない。その人たちが犠牲になった理由をはっきりすることがこの広島原爆投下の式典を継続する意味であり、核廃絶運動は後付の目くらましにすぎない。
マスコミが核廃絶を叫べば叫ぶほど私は「違うだろ?本当に追求するべきことは」と思うのである。ごまかしたってだめである。
大変に申し訳ないが、広島の原爆と核廃絶の運動とは別の次元でやっていただけないだろうか。何か、広島や長崎の原爆投下を核兵器廃絶の運動として問題を摩り替えようとしているように思えてならない。
核兵器がなくなったところで、戦争はなくならない。人間同士が殺し合いをする戦争を廃絶しようというのならわかる。しかし、広島や長崎に原爆が落ちたことと核廃絶運動は必ずしもイコールの問題ではないだろう。
本当の原爆被害者の遺族、被害者の心情はそんなものではない。
本当に知りたい問題は、なぜ広島や長崎に原爆が落とされたかである。なぜ、広島、長崎の住民が犠牲にならねばならなかったかなのである。
戦争を早く終結させるために原爆の投下はやむを得なかったとアメリカの国民は教えられている。今でも公式見解はそのようになっている。しかし、逆なのだ。原爆を落とすまで終戦をさせなかったのが真実である。日本はすでに十分負けていた、ただ、アメリカが引き伸ばしていただけである。それは、原爆の完成が遅れただけなのだ。
昭和天皇が「しかたがなかったのだ・・・」と言った意味はなんなのか?歴史家はきっちりそれを説明しなければならないのだ。
日本に落とされた原爆が人類に対する生態実験だったことは明らかで、だれかがそれを指示し、日本のなかにも知っていた人間がいるのである。
死んだ人達は生き返らない。その人たちが犠牲になった理由をはっきりすることがこの広島原爆投下の式典を継続する意味であり、核廃絶運動は後付の目くらましにすぎない。
マスコミが核廃絶を叫べば叫ぶほど私は「違うだろ?本当に追求するべきことは」と思うのである。ごまかしたってだめである。
だから「北朝鮮」のような兵隊の食糧や弾薬に事欠く国にこそ相応しい兵器のようで。
だから「核の廃絶」は米軍や中国軍に有利に働くのかも知れません。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc112.html
でも、原爆の投下は何があろうが許されませんね。
ただ、原爆はもう過去の兵器です。今はHARPです。原爆はもう必要ないのです。
封印された原爆報告書
h
ttp://www.nhk.or.jp/special/onair/100806.html
このデーターから人類はバンアレン帯を越えることができないことが判明したのではないでしょうか。つまり、宇宙旅行のために原爆を落としたと言うことです。
行間の説明とは、原文ではないですが要約して説明すると次のようなものです。
「日本は当時、弱体化しており空襲にも反撃が出来ない状態にあった。戦争の終結は時間の問題と言われていた。その中で、米国をはじめとする連合国側は日本に対する戦争補償等の出口戦略を検討しており、当然そのテーブルにはロシアともう1カ国いた。
その3カ国間の話合いでは、戦争終結のために原子爆弾を使用するのは人道的ではないので躊躇するべきだと言う意見や生体実験として貴重なデータが得られるなどの意見が様々交わされ、それらは出口戦略に対する各国のカードの提示による交渉そのものだった。
しかしながら、ロシアの参戦が時間の問題となり、出口戦略を有利に進めたい米は原子爆弾の使用により早期に戦争を終結させ、戦後交渉を他国比有利にすすめることを目論んだ。
原子爆弾の投下を決定してからは、生態実験のデータの蓄積を優先し、人口の多い都市が検討され広島が選ばれた。
その目論見は成功し、結果は現代の我々が知るところである。」
私としては、「日本の敗戦が濃厚で近く戦争は終結するという連合国の共通の認識の中、米国がロシアや他国と比べて有利な戦後補償・戦後交渉を得たいがために原子爆弾が使われた。」という事実、それを全世界の人が知るべきだと思っています。
よく若い米国兵やエノラゲイの関係者で言われることですが、「原子爆弾の使用によりそれ以降の戦争が長引くことによる米国兵の犠牲を救ったのだ」と、いうようなコメントを見ます。これは、正しくは、「原子爆弾の使用により、戦後の日本から得られる利益が減少する懸念・その金額の犠牲、これを不安視することは無くなり、その後の米国の軍事力を圧倒的なものとして世界的な立ち位置が明確となることで米国兵の雇用を守った」、のであると思っています。
その結果が現在の北朝鮮であり、ベトナム戦争でありイラク戦争でありサブプライム問題、ギリシャ問題と全てに続いていると私は思っています。自国の利益を優先するなら他の全世界の人間やその財産がどうなっても構わないと考えることができる政府・機関が過去から現在に通じてあるのが米国で、私の倫理観、共存共栄思想(これは大アジアにもつながると思います。)と真っ向から対立するものであり、その精神・倫理観は永遠に許されることはないというのが私の見解です。
やはり我々は戦争を始めたのは誰かをはっきりさせ、なぜ始めたのかを徹底的に分析することで二度と戦争をさせないよう監視する必要があると重います。
http://tamekiyo.com/documents/original/20100806.html
(原爆は「やむをえなかった」の意味)