細野先生のキャラクター造形は中学の頃からずっと好きでした。今日も読んでて手塚漫画に通じるニュアンスを感じたのです。リアルに、とか劇画タッチに、アメコミ調に、とかいう「絵柄」ってのは、どこまでも練習・鍛錬で上達ははかれると思うのです。ですから、そういった「上手」に私は惹かれません。一方、こま割りによるまんが表現、表情、レイアウトなどによる、落語にも似た「空気感」「時間経過のニュアンス」の生かし方、ここに漫画家の個性はでると思うのですが、ここはもううまいとか下手じゃなしに、「好み」だと思うのです。キャラクターたちの「お互いに言わずもがな」な距離感をどう見せるか。細野先生の漫画が私はいつもうらやましいのです。今の年齢に至っても、時折見せる「描き込んだときのニュアンス」と抜けのある絵柄とのギャップが、色あせないのでした。
漫画家さんは50歳越えたあたりから、とうがたつ、っていうのでしょうか、キャラクターに突然「艶」がなくなるケースを感じていたのです。細野漫画の基本線が、私には「どっきりドクター」の人なので、神様どうかこればっかりはそのままに、と祈っておりましたが、なかなかどうして、じゃんじゃん「次の回」が読みたくなっちゃうだなんて、幸せなことです。主人公と相棒の感じ、間合いのつかみかたも好きだなあ。時々「クラッシャージョウ」描いてた頃の先生の絵のタッチを見つけたりすると、鳥肌がたちます。
漫画家という商売は上質なストーリーテラーさ加減と、そこにのっぴきならない存在感で居合わせ続けるしかない、どうにも交換の利かないキャラクターの「艶」があれば、アニメにも映画にもしないでいいと思います!ます!うれしい作品ですねえ、もうー
漫画家さんは50歳越えたあたりから、とうがたつ、っていうのでしょうか、キャラクターに突然「艶」がなくなるケースを感じていたのです。細野漫画の基本線が、私には「どっきりドクター」の人なので、神様どうかこればっかりはそのままに、と祈っておりましたが、なかなかどうして、じゃんじゃん「次の回」が読みたくなっちゃうだなんて、幸せなことです。主人公と相棒の感じ、間合いのつかみかたも好きだなあ。時々「クラッシャージョウ」描いてた頃の先生の絵のタッチを見つけたりすると、鳥肌がたちます。
漫画家という商売は上質なストーリーテラーさ加減と、そこにのっぴきならない存在感で居合わせ続けるしかない、どうにも交換の利かないキャラクターの「艶」があれば、アニメにも映画にもしないでいいと思います!ます!うれしい作品ですねえ、もうー
