吉本ばななさんの本「イヤシノウタ」読んでて、幾つも自分が感じていながら、言葉になりきれないでいたものが表現されてて、思わずノートに書き写してました。
文章って写メとかコピーとかより、書き写すのが一番腑に落ちる感じがします。取り込みたいんですよね。
エッセイの一節に、フランス人が庭で掃除をしている描写が有って、手抜いてもサボってもいない仕事ぶりに、飽きもせず、人同士が喋るだけの隙間もある間合いを「神様のテンポ」って称してて、素敵だなって思いました。ルンバのようなお掃除ロボットもそのテンポになってたのもいいなぁ。突き詰めた効率に先に神様のテンポ。
「正確で、キッチリしてる」なんてのはいい点の一つであればいいのであって、いつも、ずーっとそれを求めるのは、貧相な要望だなぁって思いました。
「ま、いいかの心」が減ってると、くたびれきって死んじゃうこともあるもの。そういうのは本当にいけませんいけません。
文章って写メとかコピーとかより、書き写すのが一番腑に落ちる感じがします。取り込みたいんですよね。
エッセイの一節に、フランス人が庭で掃除をしている描写が有って、手抜いてもサボってもいない仕事ぶりに、飽きもせず、人同士が喋るだけの隙間もある間合いを「神様のテンポ」って称してて、素敵だなって思いました。ルンバのようなお掃除ロボットもそのテンポになってたのもいいなぁ。突き詰めた効率に先に神様のテンポ。
「正確で、キッチリしてる」なんてのはいい点の一つであればいいのであって、いつも、ずーっとそれを求めるのは、貧相な要望だなぁって思いました。
「ま、いいかの心」が減ってると、くたびれきって死んじゃうこともあるもの。そういうのは本当にいけませんいけません。