なんとかなっちゃったものは 2020-03-29 09:01:00 | スマホ投稿 もうどうでもいい。 なんともならないもの、はどうにかしたくなる。どうにもならないかな?とチョコマカ辺りを突いて、脈なしなら撤収。脈あり、だったときは、負け戦でも参戦。惨敗。 火中には栗がある。爆ぜるけど。美味い。
慎重になるのは 2020-03-29 08:53:00 | 日記 自分の事情じゃない時。どんなことでも「責任」はとりきれない。覆水盆になんとやら。起こったことに見合うことは、起こった時にしかあらがうチャンスはない。永遠に、見合わないのだ。せめて自分のしでかしたことには、謝罪や償いの念が生まれてて、償うに比する事を当てがうことができる。自分勝手にだけどね。自分以外の人、の事情によるものには「責任」なんかないって言い切れるだろうか。少なくとも「責任が自分にもある」と感じる事には、償いの念が生まれる。自分の事だけなら、身を挺しての謝罪までは可能だ。けれど他者の事情によるものには、強要も謝罪も抗いもお節介でしかない。お節介でもいいから、なんとかしたいときは、もう事態はのっぴきならないものになってる。当人以上に荒立てる立場でもない。外野がなに言ってやがる、と言われたらその通り。だから慎重になる。慎重に、手を出す。外野だから。(かつて内野だったのに)ほっとくと、後味悪いから。どうでもいいはずなのに。