
うん。
家族の形も、家族への心模様も、人の数だけ全部違ってる。
その人が心に抱くそれを、他者が云々は出来ないし、したところで詮無いことになる。
血縁と育て云々の話もセパレートにしても、混濁にあっても、その解釈をする人の腑に落とせ方に準じたものでないと、以後の生き方ががたつきかねないです。
してあげたさ、が心の隅にあってもね、兼ね合いと経緯のうちにも、言うに言わぬ動機も生まれます。
なんでも許すと言うのは、寛容というより雑にされたと思う人もいるから。
許さないでおいてくれることに、安堵を覚える人もいるから。
覚えておいて、
早く忘れて。
人は願える。
そうなる、とも限らぬが。
人の機微は須くカスタムメイド。
正しい系統がないものだから臨機応変であればいい。
変容も流転も伴うから、「前言ってたことと違う」だって、あるんだよ、人だから。
ぶつかりそうなら距離をとって。
互いにしないでいい怪我もある。
しといたほうがいい怪我もある。
選ぶのは当事者で、選ばなくても当事者です。
ムロさんの見せたスタンスは私には新鮮に映るけれど、そうか、この選択もあるんだって、一つ選び方を心得られた気がする、いい記事でした。
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