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思うに「中庸」の観念を覚えるのです。
薬で西洋の薬は「暑けりゃ冷ます」「冷えてれば温める」という「反対に振る」作用に走ります。
漢方や和漢では「暑かろうと寒かろうと、中庸という普通を目指す」です。
ゴールの定義というか、目指すやり口がコンセプトで差異があります。
核が怖いには違いなくとも「自分は生き残る」であるのをゴールにするのと「自分だけ生きてても」では「起きることが一緒」でも「目指し方」も「生き様」も定理からして異なります。
一神教文化圏の個人主義には見るべきものもありますが、総じて見やるに本末転倒な「自分さえ..」も透けます。
複数の信教を有する我が国の「みんなが居ないんなら…」には、重複し難い差異も生まれるでしょうね。
私は個人的には「熱のある時に冷ます」やり口より「普通に戻す」のしつらえの方が好きな時、核シェルターは残酷な期間を忸怩と過ごす残忍なエゴにしか位置しないって思えてきます。
もはや生き物としての合理も損なってまで生きてても、ね。
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