こんにちは! れいです。
2010年10月16日「がんばろうね」という記事があります。
あっという間に1年が経ちました。
息子が最初に倒れたあの日のこと、忘れるわけがありません。
息子はこの日から約1ヵ月後に虹の橋に旅立つわけですが
その1ヶ月はボスも私も
様々な選択肢の狭間で大きく心が揺れ動く期間でもありました。
今になって思えば
娘が7才の誕生日を迎え
幸せなときを過ごしている最中に起こった出来事だったんですね…
時間って本当に過ぎていくものなんだなと感じます。
そして今年、10月13日。
娘のお誕生日前日のことです。
義母宅のカンタが緊急手術をしました。
本当に突然のことでとても驚きました。
12日にボスの携帯に入った母のメールには
・カンタはここのところ食欲がなく嘔吐もあること
・病院に連れて行ったところ脾臓にかなり大きな腫瘍があると言われたこと
・体力がある元気なうちに手術したほうがいいといわれたこと
・まとまったお金が必要でどうしたらいいか困っていること
・先生が「一緒に来ていただけるならばカンタ君のことを
息子さんにも詳しくお話しします」
とおっしゃっていることなどが書いてあったようで…
そのメールの返信としてボスは
「治る手術なら早めにする事を勧めるけど
一時的に抑えて苦しみを伸ばすだけなら無理はしない方が良い」
と返したそうです。
これが12日のやりとり。
明けて13日。
ボスはお昼に帰宅したので
私が娘とお散歩に行っている間に母と電話で話してもらいました。
お散歩から帰ってきて、ボスから話しを聞いて仰天!
既に今日のお昼に手術をしてもらって、今は入院しているとのことでした。
母は
チコのことが頭にあったのだと思います。
不安な状態で先生からは”早めの手術”を勧められているのです。
ボスと相談してから最終確認する心の余裕なく、
いてもたってもいられずすぐに手術をお願いしたのでしょう。
チコは亡くなる数時間前まで元気でしたから
突然旅立たれた悲しみや怖さを思い出したに違いありません、無理もないことでした。
13日夕方、私たちは母を迎えに行ってすぐに病院へ向かいました。
当たり前やないのカンちゃん!!
立ち上がることは出来なかったけれどしっぽを振ってくれたカンタ。
顔を見てホッと一安心しました。
疲れているのでしょうね…
すぐにいつものようにいびきをかいて寝てしまいました。
母とボスは切除した部分を見ながら
「こんなに大きかったんですか?!」
と声を上げていましたが私は見ませんでした。
ずっとカンタを撫でてました。
一通り説明を聞いて帰りましたが
カンタはしばらく入院することになりました。
何も知らない娘はちょっぴり苦手なカンタのいない母宅で
やりたい放題でしたが
私たちは少し心配事が残る帰宅でした。
切除した部分は精密検査に回され、結果は2週間後。
癌が見つかる可能性のある手術だったので
祈るような毎日です。
カンタ、大丈夫やからな?
「カンちゃんだいじょうぶ、頑張れ!」
の力強い元気玉ぽちをいただけると嬉しいです!
にほんブログ村