あっち向いてホイ! ~ 2nd season ~

虹の橋の子供たちに背中を押されて次女を迎えました。2016年7月24日、ブログ再スタートです!

初めまして!ようこそ「あっち向いてホイ!」においでくださいました



2nd seasonの「あっち向いてホイ!」は 虹の橋のたもとと我が家を7色の光で結んで
息子や娘はもちろんのことその他虹の橋メンバーとりとがお話しすることもある
”何でもアリ”な不思議なブログです。
一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。よろしくお願いします♪

宣伝のみのコメントにつきましては随時削除させていただいております。ご了承ください。




ありがとうございました

2022-12-31 18:10:37 | りと・虹の橋へ
おげんきですか? れいです。

ほとんど外に出ることのなかった1年が終わっていきます。
MAX40分と決めてスーパーに行って血相変えて帰って、あとは病院くらい。
極力りとを一人にする時間がないように過ごしてきました。
なにしてたんだろ。今年。
なにしてたんかなあ?

先日友人たちの忘年会があり、
帰りわざわざ自宅まで車で送ってくれた友人夫婦が
口を揃えて「れいちゃん心配してたで…?」と言ってくれて。

ああ、心配してくれてたんだ…
と思ったら
ありがたくてありがたくて、
嬉しくて、
切なくて、
ギュッと手を握って元気にしてます♪って答えた
そうしないと派手に泣いちゃいそうだった



今年1年間、病気のことばかりだったあっち向いてホイですが
たくさんの人に応援していただきました
ありがとうございました
りとも私たちも幸せでした

来年9日にはもう四十九日です
りとは既にお空で兄姉や仲間たちに囲まれて遊んでいるようなので
来年は私も自分のやるべきことにまっすぐ向かいたいと思います


私には2年ほど必死になって勉強していることがあります
りとのことで勉強どころではなかった時期もありましたが
来年はある程度形に出来るように頑張りたいと思います!

お空で見守る3人の子供たちに
「ママすごいね!がんばったんだね!」
と言ってもらえるように。



あなたと
大切な愛しい存在が
来年も変わらず健やかでありますように
弾けるような可愛い笑顔がたくさん溢れますように



来年がよい年でありますように

よい年でありますように

心から



                      れ い

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あっという間の1か月

2022-12-22 16:31:22 | りと・虹の橋へ
おげんきですか? れいです。

大掃除というのは家じゅうのホコリやらヨゴレやらを
きれいさっぱりなくすこと
その行事が終わって新しい年を迎え
お正月に神様からその年1年分の福を落としてもらうという

あの日以来頑張ろうと思っても結局掃除機をかけられない
来年 福は落としていただけるのかしら?
まずはホコリを落とせ、って叱られそうだな
--------------

ウチとご縁がある子には役割があって
息子は家族として一纏まりになったのを見届けて虹の橋へ
娘は最後 まだ余力がある内に私たちの顔を15秒ずつ見つめて
「大好き、もっと一緒にいたかった、私がいなくなっても仲良く笑ってて」
と言い残した
りとは兄姉から私たちの様子を確認してくるように言われたんだと思う

虹の橋のたもとでりとと再会した兄姉は
「ボスとママは兄姉の言ってた通りずっとなかよしでした♪」
というりとの報告を聞いてどう思っただろう
知ってたけどほっとした?嬉しかった?
真相は迎えに行くまでわからない





1才くらいの頃のものですが
カメラを向けると起動音でこちらを向いてしまったり
どこかへ歩いて行っちゃうことが多くて
なかなか写真を撮る機会に恵まれなかったんですが
りとは兄姉を交互に見つめてお話しをしていることがよくありました
これは生後2カ月半で我が家に来てから今年まで、ずっと続きました
りとが兄姉のところに帰ってからも
「よく3人でここで話してたよな…」とボスも言うほど
あの子たちの”作戦会議”はよく見られました
私が朝お線香を手向けているとひょいと膝に乗ってきて
「りとも♪ りとも一緒になむなむってするです。」
ということもありました

11月21日 真夜中。
あのままりとが虹の橋へ向かってしまったら
その後ボスはまともに仕事できただろうか?行けただろうか?

ボスは23日は仕事の予定だったけれど
会社から連絡が入り何故か急に休みになった。
もう1日頑張ってくれれば、
おそらく看取れるし、
さらに1日一緒にいられる。

21日レインボーブリッジに「両足を」かけたところで
後ろから大きな声で何かをわめく私たちの声が聞こえて
もう少しだけ頑張らないといけないと思ったんじゃないか。
生還という言葉があるけれど
あの日のりとはまさに生還だった。
あの状態で戻ってきてくれることは、そうあることじゃない。
”経験上”覚悟もした瞬間だった。
でもりとは
姉がボスの仕事にミラクルをかけ
神様に
「あと1日でいいから!1日でいいから!!」
と必死にお願いをする中

忘れ物を取りに戻るように
全速力で
”いったん”帰ってきた。

翌22日虹の橋のたもとへ向かったけれど
りとはきっと
「お兄ちゃんとお姉ちゃんが言ってた通り、
ボスとママはいつも仲良しでした♪」 …と
私たちにポンとスタンプを押すように
11月22日に旅立ったのだろう。

兄姉は笑いながら「できすぎ(笑)」とりとを出迎えただろうか


息子は私たちの結婚記念日、11月29日に旅立った。
この日まで一緒にいられるんじゃないか、
りとがあっちに行くならお兄ちゃんと同じ日を選ぶんじゃないか。
2人とも”ゴール”をぼんやりこの日と勝手に定めていて
実際は1週間も早かった。

りとはボスが帰るのを頑張って待ったんだと思う。
最後の3~4時間くらいは朝食べた鶏むね肉をほんの少量ずつ
1時間おきに吐き、
最後も同じ状態でそのまま突然亡くなった。


-いい?りと
ママはね?
お兄ちゃんが亡くなったときにすっごく泣いてたの
お兄ちゃんをお膝に抱いて
ママはずっと声をかけてた
私は後ろからママの様子を見てて
ああ、向こうに帰るときはこんなにママを悲しくさせるんだって思ったの
だからせめて
私は顔見せないでおこうと思って、そうしたの

りともボスとママに
最後、顔見せちゃだめよ?
最後に見るのがあんなに悲しい顔って
私たちまで悲しくなるもんなのよ

かお、みせちゃだめ
がんばってね


娘とりとのそんな会話が聞こえてきそうだ、と
初七日まで何度も何度も思って泣いた
りとはゲージの中で私たちに顔を見せず、
座って向こうをむいたままの最後だった。


抱っこしててやりたかった
抱っこしててやりたかったよ、りとちゃん






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りとちゃんがいい子だったからだよ

2022-12-16 18:17:10 | りと・虹の橋へ
おげんきですか? れいです。




お兄ちゃんとお姉ちゃんの間に移動しました。
過日りとはこざっぱりした性格で、と伝えましたが
自分の気分でべた~っと甘えることも多くありました。
ボスと電話で話していると私の足の間に頭(マズルではなく頭!)を突っ込んで
「ママ、りとも。りともここにいるです」

撫でながら話しを続けていると”いい加減に構われている”とわかるのか
小走りにおもちゃ箱に向かい
適当に何かを持ってきて私の目の前でピーピー鳴らしたり
ぽとりと落として笑顔を見せたりしながら
「ママ、これでりとを構うです」
なんてことがしょっちゅうありました。

2人で向かい合って床に座り話していると、間に割って入ってきて
「ボス、ママ、りとも。りともいるです。りとも。」
という行動も毎回のように見せてくれました。
これがとても可愛くて、私はこれを「むりむりポン」と呼んでいました。

椅子に座っていても足の間から
ムリムリムリムリムリ …ッポン!と言う感じで頭を出し、
「ママそれりとも。りともたべたあ~い。」

それでも自分を見てくれないと
私たちの足を手でバンバン!バンバン!と殴ったり(笑)
「お願い」や「可愛い顔」をしてきました。
りとはどうすれば自分に気を向けられるか、構ってもらえるかを
よく理解していたのだと思います。

兄姉の間で、まるで「むりむりポン」。
少し困った顔をした二人のことなど気にせずに
満足そうな顔をして
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、りとも。」
しっぽを振っているりとの顔が見えるようです



あれこれ頑張って飲んでいた薬のうち
りと処方になっていたものは処分しました。
永遠の3歳児みたいな子だったけど
ヒト年齢では40代だったんですね



口に合ったのか最後までずっと気に入って食べてくれたサプリメント。
あとちょっとだけ残りました。



保険の解約手続きをした数日後
娘の時と同じようにアニコムからお花が届きました。


12月7日 夜 (小雨)
2人で病院へご挨拶に行きました。
最後の患者さんが出たのを見計らって中へ。
院長先生は黙ってじっと私の顔を見るので
ありがとうございました、と言って頭を下げました。
いろいろお話ししました。

りとの抗がん剤は先生がりとの体重に合わせて割り、
カプセルに入れてくれてました。
りとちゃん来ないなあ…って思ってました、と言ってくれました。

この日はお世話になっていた先生が2人ともいらっしゃったので
ちゃんとご挨拶できて本当によかった。



病院を出る前、先生がくれました。
一番最初に病院に行ったとき診察券用に撮ってくれた写真を
A4サイズに引き伸ばしてくれた「ちびりと」の写真。
りとの手が私をぎゅっとつかんでいるのがわかります。
この頃は右手だけで十分支えられるほどの小ささだった
生後4か月のりと。



りとちゃん…

泣かないと思っていたんですけどこれをいただいたときは
さすがに涙が出てしまいました。

さらに翌日



病院からりとにお花が届きました。


泣かないようにお礼を言おうと思いながら電話しましたが
最初のころからお世話になっていて
よくりとを可愛がってくださった方が電話に出てくれたので
ボロボロに泣いてしまいました。
よかったねえ、
りとちゃんいい子だったからだよ。

りとが亡くなってからずっと夕日が美しくて
毎年こんなにきれいだったっけ、とぼーっと見てしまう
りとが亡くなってから急に寒くなって
季節の変わり目なんだなあ、と思う
りとが亡くなってから世の中のことはどうでもよくなって
ああ、娘ちゃんのときもそうだったな、と思ったり

りと、げんきかなあ。
りと、 ・・・。


りとちゃん




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3回目のジャッジまでの出来事

2022-12-11 19:16:48 | りと・虹の橋へ
おげんきですか? れいです。

少し写真を振り返れるようになったので
最後の数日をUPしておこうと思います。





11月19日 りとちゃん最後の紅葉狩り。



この日最後のランとなりました。
少し周りの匂いを嗅いで、あとはつまらなそうな顔になってしまって。
ほんのわずかな滞在時間でしたが「もう帰ろう、帰ろう」と。
しっぽについたごみを取り、
この日私に最後の「おはなちゅ」をしてくれました。



11月20日 
病気になる前から 飽きたのかほとんど上に乗らなくなったクリス。
上に乗ったのはこの日が最後だったと思います。
娘時代から使っていたクリスとも、明日お別れします
長い間 娘とりとを乗っけてくれてありがとう。


そして11月22日 0時13分


梨を食べなかった、と私がボスに言い、すぐ3人で写真を撮り、
その後りとはボスから私がゆでた鶏むね肉を食べました。
「がつがつ食べてくれたけど何となくこれが最後になる気がした」
と日記に書いてありました。
このあと少し吐いてしまい、9分後「あの時」が訪れました。



0時39分。 
りとは、もうこの時だった。 …んだよね?と
のちに2人で話す中で一致しました。
詳細はいづれまた書こうと思いますが
りとはもう1日、頑張らなければならない理由がありました。
この日ボスは遅刻したとしても許されるギリギリの時間まで
りとのそばにいました。
どんなに心配だったか、行きたくなかったか。
「もう、その時は今夜かもしれない」
「りとに触れられるのはこれが最後かもしれない」
とどこかで覚悟を持って
振り切るように仕事に向かったと思います。

10時すぎにラインで
「これとこれを、これだけ食べたよ!
昨日のあれは何だったの?って思ってしまった
いや、うん、わかってるけどね。わかってるけど、ね」
と送ると
15分くらいして
「ライン来て涙が出た 読んで泣いた
うんうん、わかっている。わかっているけど」
と返事が来ました。

後に聞いた話しだと
ボスはその時が来てしまったんだなと思い
ラインを開くのが怖かったそうです。

違った、りとはまだ生きてる!
家に帰れば「ボスおかえり~」ってしてくれる
りとが俺を待ってる!
待ってる!!
と思ったはずです。
心から「よかった…!」と思い自然に嗚咽したのだろうなあと思います。



その日の夕方、ボス帰宅。
「りとちゃんボス帰ってきたよ?」
というと起き上がり兄姉の前までテクテク歩いて行って
じっと玄関を見つめました。
「行かないの?ボス帰ってきたよ?」
一歩も歩かないりとに「ああ、もう歩くのしんどいんだな…」と思いました。
それでもりとは
「ボスお散歩から帰ってきたです。おかえり」
と言いたかったんだろうなと思います。気持ちは凄く伝わりました。
玄関が開いて姿が見えると何故か和室の入り口辺りに伏せたので
何でかなあと思ったのですが
いま、
いま、おもえば、
あの場所は玄関先のボスからりとまで一直線の場所で
自分に向かってきてくれることを長く感じられる場所でした。

ボスが帰宅してきっちり20分後、
りとはぷつっと糸が切れたように
急に、突然、その時を迎えました。


11月23日
りとがいない日のカウントが始まる日。
和室で3人で寝たので目が覚めて”しまってから”
意を決して手を伸ばし「りとおはよう」と言う
ボスと2人でどうしようもないほど泣く
「わかってる。わかってるきついのは今日からや」
2人で言い合いながら娘を思い出す。

頑張って適当に何か食べ、ブログで訃報を上げる。
2時ごろ泣きながら和室で寝てしまう。



夕方起きてから のそのそと
保険の解約手続きをしたり
災害備蓄品の中からりと用のお水を処分したりと
細々したことを少しやり、
全然お腹が空かなかったけれど、でも2人とも頑張って食事を摂る。
何の味もしなかった。



11月24日 3時 りと荼毘に付す
ボスは会社の方に便宜を図っていただいてお昼を回ったころに帰宅する。
バタバタと支度をする。
手紙を書いたので抱っこして泣きながら読んで聞かせたり
最後にベランダからお外見ようか、と抱っこしてベランダに出たり
3人で写真を撮ったり。
娘にしたように
りとにも真っ赤なバラを1本持たせました。



出発前にりとが好きでよく遊んだおもちゃと
りとの好物をたくさんたくさん入れました。
向こうで3人で食べられるように、少し多めに入れました。



荼毘に付す前、〇印のあたりに
ボスと私で1枚ずつバンダナを入れました。
娘にも入れたように、同じように。
「りとちゃん、ボスとママの、顔と声と匂い忘れないでね?
これ向こうでお布団にして使ってね?
ずっと一緒だからね?」

覚えていてほしくて
2人とも荼毘の直前まで、肌につけていました。

りとを待つ間涙が止まらなかった。
外に出ていたボスが入ってきて隣に座り
持っていたチョイスを2人で無言で食べる

ねえ、と言うと
堰を切ったように泣き出すボス
それを見て私も泣きながら
「もう少し一緒にいれてもよかったんじゃないかなあ」
と言ってしまう。

病気になったことは仕方ない。
でも、りとはまだ7歳だった。






24日の夕焼けです。
真っ赤な雲が西の空から全体に燃え広がるような
何とも言い難いものすごい景色でした。
忘れがたい夕焼けでした。



11月25日
この日からふとりとを見ると
こんな感じで虹がかかる場面に出くわすことが増えました。
「りとはもう虹の橋のたもとにいるですよ」
「ボス、ママ、りとのことは心配しなくて大丈夫です」
りとと娘の声が聞こえてくるようで
気を抜くとわんわんと泣いてしまうような毎日。



りとを荼毘に付してから不思議なことが起こっています。
私たちの夢に、毎日のように小さな犬が出てくるのです。
私は時々猫だったりもしますが
りともりとのままで、1度だけ出てきてくれました。

夢ではボスも私もその犬のことを「りと」と認識しているけれど
どこか「娘」でもあるのです。
-今日も犬、出てきた
-俺も出てきた、娘やったと思う。いやでも、りとやねん
-わかるその感覚!私ミニチュアダックスだよ。もう何回目だろう?
 なんでこんなに毎日犬の夢見るんだろうね?
-そっちにチャンネル合わせちゃうのもあると思うけど
 何か理由あるんかなあ?
-すごくない?毎日のように2人で見てるんだよ?
 やっぱりこれ娘ちゃんやと思うけど…



そんな会話をするのが「当たり前」になり
明日 りとは3回目のジャッジの日です。




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2回目のジャッジ

2022-12-05 11:04:39 | りと・虹の橋へ
おんげきですか? れいです。

りとが亡くなった翌日から大風邪を引いてしまいました。
どんどん熱が高くなりひやひやしましたが
24日朝には嘘のように引いたので
予定通り3時に滞りなく荼毘に付すことが出来ました。

27日には数年ぶりに38度の熱が出て心身ともに辛かった。
3日間ほど咳がひどく寝付けず、明け方気を失うように座ったまま少し眠る日々。
30日 詳細は省きますが奇跡的に発熱外来の予約が取れ
やっと病院へ(あれは娘の計らいだったと思います)。

今もなかなか咳が止まらず夜はうんざりすることもありますが
あと数日で完治すると思います。


息子より早く、
何の未練もなく、
そのままお空に駆け上って帰って行ったりと。
亡くなった直後からもう既にこの家に気配はありません。

こんなにも気配がありません。
こんなにも。
息子の時ですらこんなことはなかった。

やるだけのことを一生懸命やったのでしょう。
お兄ちゃんとお姉ちゃんから頼まれたことも
最後までしっかりやり遂げて
何食わぬ顔で二人の前に姿を現したに違いありません

さすがに兄姉もギョッとしたのではないかなあ…
「四十九日って日までは ボスとママのそばにいていいんだよ?!」
「早ない?!りと、お前早ない?!」
ってアワアワしてるあの子たちの顔も浮かぶような、
浮かばんような。
---------------

初七日を過ぎてからは
困ったような怒ったような
そんな顔でりとが私を見ている気がして仕方ありませんでした。 

「どこに行ってもどこにいてもずっと一緒、何も変わらない。
ボスとママの顔と声と匂い忘れないで
昨日も今日も明日も同じ、何も変わらないよ。5人家族!って
ママりとに言ったです
りと何度も聞いたです
それなのに
ママは何でそんなに泣いてるですか?
どこに行ってもどこにいても何も変わらないんですよね?
ママ忘れちゃったですか?
りとはママに言われたことちゃんと覚えてるですのに!
思い出してください
りとはずっと一緒にいるし、どこにいても家族です!」

そういわれてる気がした

この大事なことを思い出させようとして
3人束になって私に熱出してやろうと思ったのかな。
---------------

今日は2回目のジャッジの日です。
凄い早さでりとと過ごした時間が過去になっていくのを感じます。
りとの「抜け毛」はゴミで普通に掃除できていたのに
息子や娘の時と同じように
掃除が出来なくなって2週間です。
一度頑張ってかけたものの
りとの抜け毛が無機質に掃除機に吸い込まれていくのがイヤで
途中で嫌になってやめてしまった。

りとは娘以上に密着した感じで育ったものの
基本的にこざっぱりした性格だったので
私がそんな小さなことで気持ちが沈み込むのを見ているのは
不思議で仕方ないかもしれない。

例えば足先がりとを覚えていて
歩き出すたび
立ち上がるたび
りとを踏んだり蹴ったりしてしまわないように
いまだにすり足から始まることとか
例えば9時になったら
りとちゃんご飯食べようか、と声をかけそうになることとか
例えば、
例えば、
例えば…

私のそばにいることが多かったりと。
「ああっ、ごめんごめん、ちょっと蹴っちゃった、りとちゃんごめんね」
もうこの言葉を使うことはない。
「もぅ。」
というりとの顔ももう見れない。
--------------


四十九日まで7回ジャッジがある中
その節目節目でりとのものを処分していこうと思いました。

今日は、お薬を処分します。


りとを助けてくれてありがとうという感謝の思いを込めながら。




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