人間の力を超えすぎているのか

2011-07-22 07:56:02 | インポート

昨日某所で話題になったのは、やはり原発のこと、原子力利用のこと、実際に今事故の現場で働いている方々の問題。聞けば聞くほど憂鬱になる話ばかり。

結局思うのは、あの地震や津波さえなかったら、事故さえ起こらなかったら、というところにいってしまう。 でも、事実今、これは現実の問題で実はごく身近な地域にもホットスポットが存在するし、知らず知らずのうちに誰もが危険にさらされているわけだ。なんと言うすごい時代だろう。

で、見えてくるのは世の中を否応なく動かしていく「利権」という非常に恐ろしい問題。政治も宗教も、実は経済を無視できない現実。いやはや自分の今の状況の原因だって実はそれが原因なのだが、世の中を真に動かしているものは実はお金、経済なのだということをよくよく考えないと事の周辺をうろうろして終わってしまうのだろう。

 経済自体は善でも悪でもない。これは人間の社会を成り立たせるために欠かすことのできない活動だ。ただ、他のすべてのものと一緒で使い方で善にも悪にもなりうる。人を生かすことも殺すこともできるのだ。ところで、 もしあるところに隠された利権があって、長年ある一人の人物の存在を利用して既得権益を手に入れていた人たちがいたとしたら、利用され、その存在を隠され、生活保護などに落とされているその人間はいつまでも沈黙していなければならないのだろうか? 利権の怖さはすぐそばにもあるのだ。

信仰は経済とまったく無縁のものではない、どちらも人間の社会の問題なのだから。しかし、それをどうしたら正しい形に持っていけるのかは個人の力だけではどうにもならないのも事実だ。間違えてはいけない、人間は曲がることもあるのである。


多分役に立つはず

2011-07-21 11:49:48 | インポート

今日は午後から近所のコンビニに行って、大量のコピーをとってくる予定。在世会の方々の分のお風呂ダヌキと、別口の二人用と言っても一人はお風呂ダヌキはいらないから終課と愛の答えはだけ。それでも5点コピーとる。合計7点コピー。時間がかかるなあ。

お金も時間もかかるが、心があれば物が動くと言うからね。見えない心は形にしなくては伝わりにくい。また、送り返したりはしてほしくないな、これは相手の方自身のために役立ててほしいからこそ、ないお金と面倒な時間をかけるのさ。間違ってもらっては困る。

とにかく夕方二人分持っていこう。断ったりしないでほしいな。これ、種々のいきさつで多分、かなり役にたつはずなんだから。そのいきさつ、どうして教区のトップに全然伝わらないで足を引っ張るうわさばかりが伝わるのか、実に謎。それがまたどうして形を変えて一部の急Wagaグループの方々にも流れているのかこれも実に謎。


八王子の聖クララ会

2011-07-19 14:30:54 | インポート

なんだかんだと言いながらもすでに今日は7月20日、大型台風の影響か朝から外は土砂降りだったのが、今の時間はほとんど雨が止んで曇り空だ。昨日に比べれば温度は低いが湿度が高くてべたべたして、これも困る。

しかし、天気に文句をいってもどうにもならないから、家事仕事だけさっさと片付けて、その後先日、関口教会の友達の話を聞いて、気になっていた八王子の聖クララ会に問い合わせの電話をかけてみた。八王子の聖クララ会は昔々、確か何かの折にインターネットのメールを送って、その縁で『公園のお風呂ダヌキ』のコピーもお送りしたことがあるっきりで、直接行ったことは一度もないし、とにかく遠いところと言うイメージがあった。

関口教会の友達も当方も在世フランシスコ会の集まりに行っているので、彼女は六本木で8月11日の八王子の聖クララ会でのお祝いのミサの話を聞いてきたのだ。その件ならこちらも吉祥寺で聞いていたが、一人では知らないところに行くのは気が進まないからそのまま忘れていたところだった。彼女が行きたいけど帰りが夜遅くなると帰り道が暗くて怖いからというので、ちょうどこちらも一人なら行かないつもりだったから、彼女が行ける時間かどうか確かめてみたわけだ。

すると修道院でのミサは午前中の11時からということで、早速彼女にも電話をして早すぎの気もするが、遠隔地のバスの運行時間は不安があるから、朝の9時半に八王子駅で待ち合わせることになった。国分寺から先の中央線はよほどの用事がないとほとんど乗らないから、どのくらい時間がかかるのかわからないのである。しかも重症の方向音痴の当方、これが自分ひとりだったら絶対行く気がしない。

しかし、当日は吉祥寺の顔見知りも来るようだし、八王子の在世会の方々が大勢来るのだそうだ。それなら帰りも多分大丈夫だろう。二人で同じ方向に帰る方の後ろについていけば帰れると思う。笑い事でなく本当によく道に迷っているから心配なだけだ。おばはんが二人、とぼとぼと道に迷っているところは想像するだけでかなわない。

八王子の聖クララ会にはホームページがある。これだ。

    http://www7.ocn.ne.jp/~st-clare/index.htm

ネットで検索して見ると、どうやら最近はほかの修道院と同じようにシスター達の生活のために、お菓子つくりをしているらしい。昔、鎌倉のレデンプトリスチンの院長様が、囲いの中でできる事業はどうしてもかぎられているが、お菓子つくりは、デパートなどともタイアップできる安定した事業なのだとかおっしゃっていたのを思い出す。外に出ないシスターたちも生活のためにできることをしなくてはならないから、ヨーロッパの修道院でも昔からお菓子つくりは盛んだったのだ。

とにかく、実際に聖クララ会に行ってみることになろうとは思っていなかったから今から楽しみだ。

 

    

 

 


のんびり、うだうだ、夏休み

2011-07-18 13:18:48 | インポート

さすがに夏の連休は全体にのんびりムードにあふれていて、静かなものだ。ヘリコプターも飛んでこないし、聞こえる音は廃品回収の音くらいなものか、たまに遠くのサイレンも聞こえるがすぐにおさまっている。

外は暑くて出かける気がしないから、こんな日は普段は飛ばし読み、斜め読みをしている日経電子版、日経オフタイムの人気連載コラム「列島あちこち食べるぞ! B級グルメ」略して食べBを久しぶりにじっくりと読むことにした。これは元々は「新日本食奇行」の名で、日経NETの名物コラムだったのが日経新聞の電子版移行で、名前も内容も多少変わりながら、相変わらず主筆の野瀬泰伸氏を中心に日本や世界の各地の食文化に関心を持つ(ただの食いしん坊と言う説もあるが)人々が集まり、情報を交換している場なのである。

今、世間でも盛んになってきたB級グルメという言葉はここから生まれてきたといってもよい。日本各地の知られていなかった土地の安くておいしい名物料理を紹介し、売り出すことでその地域の活性化にも役立てようということで始まったと記憶している。当方、関心はあるのだが、残念なことに高血圧にコレステロールが問題になる年齢に入って、ここに登場する食べ物にはあまり近寄れなくなってしまい、いつしか遠ざかりがちになってきている状況だ。なにしろ内科の先生いわく、野菜だったらいくら食べてもかまいません。でも、ラーメン、フライドチキン、高塩分、高脂肪分のものはだめです、と言うお達しが出ては仕方がない。一人暮らしで寝たきりにでもなっては目も当てられませんからねえ。

とはいえ、この野瀬さんの記事がきっかけでSNSに参加し、大勢の友人知人を得て、今もお付き合いが続いているわけで、そんなに簡単に縁が切れるわけもなく、(あ、そうそう、twitterやtumblrに参加したきっかけもここの知人がいたおかげです。誰も知り合いがいなかったらやっぱり途中でやめてしまったでしょう)今日までちゃんとご縁の糸が切れずにつながっているということになったわけだ。

今回の食べBの記事はこれ。

  http://www.nikkei.co.jp/category/offtime/tabeb/article.aspx?id=MMGEzq000012072011

投稿しているのはほとんどが友人知人の皆様方。みんなでフェイスブックのページまで盛り上げているのだからすごい。本来なら、「お台場合衆国2011×B-1グランプリ」の記事が書ければよかったのだが、残念ながらちょっと参加できる体調ではないので、せめて食べBの紹介だけでもしようと考えた次第だ。うちの聖歌隊のお姉さまなどは人の腕の太さを見ては痩せろと仰せになるし、まあ、あんまり誘惑の多い場所には近寄らんことにした。


ミサがわかるセミナー

2011-07-17 20:20:02 | インポート

今日も暑い一日だったが、それでも久しぶりに聖イグナチオ教会の信徒向け講座、ミサがわかるセミナーに出かけてみた。森司教様が講師なら面白そうだと思ったのである。昔は聖イグナチオ教会の講座といえば信徒向けも求道者向けも非常に充実していたと覚えているのだが、年月の経過とともに人材も昔のようにはなかなか揃わないように感じるのは贅沢すぎるだろうか。

しかし、森司教様となるとさすがで、なかなか聴きでのある内容だった。ミサについて普段慣れっこになっていてわかっているつもりが実は全然わかっていなかったことがわかったり、非常に勉強になる講座だった。次回も参加するつもりだ。と言っても8月は夏休みでお休み、次回は9月4日だそうで、講師は岡田大司教様。その日は午前中はカテドラルで大司教さまの着座記念ミサがあって、そのあと午後1時からの聖イグナチオ教会のミサがわかるセミナーにおいでくださる予定だ。

8月は幸田司教様の聖書の集いもお休みだし、油断すると何もしないで過ぎてしまいそうなのがこわい。真面目に行こう。

そういえば忘れるところだった。平和旬間2011の案内を見ると、8月13日(土)は、12時からヨセフホールで「平和の巡礼者 ヨハネ・パウロⅡ世」のDVD上映に始まって、1時からはシンポジウム「広島『平和アピール』30年」 岡田武夫大司教・幸田和生司教・森一弘司教 ヨセフホールにて。

で、そのあと4時から平和巡礼ウォーク。 麹町教会(聖イグナチオ教会)から関口教会(東京カテドラル聖マリア大聖堂)まで。

夕方6時からは、平和を願うミサ 東京カテドラルで 岡田大司教様・幸田司教様

 

 


ケセラセラ

2011-07-17 00:06:36 | インポート

今日ももうじき終わり。明日がすぐそば。この時間今までおもちゃパソコンの調整に手間取っていたため遅くなってしまった。近視で乱視で老眼で緑内障ときては、文字の大きさだけは調整しないと、こういう小さな機械は実用に出来難くなってきている現実があるというわけだ。

しかし、今日はなんだかんだと言いながら四谷の教会でちゃんと聖歌隊の奉仕もしたおかげか、とりあえず誰に相談に行けばよいかはわかって一安心した。どうなるかはまだわからないが、この方なら知らぬ顔はなさるわけがない。

一安心して気が軽くなったら持ち前の何とかなるさ気分がいっぱい。となれば明日は森司教様のお話でも聴きに行こう。


頑固丸の思い出

2011-07-15 12:11:37 | インポート

おっはようございま~す、マリーで~す。 うちのおばはんは昨日、木曜日の聖書の集いに行ってから、なんか急に落ち込み気味みたいなの。なんせ、司教様でさえどうしようもない現実ってのがあるんだもんねえ。でも、しょうがないじゃないの、そういう時は少し気分転換をしなくちゃ。

雑用もいっぱい溜まっちゃってるけど、一日遅らせたからって大勢には影響ないもんね。今月いっぱいはご近所のDVDのレンタルショップが新品以外はどれでも7泊8日で一本100円よ。ちょうどいいじゃないの。あの人も昨日5本借りてきたから当分、気分転換にはちょうどいいんじゃないのかな。でもさ、どうしてトゥイーティーの漫画とニコラス・ケイジの映画が一緒なのかよくわかんないけど。

トゥイーティーは、うちのおばはんが可愛いキャラクター大好き人間だからよね。ニコラス・ケイジが可愛いとはどう見ても思えないんだけど、アクターとして優秀だとかなんとか言ってたっけ。全然共通性のないお気に入りだわ。

キャラクターっていえばうちのおばはんが未だに悔しがっている幻のキャラクターがいたのよねえ。原稿もコピーも一部も残らず行方不明よ。頑固丸って言うブルドッグの子犬なの。普段はガン公って呼ばれてるの。あの人、今暑さで頭がボーっとして、新しい物語どころじゃないからかしら、頑固丸のことが頭に浮かんでくるみたいよ。性格のいいワン公なのよこれが。

あの人の頭の中の引き出しに、小柄なおばあさんがリードをつけたブルドッグに引っ張られるように歩いているイメージが入っているの。そのイメージを何度も見ているうちに年配のおとうさんとおかあさんと、おとうさんのお母さん、つまりおばあさんの三人の家族の家にブルドッグの子犬が貰われてきた話が浮かんできたの。子犬の顔を見たおかあさんが、この子はまだ半分赤ちゃんなのにまるで頑固じいさんみたいな顔をしてるって言い出して、おとうさんが、なるほどそうだな、これはひとつ男らしく頑固丸でどうだ、とか言い出して子犬の呼び名が頑固丸、通称ガン公になるの。ほら、正式な名前って日本語じゃなかったりするじゃない、それじゃなんか呼びにくいって思った家族なのね。

ガン公はこの高齢世帯のおうちで可愛がられて育っていくんだけど、ある日、お父さんとお母さんのお嫁に行った娘さんが病気で急死しちゃうの。その娘さんには三人の女の子がいて、夏見、冬見、清見っていうんだけど、この名前、すごく安直に夏みかん、冬のみかん、清見オレンジからとったの。でもってこの三人の女の子が、お父さんの仕事の都合で自分たちのおじいさん、おばあさん、ひいおばあさんにあたるこの家族の家に引き取られて一緒に住むようになったの。

でもって、実はおばあさんはカトリック信者で、三人の孫たちもおばあさんと一緒に教会に行くようになるの。頑固丸がよくお世話になっている獣医さんの奥さんも信者で、子供が生まれて、獣医さんも一緒に洗礼や婚姻の秘蹟を受けるの。そんなことがきっかけで、獣医さんの奥さんの実家のある長崎の歴史とか隠れキリシタンのご先祖様の話とかになって、宣教師のドロさまやドロさまそうめんのことなんかも簡単に出てくるの。

だけど、肝心の原稿が無くなっちゃって、残っているのはガン公も女の子たちもすっかり大きくなってからの続編だけなのよね。それも、家のおばはんの言いたいことの意味も読み取れない連中がくだらない憶測で悪いうわさの種にしてるんだもの、どうしようもないわよ。もっともその意味を深く考えて見ると日本の教会の信者の未熟性ってことかもね。日本人の普通の感覚では実はキリスト教の「愛」の意味は理解できないのかも。いやいや、そういうことになるのは神父側にも問題があるんだわさ。人間的にも未熟ってことじゃないの? ま、余計なことを言うのはやめとくけど、結局今のおばはんの状況の原因てその辺に行き着くんだわ。

62歳になろうとしているうちのおばはんもこれじゃちょっと可哀相だってことがわかんないのかしら、まったくどうしようもない連中だわ。これ以上書くと文句ばかり出てくるからこのへんでやめるわね。

ほんじゃ、また。次回は愚痴にならないようなはなしにしたいわ。バイバイ。

(言ってしまうと、なぜこの話が消えたのか、複雑なわけがあるのよん。言ったところでどうにもならない事情、それは竹の園生に関係しちゃってるから。だからおばはんも黙っちゃうだけ。何とかできる人はいないのかしらねえ)

 


涼しくなる方法はないものか?

2011-07-14 15:56:00 | インポート

昨日は試しに大海原に生きるクジラさんに登場してもらってみたが、今日もこの時間、夕方出かける予定でなければパソコンなどいじりたくない気分。機械が熱くてとても長時間は触りたくはない。機械もかわいそうだ。早く書き込んで早く終わりにしたいが、何を書こうか?

迷った末に思い出したのは秋田の男鹿水族館にいる二頭のホッキョクグマのことだった。北海道の釧路市動物園から男鹿水族館の雄のホッキョクグマ、豪太くんのところに、ツヨシちゃんかクルミちゃんかどちらかがお嫁に行くということになっていたので、どちらがいくのか気をもんでいたのだが、結局、クルミちゃんが秋田に行ったわけだ。

これで少しでも秋田県の観光にも役に立つといいのだが、果たしてどうなるかまだそこまでは早すぎかな。

  http://www.gao-aqua.jp/index.html

男鹿水族館のホームページだ。細かく見ていくと、ホッキョクグマのコーナーもある。豪太くんもクルミちゃんも紹介されている。釧路に残ったツヨシのほうは小さいときからツヨシを応援してきた方たちもいらっしゃるので、今度はツヨシの婿取りが問題になっていくのかもしれない。

東京、上野動物園のホッキョクグマは現在工事中で展示中止だ。残念。

 


昨日の一日

2011-07-13 06:25:55 | インポート

昨日、四谷の教会に行ってみるとヨセフ・ホールで峰脇さんという写真家の方の「五島の教会」写真展が開かれていた。以前からキリスト教会のSNS、キャンドルズで浜串教会の中田師のブログを知って、配信更新のたびに自分のtwitterでも更新を知らせていたので、五島の教会には結構関心があったから早速見せていただいた。この写真展は今日、13日の夜まで開かれているので、ご覧になりたい方がいらっしゃったらまだ十分間に合うのではないかと思う。

写真展を見た後は、久しぶりに会った友達と食事をしながら、あれこれとおしゃべりした。こちらは吉祥寺の在世フランシスコ会に行っていて、向こうは六本木の在世会に行っているので、行けたら一度来週にでも六本木の例会の様子を覗きに行ってこようかという話になった。ほかの在世会で知っている方というと後は田園調布の南さんくらいなものだし、少々好奇心を感じている。

友達は自分の見てきたイギリスのクララ会の話をしてくれたが、シスターたちの生活を見てお金の使い方に、あれでは清貧どころではないと感心していなかった。イギリスのクララ会は国も違えば人の考え方も違うという見本なのだろう。清貧ということだったら日本にいてもイエスの小さい姉妹の友愛会のシスター達の生活をみれば、これならと納得するのではないかと思う。こちらも時代とともにかなり変化はしてきたが、ほんとに慎ましい生活を送っているシスター達だ。

そういえば、昔々、小さい姉妹の会が、世俗の真っ只中での観想生活ということを旗印に掲げていたのは、いったいいつどうして消えてしまったのだろう。他の会の司祭に伺うとみんなあの会を労働修道会という位置づけで見ておいでのようだ。世俗の真っ只中での観想は不可能だとでもいうのだろうか。一信徒には理解しがたいところだ。生活のすべてを神への祈り、神との対話に変えていくことはできないのだろうか。そうでもないような気がするから在世会に目を向けたのだが・・・

友達とおしゃべりしたおかげで、日ごろ気になっていたことが心の表面に浮上してきたようだ。ほかにもまだ、岡田大司教様、幸田司教さまの忙しさと健康の心配とか、各教区の内情とか、みんなまわりで心配しているだけで聞いてもどうにもならないような話がいっぱいあることはわかった一日だった。