人権市民会議の日本における人権の法制度に関する提言
http://www.geocities.jp/mkaw8/hrcc/events/hrlp0609.html
というのを読んでいて、最近思ってたことが分かりやすく書かれてあった。
最近の「勝ち組」「負け組」にあるように、なんとも他人に対し
厳しい社会になってしまったのはなぜなんでしょう?
##この提言の一文によると・・・##
近年においては、自助努力・自己責任を過度に重視する新自由主義の台頭
「国」があっての「民」という国家至上主義
多民族・多文化の共存を否定する排外主義
あるいは自由な市民生活を抑圧しかねない反テロ活動を名目とした法制度
の成立などを背景として、これまでに獲得された権利や自由に対してさえ
不当な攻撃が加えられている。
その結果、すでに人権侵害や差別であると社会的に認識されている問題に
ついてさえ、それが人権問題であるという認識や理解そのものが非難・攻撃
されており、それらの人権侵害や差別の当事者であるマイノリティは周縁化
され、その他の人びとと分断されている・・・
########
最近の他人に厳しくなっている理由が見えてきませんか?
「俺は必死で戦って今の地位を確保しているんだ!生きているんだ!」
という辛い思いが、他人に厳しくなり傷つける。
余裕がなくなったのだろうか?
誰かが失敗すればより塩をぬるように厳しい叱責をしたりする事件が多い。
企業の不祥事、ブログの炎上などもそうだろう。
学校のいじめの構造と同じじゃないか?
抑圧された学校と言う狭い社会の中でいじめは起こる。
大人になればそこは理性を持って抑えられたことが、出来なくなったのか?
それほどに社会が陰鬱になっているのか。
弱いものを見つければ、さらに踏みつける。
自分の生きている厳しい状況がそうさせる?
自己を殺して生きている自分、そんななか、自由さや自分らしくなんてことを
言っている人を見ると叩きのめしたくなる?
同じ方向に向いていないと気に入らなくなる。
道を外れて歩いている人を許さなくなる。
国についていくのは日本人なら当たり前だという短絡的な論理になる。
愛国心や国旗国歌での反応も同じ意識がさせるのでしょう。
俺はこんなに社会に合わせ自己を殺して耐えているのに、お前も耐えろ!
抜け駆けは許さないぞ!・・・そう恫喝する。
その恫喝は回りまわって、また自分に返ってくる・・・。
また自分に返ってくる・・・
また自分に返ってくる・・・
そこに気がつけばいいのに、繰り返して憎しみ?怨念を再生産していく。
より息苦しい社会づくりに自らが加担をしているのに気がつかないんだよね。
既に恐ろしい社会に俺たちはいます。
止めましょうよ、自分のところで!
自分だけが抑えることなんて出来ない?
もう、止められないところまで来ているのか?
俺はあきらめたくないけど・・。
日本人としての誇り、とか君が代・日の丸だ!と言っている人が
既に多様性を認めぬ器の小さい寛容さを失っている。
そんなものが誇りある日本人の理想な姿なものか・・
さて、この「日本における人権の法制度に関する提言」は
今意見を募集中だそうです。
同性愛者からの意見が少ないそうです。
何でも俺たちの想いを書いて送っておきましょう。10/15まで!
http://www.geocities.jp/mkaw8/hrcc/events/hrlp0609.html
http://www.geocities.jp/mkaw8/hrcc/events/hrlp0609.html
というのを読んでいて、最近思ってたことが分かりやすく書かれてあった。
最近の「勝ち組」「負け組」にあるように、なんとも他人に対し
厳しい社会になってしまったのはなぜなんでしょう?
##この提言の一文によると・・・##
近年においては、自助努力・自己責任を過度に重視する新自由主義の台頭
「国」があっての「民」という国家至上主義
多民族・多文化の共存を否定する排外主義
あるいは自由な市民生活を抑圧しかねない反テロ活動を名目とした法制度
の成立などを背景として、これまでに獲得された権利や自由に対してさえ
不当な攻撃が加えられている。
その結果、すでに人権侵害や差別であると社会的に認識されている問題に
ついてさえ、それが人権問題であるという認識や理解そのものが非難・攻撃
されており、それらの人権侵害や差別の当事者であるマイノリティは周縁化
され、その他の人びとと分断されている・・・
########
最近の他人に厳しくなっている理由が見えてきませんか?
「俺は必死で戦って今の地位を確保しているんだ!生きているんだ!」
という辛い思いが、他人に厳しくなり傷つける。
余裕がなくなったのだろうか?
誰かが失敗すればより塩をぬるように厳しい叱責をしたりする事件が多い。
企業の不祥事、ブログの炎上などもそうだろう。
学校のいじめの構造と同じじゃないか?
抑圧された学校と言う狭い社会の中でいじめは起こる。
大人になればそこは理性を持って抑えられたことが、出来なくなったのか?
それほどに社会が陰鬱になっているのか。
弱いものを見つければ、さらに踏みつける。
自分の生きている厳しい状況がそうさせる?
自己を殺して生きている自分、そんななか、自由さや自分らしくなんてことを
言っている人を見ると叩きのめしたくなる?
同じ方向に向いていないと気に入らなくなる。
道を外れて歩いている人を許さなくなる。
国についていくのは日本人なら当たり前だという短絡的な論理になる。
愛国心や国旗国歌での反応も同じ意識がさせるのでしょう。
俺はこんなに社会に合わせ自己を殺して耐えているのに、お前も耐えろ!
抜け駆けは許さないぞ!・・・そう恫喝する。
その恫喝は回りまわって、また自分に返ってくる・・・。
また自分に返ってくる・・・
また自分に返ってくる・・・
そこに気がつけばいいのに、繰り返して憎しみ?怨念を再生産していく。
より息苦しい社会づくりに自らが加担をしているのに気がつかないんだよね。
既に恐ろしい社会に俺たちはいます。
止めましょうよ、自分のところで!
自分だけが抑えることなんて出来ない?
もう、止められないところまで来ているのか?
俺はあきらめたくないけど・・。
日本人としての誇り、とか君が代・日の丸だ!と言っている人が
既に多様性を認めぬ器の小さい寛容さを失っている。
そんなものが誇りある日本人の理想な姿なものか・・
さて、この「日本における人権の法制度に関する提言」は
今意見を募集中だそうです。
同性愛者からの意見が少ないそうです。
何でも俺たちの想いを書いて送っておきましょう。10/15まで!
http://www.geocities.jp/mkaw8/hrcc/events/hrlp0609.html