ゲイは日陰のままで生きていかねばならない?
そんなことはない!!
なーんて毎度の前向き発想し過ぎ??なのを書きますね(笑)
日本では欧米のように明確な同性愛排除行動がないものの、少数者・異端者を
排除する点は、なかなか、ずば抜けているお国柄ですよね。
村八分、非国民、いじめ・・・はたから見たらそれがまさに全体主義の様相なの
ですけど、多くの人は気がつかないでいるのがこの現状。
如何に多数派でいるようにするか?如何に「普通」でいるか?・・・
これがこの国の社会で生きていく重要なテーマになっていますもんね。
同性愛嫌悪を見れば、その社会にどれほど全体主義が覆っているかを示す指標に
なるらしいと昨日の記事で書きました。
なるほどそれは分かりやすいなと興味深く思いました。
同性愛者の権利擁護は「全体主義に対する闘いだ」なんてキツメの題名になって
しまいましたが、日本にはとりたてた同性愛差別などは無いでしょう?なんて
ことを言う人もよくいるもんだから、これは分かりやすい事例説明になるなと
思いました。
この日本で嫌悪の挙句に、日常的にゲイが抹殺されているなんてことは確かに無い
です。でも、本人を目の前にしても完全否定の存在無視な態度や発言を受けることは、
日々みんなが経験し続けていることだと思う。
自分たちの尊厳は軽々しく否定されています。
多様性を認め合わない社会はゲイに限らず皆にとって生きにくいはずだ。
全体主義が蔓延ると、すべてのことで異端を探し始める。
多くの人が、人と同じになりたいと思いがちですが、人はすべて異なるのが当たり前・・
なのに人と同じになりたがるんですよね。
本来異なるのだから、誰でも何かにおいて少数派でいるものなのに
その少数者を排除しようとする。そして、自らもそれに加担してしまう。
しかし・・
それはそうだとして、そんな社会の中でも自分たちは共存していかなく
ちゃいけません。
自分を隠すことでその場をしのぐような共存方法は、皆さん日々努力している
とおりです。
でもそんなことはいつまでも続けたくないのに・・と思いながらでしょう。
それに、そんなのは「共存」じゃないですもんね。
自分はこういうお天道様の元で生まれたのだから仕方がない・・
と思いがちだけど、いつまでもそういなければならない!ってことは無い。
不当な社会構造を見つめていくことで、それに立ち向かうことも出来るように
なるのではないかなあ?ことの原因が自分自身ではないと分かるはずです。
でも全体主義ってのもあいまいで責任の所在が無い。はっきりしない相手だ。
構造が分かったところで世の中が変わるわけじゃない。
切り開いていく為には、やっぱり対話をしていかなくちゃいけません。
関わっていかねばならないんですよね。
苦しんでる当事者の側が自分をさらけ出し、無知な多数の人を相手に
諭していかねばならないのか??って途方もなく大変な気持ちになるものです
けど・・・
俺も何度もそう思ってきましたし、今でも度々思います。
本当にめんどくさい!
なんで俺らばっかりふまえなくちゃいけないの~?ってね
しかし、その葛藤をも素直にぶつけていけば、伝わる人は少なくないのではない
か!?と俺は思っています。
まずは、自分の思いを伝えること、嫌なものは嫌と伝えることなのでしょう。
そんなことはない!!
なーんて毎度の前向き発想し過ぎ??なのを書きますね(笑)
日本では欧米のように明確な同性愛排除行動がないものの、少数者・異端者を
排除する点は、なかなか、ずば抜けているお国柄ですよね。
村八分、非国民、いじめ・・・はたから見たらそれがまさに全体主義の様相なの
ですけど、多くの人は気がつかないでいるのがこの現状。
如何に多数派でいるようにするか?如何に「普通」でいるか?・・・
これがこの国の社会で生きていく重要なテーマになっていますもんね。
同性愛嫌悪を見れば、その社会にどれほど全体主義が覆っているかを示す指標に
なるらしいと昨日の記事で書きました。
なるほどそれは分かりやすいなと興味深く思いました。
同性愛者の権利擁護は「全体主義に対する闘いだ」なんてキツメの題名になって
しまいましたが、日本にはとりたてた同性愛差別などは無いでしょう?なんて
ことを言う人もよくいるもんだから、これは分かりやすい事例説明になるなと
思いました。
この日本で嫌悪の挙句に、日常的にゲイが抹殺されているなんてことは確かに無い
です。でも、本人を目の前にしても完全否定の存在無視な態度や発言を受けることは、
日々みんなが経験し続けていることだと思う。
自分たちの尊厳は軽々しく否定されています。
多様性を認め合わない社会はゲイに限らず皆にとって生きにくいはずだ。
全体主義が蔓延ると、すべてのことで異端を探し始める。
多くの人が、人と同じになりたいと思いがちですが、人はすべて異なるのが当たり前・・
なのに人と同じになりたがるんですよね。
本来異なるのだから、誰でも何かにおいて少数派でいるものなのに
その少数者を排除しようとする。そして、自らもそれに加担してしまう。
しかし・・
それはそうだとして、そんな社会の中でも自分たちは共存していかなく
ちゃいけません。
自分を隠すことでその場をしのぐような共存方法は、皆さん日々努力している
とおりです。
でもそんなことはいつまでも続けたくないのに・・と思いながらでしょう。
それに、そんなのは「共存」じゃないですもんね。
自分はこういうお天道様の元で生まれたのだから仕方がない・・
と思いがちだけど、いつまでもそういなければならない!ってことは無い。
不当な社会構造を見つめていくことで、それに立ち向かうことも出来るように
なるのではないかなあ?ことの原因が自分自身ではないと分かるはずです。
でも全体主義ってのもあいまいで責任の所在が無い。はっきりしない相手だ。
構造が分かったところで世の中が変わるわけじゃない。
切り開いていく為には、やっぱり対話をしていかなくちゃいけません。
関わっていかねばならないんですよね。
苦しんでる当事者の側が自分をさらけ出し、無知な多数の人を相手に
諭していかねばならないのか??って途方もなく大変な気持ちになるものです
けど・・・
俺も何度もそう思ってきましたし、今でも度々思います。
本当にめんどくさい!
なんで俺らばっかりふまえなくちゃいけないの~?ってね
しかし、その葛藤をも素直にぶつけていけば、伝わる人は少なくないのではない
か!?と俺は思っています。
まずは、自分の思いを伝えること、嫌なものは嫌と伝えることなのでしょう。