ゲイリーマンのカミングアウト的思考

長年サラリーマンしながらLGBT活動。45歳にしてフリー。同性愛者らが自分らしく生きられる社会を地方から目指す。ミラー版

いじめと自己中

2007-04-14 01:29:36 | Weblog
いじめられるのは、いじめられる側にも問題がある。
よく言われる話だ。

NHK「日本のこれから」でそのことを取り上げてた。
生徒でのアンケートで50%を越える生徒がいじめられる側に
問題あると答えていた。

父兄に質問しても同じ、教師でもそのような答えが結構な割合で出ていた。

生きていく上で強く生きる術はそれぞれが見に付けていかねばならないことだろう。

でも、それをおせっかいして
いじめによって友達を教育してやろう!なんて思い上がりは
許されることじゃない。そんな偉そうなことが出来る人間はいないはずだ。

いじめられる原因は「自己中」らしい。
自己中心的、協調性が無い・・そういったところだろうが、これって何かおかしい。

協調性が無いから自己中心的、そもそも協調性とは何?

自分と同調できない人がいれば、人は「あの人は変わっている」と排除する
ことで自分自身を担保しているところがある。

だいたい「フツウ」ってのは自分自信を指しているに過ぎない。
自分と違うものは「フツウ」じゃない。
それだけのことだけど、自分自身に自信が無いから、だれかに同調を求めていく。

体制をしきたいリーダー格の人間がいれば、自分に従わない異端者は
協調性が無いとして烙印を押す。

ゲイだと自覚して生きていると、おのずと多数派に媚びないところも顕著になる
のか自己中扱いされたりもする。異端なものは自己中なのだろう。妙な話だ。

自己中はいじめて排除しなくちゃいけない。
でないと社会(仲間・クラス・職場)が成り立たないと思っているようだ。

「いじめられている人は努力が足りない!」と強気発言をする子供たち。

そう言われると、多くの人は自分に自信を持てていないのだから
「そうかもしれない」と自分を責めるもの。そして罠にハマっていく。

自己中とか協調性が無いとかのレッテル張りには要注意だ・・。

他人さんが決める物差しで測られたとしても、
自分自身がそんな物差しで自分を測ることはないんだ。
コメント
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