ゲイリーマンのカミングアウト的思考

長年サラリーマンしながらLGBT活動。45歳にしてフリー。同性愛者らが自分らしく生きられる社会を地方から目指す。ミラー版

カミングアウトしなきゃ何事もなくすむ話?

2010-08-13 02:50:19 | Weblog
『知らなければ、あるいは聞かなければ、何事もなくすむ話というものは、
あえて人に知らせたり聞かせたりする必要はない・・・

自分が同性愛者であることは個人的なことで、個人的なことをあえて知らせることは
聞かされた方は穏やかではいられず、重く背負うことになったりする。

だから個人的な問題として胸に納めておくべきだ。』

このような考えの中で、仲間と繋がることもなく孤独に追いやられているLGBTは多い。
バレてしまったらと恐怖におののき、自分のことを向き合えずにいる。

友達から、同僚から、親類から、兄弟から、親から
自分を否定されてしまうこと、見捨てられると想像することの恐ろしさ。

親を想い、親不孝とならないようにと
自分だけが納めてしまえば丸くおさまるはずだと。
自分勝手は許されないと。

自分たちはそう思わされてきたし、そこから抜け出しにくい。

カミングアウトしなければ何事もなくすむ・・・そんなことはないのだろう。
同性愛であること、個人の根幹にあたる部分を向き合わず何事もなく済むはずがない。

周囲に波風をたてないようにするために、自分の人生を棚上げにしていかねばならないなんて
本当に苦しく不自由なことです。

家族が反対する、するだろうからと自分の人生を抑制する。

家族の多数の幸せ(?)のためにと、ある個人(家族の一人)が追いやられていく
なんとも妙な話なんですよね。

でも、そう分かっていても
あまりの恐怖に自分の中に押し込めることでしか生きていくことが出来ないと思う。


お盆中、親元に帰っている当事者も多いでしょう。

結婚は?子供は?彼女彼氏は?とせかされる中、取り繕っていかねばならない。
それを分かっていながらも、針のむしろと分かっていながらも親を想って帰省する子供の想い・・

故郷や家族とは別のところで、少しでも自分を肯定できる仲間などと
共に過ごす時間があるものは、帰省のいっときを演じてくればいいのかもしれない。

仲間とのそういう時間を持てていない人は、まずは自分のままを認めて欲しい。
まずはそこからかなと思う。

不幸の連鎖を止めなくちゃいけない。

この帰省で親にカミングアウトをする人もいるだろう。

自分を見つめ、少しは自信をもってまあまあでも自分自身を立てられるようになったかな?と
思えたからの挑戦だろうと思う。

祝福すべき、新たな人生のスタート。
親の反応がどうであれ、毅然として宣言していけば必ず切り開かれると思う!!


コメント (2)
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