ゲイリーマンのカミングアウト的思考

長年サラリーマンしながらLGBT活動。45歳にしてフリー。同性愛者らが自分らしく生きられる社会を地方から目指す。ミラー版

カミングアウトは自分を楽にする為なのか?

2011-08-05 01:23:21 | Weblog
カミングアウトの是非について、このような考えがある。

・カミングアウトをするのは弱い人間がすることだ。
・自分を抑え、境遇を受け入れ、自己解決すべきことであって他者を巻き込むべきことではない。

こういった考えの人が同性愛の当事者にも多い。
また異性愛の人にも多く見受けられる。

迷惑となり、個人的な問題でなくなるのだから隠れ続けておくべきで
権利主張など、もってのほかだと言うのです。

この両者はどこか似ています。
異性愛者の考えに同性愛者があわせているようにも思える。

一見、カミングアウトをしないことが強い生き方のように思わされるけれど
そんな論理に流されていては駄目じゃないかと思ってしまう。
弱い人間だとか、自分が楽になるだけだとか言われると、そうも思えてしまうもの。

それは、自分が異端であることを十二分に知っているし
その苦労を一人抱えきれないことを罪に思わされてきているからだ。

そう、同性愛は罪とされてきた。

本来カミングアウトはそんなものだったろうか?
クローゼットに潜んでいた自分の殻を破り、外へ出る。ゲイ用語であったカミングアウトの語源
その一大決心は、自分を楽にすることなのか?

カミングアウトをせずにいようとするほうが楽に出来てしまう社会に自分たちはいるのではないか?

今の日本では、自分中心が第一義となっている。
社会に関わることをさける理由を、
社会を個人が変えようとするなんておこがましい!ともっともらしく肯定しようとしている。

そんな自分のことだけを考えた上で出した答えが、内向的な自己解決(隠れ続ける)では?

一人ひとりのカミングアウトがこの日本社会を変えるはずなのだけど・・

そう言っては見るが
どうしても、親のことを思ったりして・・ね

でも、親はいつまでも健在なの?
自分を生きても良い年代にはいづれなる。そのときは?


自分のことだけを考えない意識が広がっていかねばならない。

自らを変えていこう、社会を変えていこう
一人ひとりが自ら行動する、それこそが社会つくりではないのか?と思う

一人の一歩、そんな勇気は
社会の変化のためだけでなく、廻りまわって自分の為でもある。

そんな「カミングアウトは人の為ならず」でありたいと思う。

コメント
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