今日は、本当に個人的な意見です。
きっと、人それぞれ考え方は違うと思いますので。
きっと、人それぞれ考え方は違うと思いますので。
ウクライナ大使館に、千羽鶴を送ったことで起きた論争。
言われてみれば、「今、それが必要なのか」と言われれば、不要だな…ということには、気づかされました。
ただね、その論争の発端の方が言われた
「その行為自体が偽善、狂気の沙汰」
というコメントが、残念、というか、ちょっと許せないなって。
千羽鶴。
広島に住んでいると、よく目にします。
広島に住んでいると、よく目にします。
訪れた方が、みんなで折った千羽鶴を持ってきてくださる。
「千羽鶴に意味があるのか」と言われると、よくわかりません。ただ、他の県の方より、千羽鶴に込める意味は知っているつもりです。
確かに、折った人全員が、気持ちを込めてるか・・・と言われると、そこは疑問ですけど。
ただ、普段考えたことなくても、「折っている時間だけでも、考える」ことは大切なんだろうと思っています。
それが、千羽鶴そのものが悪のようにとられる方もいるようで、それも残念です。
それと、発言された方。
今回の戦争にかぎらず、災害時でも、届けられた支援物資の仕分けとか、避難先の状況とか、一度でも現地に赴いて、何を必要とされているのか実際に被災者に聞いたことがあるのか、聞いてみたい。
今回の戦争にかぎらず、災害時でも、届けられた支援物資の仕分けとか、避難先の状況とか、一度でも現地に赴いて、何を必要とされているのか実際に被災者に聞いたことがあるのか、聞いてみたい。
(もし、先頭に立ってされているのであればスミマセン)
今一番必要なのは、お金。そう言い切ってました。
確かに、一番身近な支援は募金だと思う。
でも、募金するたびにいつも感じるのは「本当にこのお金は必要な方に届いているのか」ということ。
敢えて言わせてもらえば、募金するときも、ある意味「偽善」なのかもしれない、という思いにかられる時もある。
募金がどういう流れで、どのように現地に届けられているのか。
でも、募金するたびにいつも感じるのは「本当にこのお金は必要な方に届いているのか」ということ。
敢えて言わせてもらえば、募金するときも、ある意味「偽善」なのかもしれない、という思いにかられる時もある。
募金がどういう流れで、どのように現地に届けられているのか。
それに、お金をもらっても、物が買える状況にあるのか。
頭の良い、情報収集が得意な彼らならきっと知っているはず。そこまでちゃんと把握したうえで、「現地ではこういう状況なので、こういう支援の方が助かるはず」と言ってくれた方が理解できる。(もしそうだったらスミマセン)
それを、個人的価値観を理詰めで、一刀両断に相手の口を封じる手法が好きではない。「相手を思う気持ち」は本当に人それぞれ。
宗教や価値観の違い、被害に遭った方への「思いやり」について、いろいろと考えさせられた案件でした。
宗教や価値観の違い、被害に遭った方への「思いやり」について、いろいろと考えさせられた案件でした。
特に今回、コロナ禍で、海外へ行くこともままならない今、支援自体も難しい。
気持ちを込めて折り鶴を折り、送ろうとされていた方たち、もしかしたらやり方は間違っていたかもしれない。
だけど、「何かしてあげたい、平和と安全を願ってる」という気持ちはとても分かります。(してあげたいは、偽善なのかな?)
だけど、「何かしてあげたい、平和と安全を願ってる」という気持ちはとても分かります。(してあげたいは、偽善なのかな?)
でも、今回のことで、寄り添う気持ち、励まし、祈りなんて、役に立たない無用の長物なのかな、と寂しい気持ちになりました。
挙句に「狂気の沙汰」と言われたら、虚しさしかないです。
やはり、お金と物資なんでしょう。
そこまで言い切る頭の良い方には、それが上手く届くように、ちゃんと支援できるように考えて、実現させて欲しいですね。
ちょっと感情的になってスミマセン。
庭に、スズランが咲き始めました。
花言葉の一つに「再び幸せが訪れる」という意味があるそうです。
これから、最盛期。
本当に、そうなりますように。
花言葉の一つに「再び幸せが訪れる」という意味があるそうです。
これから、最盛期。
本当に、そうなりますように。