幻想小説周辺の 覚書

写真付きで日記や趣味を書く

映画レビュー 紙のつき 

2022-08-05 20:43:00 | 映画レビュー
紙の月 DVD を観ました(ФωФ)(>ω<。) ★★

宮沢りえは悪くない、だが梅澤梨花は駄目である。
あえて役廻りと本人は異なる、とはわかっているのですが
僕はこのようなタイプの人間は駄目ですッ!、と素直に反応したい。

まず、自信がないくせに一度踏み外すと結構大胆でしかも、ずさんな手口で横領に染まっていくところが駄目です。

そして、惚れる相手の本性を見極めることも出来ず、
ヘタレなオトコに引っかかってしまうところが駄目です。

また付き合えばずるずると横領した金銭を刹那的に
詰まらぬ使い方で散財し、

さらに、オトコがあぶく銭にあまやかされ、どんどんと屑になってゆくのを矯正することも出来ないところも駄目。

しかもオトコに若い小娘に乗り換えられてもビンタの
ひとつも張れないところが全くもって全然駄目です。

このように全然駄目な人物がどんなに美しかろうが
可哀想であろうが、それが宮沢りえさんの渾身の演技で
賞を総ナメにしたものであろうが、
僕には全くリスペクトすることができません。

駄目な人物を描き出し人間の本質に迫るのが文学であり
映画であるというならばそれはきっとそうなのでしょう。
だから観た者にこのようなざらついた感想を抱かせる
というのは、結果優れた作品であるということの証明でも
あるのでしょう。






でも僕は映画評論家でも賞の選考者でもありません。
一介の良い映画を観たいと思う観客の一人なのです。
観客の一人としてこの女性に共感することはないでしょう。

だから僕はこの映画とこの女性、梨花が嫌いです。

写真集 三澤武彦 自宅で花嫁のすすめ

2022-08-05 20:40:00 | 書評 読書忘備録
#三澤武彦  #自宅で花嫁のすすめ  127頁

三澤さんは名古屋の写真館のカメラマン。最初は普通に結婚式場での
写真を撮っていたが、ある花嫁さんの希望で自宅で嫁入りの写真を
とってほしいとの希望で撮影してびっくりするほど感激した。
今まで物足りなく思っていた、人間を撮りたいという気持ちに気付き、
すっぱりと式場カメラマンをやめて、旅する写真屋として呼ばれれば
全国各地に伺い、自宅での嫁入りを撮影するようになる。

この本には四人の女性が自分の自宅で花嫁さんになる写真集だ。
写真集だが三澤さんの写真は確かに式場でのお決まりの写真とは
まったく異なる、まるで古きよき日本映画の嫁入りの場面のように
豊かなドラマと溢れる幸福感に満たされている。

玄関には靴と草履が溢れ、父親は複雑な表情のまま来客に手打ちうどんを
振る舞うために粉をこねる。母親やおばさんたちはスマホを手に
娘がお嫁さんになってゆく様を笑顔で写しまくり、105歳のひいおばあちゃんは
なんとも言えない表情で目に涙を浮かべて花嫁さんの手をとる。










ほんとうにみなさんの表情が素晴らしい。
三澤さんがすっぱりとこの道に転進したのも納得である。
これから自宅で花嫁さん、にあてはまる方も、あてはまらない方も
とっくに過去のものになってしまった方にもオススメである。
幸せのおすそ分けにあずかってください。

読書レビュー 腐れ梅 澤田瞳子

2022-08-05 20:36:00 | 書評 読書忘備録
腐れ梅 澤田瞳子 装画 大竹彩奈

腐れ梅、とは主人公の綾児:あやこの白い胸に浮かび上がった紅い五つの紅梅のような痣のことだ。
平安京の外れの貧民街のあばら屋に根付き、わずかな銭で、託宣を降ろすという名目で色を売って、その日を暮らす似非巫女の綾児。
男勝りの気性と、どん底生活から這い上がらんとする激しい欲望を抱きながら、見目は天女のような美貌と白く滑らかな肌を有している。
ある日、同じ境遇の巫女、阿鳥から胡散臭いたくらみを持ち掛けられる、二十年前に失脚して遠い左遷先で死んだ菅原道真を自分たちで御霊、天神様として新しく祀り上げて、自分たちが巫女頭として差配し、男たちを見返してやろう。。。というものだ。
最初は誰も馬鹿にして顧みられることの無かった菅原道真の祀社だが、やがて灯火に集まる蟲蛾のように貴族や坊主、薬師や地働きの男共が集まってきて、大きな新興の宗教が盛り上がってゆく。
その管公の巫女として担ぎ上げられながら、実体は貴族同士の利権の競り合いの対象として好き勝手にされている新社を自分のものにしようとして全編を疾走する綾児の存在感と熱こそ、この物語の肝だ。
自分の胸に浮かびあがった紅い痣、じつは淫蕩による性病の徴なのだが、それを御霊菅原公のゆかりの梅の花が神降りた、と宣し信者たちを一気に宗教的熱狂の渦に巻き込む場面は、最高に読みテンションが上がる、上がる!!
正直感想を言うと、装画の大竹綾奈の美しく清純そうな女性の日本画は、確かに日本画として素晴らしく、美しい作品だが、この綾児の存在感に対しては微妙にミスリードされてしまうようでベストマッチとは言えない気がする。
むしろ本編ははかなく幽遠な平安恋愛物語ではなく、激しく生と欲望を叩き付け合うアツくて汗臭く、時に滑稽で哀しい人間群像劇なのだ。澤田瞳子により生き生きと生を得て動きだしたこの物語の人物造形は管公同様に神様となった手塚治虫の往年の傑作「火の鳥」の黎明編や鳳凰編の画面がピッタリと合致する。胸の痣に苦しむ綾児は卑弥呼そのものだし、菅原公新社に群がる欲まみれの貴族たちは鳳凰編にわんさか出てくる手塚キャラそのものだ。何より、火の鳥と管公という目に見えないものに引き寄せられ己の欲望と情熱で物語を縦横に動き回る人間の造形こそ漫画と小説というメディアを超えて繋がった創造の稀実ではないか、と思った。
手塚治虫の新作が読みたい、と焦れていた読書人の貴方、オススメです!