日本の大衆に巣食う「みんないっしょでなきゃ駄目だ」意識は「絆」じゃない。
最近、時折今の日本の雰囲気を危惧する声が「ようやく」聞かれるようになった。何を危惧するのか、というと、今があの時代、そう、関東大震災後からあの大東亜戦争へと続く、あの時代に似ているというのだ。不況や震災後というだけでなく、一般大衆の気質というか、精神構造が、この頃から現在に至るまで少しも変わっていない、という事だ。
この国の大衆はあの戦争に至った経緯と責任について何も自覚せずに今日まで至っている。つまりはアジアへの差別観、国を挙げて戦争へと突き進んだ主戦主義、すべて一般大衆から出たものだが敗戦を皮切りに軍国主義の被害者を決め込んでしまい、終始総括することはなかった。
あの時代、主戦と自己犠牲を当然のものとして強いた時代。人々は今以上の「絆」で結ばれ、少しでも違う事を言うと「非国民」として避難を浴び、排斥され、場合に依っては投獄されたりもした。こうした事は憲兵の暗躍だけで起きたのではなく、一般民衆の中に普通に見られた事なのだ。彼らは確かに自らの意思でアジアへの進出を夢見、戦争を望み、自分たちに同調しない同胞を切り捨て、排斥していったのだ。これは「村八分」として古くからある日本人の特徴的気質のひとつでもある。確かに大多数の自由な選択の結果なのだが
翻って東日本大震災後、被災地救済に多くの人の関心が向かう中で、無条件に無償で動くボランティアが偉く、ビジネスで動く人は不謹慎、のような雰囲気が流れ、仕事で動く人々が云われのない避難を浴びるなどした。被災地に行った、と自慢気に言いふらす人には、これといって役に立った訳でもないのに、行かなかった、あるいは行けなかった人に対する優越感と軽い軽蔑が混じった。また、福島から避難してきた子どもたちにたいする差別、いじめ問題などは、関東大震災後の朝鮮人虐殺事件を彷彿とさせる。
何かというと、文部省唱歌「ふるさと」を歌いたがるのも、大衆心理の根底に巣食う植民地主義的統一意識の発動した結果である。かの曲は、これから日本が帝国主義に向かうに当たって、新天地海外を目指す大人たちの郷愁の心を思いやれる子どもを育成する目的をもって作られたという。この歌を人々が歌うとき、そんなものいらない、という自由さがその場は感じられない。知っていて当然。感慨深く歌って当然。そうでない奴は非国民、という雰囲気が流れる。そして、こんな歌がある日本はいいなあ、こんな歌が歌える日本っていいなあ、という心情が溢れる。そしてこれがかつてアジア・太平洋を席巻した日本軍国主義の根底を支えた大衆意識と本質的には何ら変わる事がない事には、誰も言及しない。
あなたの周りにある「絆」はどんな絆なのだろうか。