さて、早速第一印象について述べてみたいと思います。現在地獄編を読み進めています。
まず驚くのはページ数の違いです。本文と注釈合わせて山川訳は327ページ。平川訳は468ページ。ドイツ語訳は169ページ。英語版は紙の版ではないのですが235ページでした。文字の大きさの違いもありますが、余りに差があるのは日本語にはHexameterに相当する文体がなく、特に現代口語において冗長さが著しくなってしまうという特徴が際立ってしまったのではないかと思います。
ドイツ語版、英語版、現代語訳それぞれ3行で1連のような構成になっています。ドイツ語版と英語版はアクセントを6つ持った美しい詩行が展開されていて、読む者を言語特有の恍惚感に導きます。日本語版にはもちろんそれは全くありません。いえ、この口語体訳にも文語体訳にもそれを伺わせる工夫がありません。
私はここで七五調で書け、とかいう事を言っているのではありません。口語自由詩が台頭して以降、新体詩の先人たちが試みようとしていた詩体の開発がすっかり廃れてしまい、日本詩学の開発発展も放棄された状態が続いている、という事を改めて指摘しておきたいのです。何故か。今日本語で「詩」と称されているものが本当に「詩」といえるしろものなのか、私は常々疑問に思っているからなのです。訳詩を朗読を聴いてみれば分かりますが、れっきとしたHexameterで書かれた英文や独文は、明らかに普通の会話や散文とは違います。日本語訳だけが詩文としての区別がつきません。多くの現代詩には韻律がないからです。
独文も英文も元のイタリア語とは異なる特性を持ち、そのままのHexameterを導入する事は出来ませんでした。それぞれの国では詩人や学者たちが自国の言語に合う形でHexameterを詩学の中に取り入れ、詩作をするまでになったのです。そればかりでなく、読者にも受け入れられているのは、詩形の普及や教育に対する努力が歴史的に積み重ねられてきたからなのです。日本の詩人はそうした努力を払っていません。怠惰の中で個人の言語世界の中にのみ耽溺し、誰にもわからない呪文のような作品を作っては自己満足に興じているだけです。読者も詩に対する関心が薄れ、また、新しい詩学の息吹を感じる事もなく、世界の文学から置き去りにされているのです。
勉強不足で意識の低い日本の詩人たち。言い訳やごたくを聞くのにはもううんざりです。実力も向上心もない詩人たちは置いておいて、私は一介の読者としてよき詩とは何か、よき詩を作るといはどういう事か、道を探る試みを続けていくつもりです。
ダンテの「神曲」を読み始めました。
この作品について前置きは不要でしょう。詳しい説明が既にあちこちにあるからです。筆者が利用したサイトの一部は以下になります。
http://www.epischel.de/Dante/dante.html
http://www.poetryintranslation.com/klineasdante.htm
http://de.wikipedia.org/wiki/G%C3%B6ttliche_Kom%C3%B6die
http://www.booksshouldbefree.com/book/Gottliche-Komodie-Die-Holle
更にlibrivox.orgにオーディオブックもあります。
http://librivox.org/the-divine-comedy-by-dante-alighieri/
http://librivox.org/die-gottliche-komodie-das-fegefeuer-by-dante-alighieri/
http://librivox.org/die-gottliche-komodie-das-paradies-by-dante-alighieri/
http://librivox.org/die-gottliche-komodie-die-holle-by-dante-alighieri/
現在訳本のみで、原語バージョンはありません。私はトスカーナ方言は現在全く理解出来ないので今すぐに原語版に挑戦する予定もありません。
Reclam Helman Gmelin訳(ドイツ語)
Naxos audiobook Benedict Flynn(英語)
河出書房 平川祐弘訳 全3巻
岩波書店 山川丙三郎訳 全3巻
ダウンロード Henry Wadsworth Longfellow訳(英語)
ダウンロード John Ciardi訳(英語)
今まで名前だけは知っていた、という程度。いきなり読み始めて読み終えられるのかどうか、全くわかりませんが、ともかくやり始めない事には何も分かりません。
さて、今回挑戦に踏み切った最大の理由はHexameterを体感し、理解をすすめる事にあります。古典以来脈々と受け継がれてきたこの叙事詩を紡ぐ偉大な詩型のどこにそんな魅力があるのか、いまいち私には実感出来ずにいます。叙事詩が書けない日本語での訳は、この目標にとっては本来まったく意味がないのですが、一応先人たちがこの偉大な作品にどう取り組んできたかを知る、という意味で採用しました。実際、日本語訳は意味を知る事はできますが、その訳文にはどんな詩であったかを伺わせる部分は全く残っていません。ドイツ語訳や英語訳も訳には違いないのですが、Hexameterでは書かれているので本来の目標には十分適合すると考えます。
私がよく読んでいる英語詩やドイツ語詩にとっては、Hexameterは結構長いと感じられる詩型です。私にとって、ドイツ語詩で読みやすく馴染みのあるものは1詩行に2音節(弱強)4詩脚のものがほとんどで、3音節(強弱弱)6詩脚のHexameterが長く感じられるのは当然といえば当然なのですが、なかなかこの長さについていけないというのがこれまで読んだ限りの感想です。
Hexameter理解の手始めとして、私はフランス語での読解を試みましたが、独英とは異なる律動を持つフランス語の詩文を読む事は、結局新たな課題をひとつ上乗せしただけでした。しかしながら、それにより更なる原点回帰を促された私は古代ローマのHexameterで書かれた文献を読む為にラテン語の勉強を始め、少しはその律動を体感出来る様になってきたので、今回、更にそれを進めて言語的に馴染みの深い独英二ヶ国語でHexameterで書かれた本格的な詩文に挑戦する運びになったものです。
中国の侵略行為には断固抗議すべきだ。
一刻も邦人や企業を全面撤退させて早く大使を帰国させて断交を宣言しなければなならない。
先方には共存共栄の意思は毛頭無いのだから、こちらが媚びへつらってまで関係修復を試みる筋合いはない。
それが理解出来ない自虐趣味丸出しの中国様信奉者がまだまだ沢山いるのだから誠に情けない。
この期に及んでまだ中韓との連携などと夢ものがたりを口にする者には日本の将来を語る資格はない。
軍国主義と際限のない日本への怨念に凝り固まった蛮国韓国からの不法な侵略行為がまた報じられた。
これを「関係修復に冷水」と称したのは日経新聞。
誰が、いつ「関係修復」など望んでいるのか。「絶交」こそが最良の選択だという機運が高まりつつある時に、見当違いも甚だしい。まだかの国に媚びを売ろうという輩の仕業か。そうまでして日本国民を罠にはめたい、というのがこの新聞の意思なのか、良識を疑うところだ。このまま中韓の肩を持つ記事を載せ続ける限り、これには言及しなければならない。
何故中韓抜きの将来について一言も触れないのか。やはり在日が入り込んでいて中韓への依存をつなぎ止めた上で日本叩きを行い、日本国民の自尊心と自信を崩壊させようと企んでいると考えざるを得ない。
日経に限らず新聞の影響力は弱まりつつあるこの時代に、こんな記事ひとつで今更どうにかなるものでもないが、消費者の間に不買運動が起こる前に国民の為の記事を載せる様に方針転換しないと新聞自体の命運が尽きる日が遠からずやってくる。実際、先日も読売新聞が嘘つき男の騒動で取材能力の為さを露呈して謝罪記事を出したばかりだ。予想以上にその日は近いのかもしれない。
脱中国が進むにつれ、当然ながら今まで中国から上がっていた収益が減少する。それを、中国様をないがしろにしたからこれだけダメージを受けた、と言わんばかりの書き方だ。経済新聞なら中国リスクを試算してこのまま手を退かなかったら受ける損害と、方向転換して別天地に進出した場合の発展の可能性を比較する、位の事はやってもらいたいものだ。
だが現実はそれをせずに現象の表面を見て一方的な判断を読者に押しつけ、読者に「やはり中国様とは切っても切れないか」と思わせる、という意図丸出しだ。もっと日本の発展の助けになるような記事を書け、といってもそんな気ははなっから無さそうだ。ともあれ、他にこれといった新聞がある訳でもなし。1分の真実と9分の虚構でもインプット情報として賢く読み解いていくしかない。
雨降りになると馬鹿自転車乗りの危険行為に一層拍車がかかる。
どんな危険行為をするにしても、車道でやるべきだ。
警視庁が行なっている自転車と歩行者の分離はなかなか進んでいない様だ。
「これこれは違法だ。違法行為やめますか?人間やめますか?」位の強いキャンペーンを打って、
違法行為に明け暮れる愚か者どもに自分たちの行為が違法であることを分からしめる必要がある。
歩行者の安全と人権を守るため、彼らを完全に撲滅するか歩道から追い出さなければならない。
改めてその事を痛感した。
http://yaplog.jp/warabidani/archive/1711
こんなブログを見つけた。
フジテレビが韓流べったりな理由と他マスコミも一蓮托生だということがその主な主張だ。
インターネットの生情報は入手した人が自分で判断することがマナー。
マスコミが馬鹿なのは誰かの指摘や暴露を待つまでもないことだが、色々とそういう話はあるということか。
でも統一教会とつながっている、という話は自分にとってはちょっと新鮮。
私自身も学生時代に多少統一教会とは関わりがあったから。
勝共連合は、名前については知っていたが、具体的な活動については関心もなかったので知ることはなかった。
あの安倍ちゃんが深い縁を持っていたとはね。でもイデオロギー的には彼らは共産主義を倒す事を目的としているはず。
韓国も北と一蓮托生だから、中韓朝まとめて葬り去るつもりなのか?
いまいちよく分からない人々。
まだ対話だの和解だの新聞に論調が載るが、先方にそんな気はさらさらない事が何故理解出来ないのか。マスコミのこうした偏向報道が一般世論を誘導し、亡国への道をひた走ることでは戦前と何らかわらない。韓国との経済関係も深まるというが、そんな事は明治時代からずっと続いている。日本がどれだけ親密にあの半島に寄り添い、一方的に経済協力してきたかを一切無視して、ゆすりたかりばかりを続けているのは韓国なのだ。
日本はこの厄介な重荷から解放されるべきだ。韓国も、主張したいなら出来るだけの甲斐性があるのか、独力で頑張って結果を見せてもらいたいものだ。いつまでも日本におんぶにだっこでは国としての体裁も悪かろう。韓国人には不可能だと思うけど。
先ずはスワップ全面廃止だ。頭の悪い韓国が調子に乗って自ら言い出せばこっちのものなのだが、泥鰌や民主党は余計な媚びは売るな!と言いたい。もし向こうから廃止を言ってきたらすみやかにその手続をしてしまうべきだ。代替の制度も一切必要なし。
詩人とHexameter 1
http://de.wikipedia.org/wiki/Hexameter
ラテン語の詩文を読む様になってから、なにかとついてまわるのがこれ。Hexameter自体が何であるかについては至る所に説明や解説が落ちているのでそれを読めば理解出来ますが、なぜひとつの形式であれほどに沢山の著作が書かれたのかについては不勉強な私にはまだ分かりません。日本語で検索するとムーミンパパの話題位しか出てこないのは情けない限りです。もちろんHexameterを和訳したものから原文がHexameterである事を伺える片鱗は何一つ見出せません。つまり、ホメロスやホラティウス以来の西洋詩を日本語でしか読まない人には一生かかってもHexameterが何であるかを知る事は出来ません。
当然ですが、和訳しか読んでない人がホメロスやウェルギリウス、マニリウスなどを読んだ、とか、分かったとかいう事もあり得ない訳です。意味を知っている、とは言えるかもしれませんが、詩文を読んだとはほど遠い状態である事は言を待つまでもありません。そして、原文はおろか、和訳の詩文すら勉強しない詩人って、果たして詩人といえるのか、、と疑問も残ります。何といっても、今の日本の詩は西洋詩を日本語に導入するところから始まったのですから、その源流を知らないで詩人と名乗れるのでしょうか。それはともかく。。。
Hexameterというひとつの形式でかくも多彩な内容について著述出来る、という不思議、そして、それがつい最近まで使われていたという不思議。この2つの不思議について、暫く時間をかけて自分なりに追求してみようと思います。
私が一番知りたい事は、何故あまたの詩人たちがHexameterを使って詩作したかという事です。もともと叙事詩を書くための詩型ですから、叙事詩を書くのであればまだ採用する理由としては分かり易いのですが、その後の欧州で、非ラテン語諸国でもまた、言語の壁を超えてHexameterが採用されたという歴史的事実は何を意味するのでしょう。しかも、一旦廃れながら近世以降再び使われたりしているのです。余程魅力的な韻律であると言わねばなりませんが、Hexameterを持たない言語をネイティブとする日本人にはなかなか理解し難い所でもあります。
単なる復古という事でいえば、我々現代日本人が万葉の歌を詠む様なものかもしれません。
http://2chcopipe.com/archives/51845812.html
福沢諭吉先生が朝鮮独立のために払った努力と裏切られての失望の経緯。そして脱亜論発表へ。人の上にも下にも人を作らない天を仰いでいるはずの福沢諭吉が何故中韓は忌み嫌うのか。ここに当時彼がいやという程味わった両国人の本質が垣間見える。一刻も早く両国との関わりを無くそう。支援も投資も引き上げて取引停止。渡航停止。一切の接触を遮断すべきだ。果てしない貪欲と無責任と卑怯と暴力の国に、これ以上毒されてはいけない。謝罪だの歴史認識だの並べているが、連中は最初からひとつ収めてもまた次の問題を持ちだしてゆすりたかりを繰り返すつもりなのだ。はなから折り合うつもりなど微塵もない。国をあげてそういう洗脳教育を国民全体に徹底し、日本に危害を加えたら英雄扱いする国なのだ。
何度でも書くが、日本は両国が地球上に存在しないかのように振る舞うのが最善の策である。
そうしなければならない原因も責任も先方にある。