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おだにゃら記

地元小田原市中心のフィールドワーク備忘録。
歴史、神社仏閣、あとはいろいろ。


伊豆国式内社めぐり その3阿治古神社

2025年03月10日 21時54分00秒 | 伊豆国式内社めぐり
記事の間は空いてますが
地道に進行しております伊豆国式内社めぐり。



先月、熱海桜の終わる頃に熱海市の小山臨海公園へ






マリーナもある潮風の気持ちいい公園です



この日は網代の阿治古神社に行こうとしてたのですが
わたし地理を勘違いしてまして
小山臨海公園から徒歩ですぐだと思い込んでいました。なぜかしら。



歩く途中で出会った伊豆型道祖神4体



網代駅近くの橋

このあたりまで来てGoogleマップを確認し、阿治古神社まではまだまだ遠いとようやく気づきました。
いや、なぜもっと早くマップを見ないのか?


今更引き返すのも悔しいのでこのまま歩きました。



網代港に到着

距離にするとそれほどではないのですが、
2月とは思えない陽気のせいで暑くてすごく疲れました。






港を過ぎて住宅街へ

疲れたけど古い建物が多くて癒される町歩き
登録有形文化財の平井家住宅



ここは美容院


素敵です



などと思ってたら着きました。

結局小山臨海公園から30分くらい歩きました。




阿治古神社

伊豆国の式内社です








境内社
八坂祇園天王社




境内社
龍神宮


背後が朝日山の傾斜になるので境内は二段の作り
一段目に社務所や慰霊碑があり本殿は二段目にあります





阿治古神社の創建年代は不明。
大島にある大宮神社とともに延喜式の阿治古神社に比定されています。

朝日山、あるいは下多賀中野中村の来宮神社が1600年代に洪水により現在地に流されてそのまま遷座。
朝日山はこのすぐ上の山ですが、下多賀中野は今の地名で調べると私がやってきた小山臨海公園より長浜寄り、下多賀神社のあたりになります。

阿治古神社で鹿島踊り(熱海市無形文化財)が継承されているのはもとが来宮神社であるなら疑問はなく、
御神船が町に繰り出す例大祭は豊臣秀吉の小田原攻めに由来する比較的歴史の浅いもの、
祭神が天照大神、手力男命、誉田和気命、拷幡千々姫命。
と、式内社の歴史や特徴は見当たらず。


比べて大島の大宮神社は
史料「三宅記」に三島大明神と波布比咩命の長男である阿治古命が祭神である、
かつては大島の阿治古地区に鎮座していたが三原山噴火の被害により大宮地区に遷座、大宮神社と改称されたと明記されており

現地の由緒書きもこんなバッチリ

これはどう見ても大宮神社の勝利(?)です。

むしろなぜ網代に流されてきた来宮神社が阿治古神社を名乗るようになったのかが不思議。


阿治古神社の神職家は初島の初木神社の神職を兼任していた時代もあるそうで、大島の大宮神社とも関連があったのかもしれません。

wikiには大島の避難的分社、遥拝所の可能性があげられています。
三原山がヤバい時には網代に避難してもらったり、普段は海の向こうの阿治古命に手を合わせて豊漁を祈ったり、でしょうか。


網代と阿治古という名称が似ているのも気になります。
網代とは竹などを編んだ魚獲の仕掛け、またはその網目模様、または港のことで全国の漁村で見られる地名です。
もしかしたら熱海の網代は漁村どうのこうのではなく阿治古が由来なのかもしれません。



遠く阿治古命を想う


阿治古神社で暫し寛いだ後
再び小山臨海公園まで歩いて戻りました。



帰り道、
ずっと気になってたここに寄りました。

135号線のこの「運慶作 毘沙門天王堂」の案内柱。
近隣ならご存知の方も多いはず。



135号線から徒歩3分ほどで到着。
運慶作の毘沙門天像があるというお堂です。

毘沙門天像の開帳は毎年1月の僅かな時間のみで普段は見れません。
お堂は自由に入ってお参りしても良さそうな雰囲気でしたが
なんとなく憚れたので外から手を合わせるだけに。

なお、全国に運慶作と伝わる仏像は多いけれど確定しているのは20体ほどだそうで
ここの毘沙門さんもあくまでも伝運慶です。

でも誰の作でもいつの時代のものでも
地域で大切にされてる仏像にはプライスレスな価値がありますよね。



毘沙門天王と彫られてます





隣に神明宮があったのですが
この階段をかなり上まで登るみたいで
とてもとても疲れて無理だったので鳥居から手を合わせるだけに。



というわけで
わたしの勘違いにより大幅に時間と体力を使ってしまった阿治古神社参拝。

おかげでこの日予定していた宇佐美でのランチには間に合わず、
仕方なく帰路についたら渋滞にはまり適当な店も見つからず、
湯河原の「しあわせ中華そば食堂にこり」でやっとのことでお昼ご飯にありつけた時には夕方近くになっていました。


にこりの塩ラーメン



伊豆国式内社めぐり その2 比波預天神社

2024年10月25日 22時06分00秒 | 伊豆国式内社めぐり
伊東市宇佐美にある比波預天神社、
ひはよてんじんじゃ と読みます。



祭神は
加理波夜須多都比波預命 

かりはやすたけひはよのみこと


延喜式の加理波夜須多祁比波預命神社、

および神階帳の従四位上たまたの明神に比定します。



延喜式 第2
(国立国会図書館デジタルコレクション)

加理波夜須多祁 かりすはやたけ

でいったん区切って(姓みたいなもの?)

比波預命 ひはよのみこと

が呼び名?だと考えればいいみたいです


こんにちは

ひはよのみこと様


いいお天気ですね

ひはよさん


みたいな



一説によると、ひはよのみことは三嶋溝抗の長子で、海からやって来て宇佐美の地を開発し氏神となったと。


そんななのでこの加理波夜須多祁比波預命を祀る神社は全国でもここだけです。









式内社の創建年などわかるはずもありませんが、
比波預天神社の場合は1157年(保元2)に再建されたと棟札にあります。

保元といえば保元の乱(1156)
その頃に社殿の再建工事しましたよー
ということです。


延喜年間に菅原道真が合祀されたことから長らく天神社、留田天神(留田はこの辺りの地名)などと呼ばれており、
明治になって現在の比波預天神社に改名されました。




摂社
風神、大山祇神




比波預天神社には大変有名な巨木ホルトの木があったのですが
残念なことに2023年3月に枯死して倒れてしまったそうです。


8年ほど前に来た時に写真を撮ってるので探したんだけど見つからず
こちらからお借りしてきました。
この写真は2011年撮影だそうです。

現在は切り株も何も残ってなくてさみしい限りです。





駐車場に集められてる道祖神たち

お雛様みたいなのは伊豆型と呼ばれる伊豆特有の単体道祖神。
丸いのは山梨に多い丸石道祖神。
裾野市の十二神社にあった丸石も道祖神だったんだと最近気づきました)






東浦路を示す道標

東浦路とは下田から小田原までの古道。
大正時代以降の道路拡張工事のためほとんど失われていますが、宇佐美から網代までは良好に残されています。

道標通りに行くと網代に出ますので、元気な方はぜひ歩いてみてください。


私は車で帰ります。



伊豆国式内社めぐり その1 葛見神社

2024年07月01日 23時49分00秒 | 伊豆国式内社めぐり

ほぼ御殿場に遊びに行く目的の

「御殿場の浅間神社ぜんぶまわる」企画も残り僅かとなりましたので、神社めぐりモチベーション維持のため新企画を考えていました。

この間たまたま伊東市に行って、
東海館に行った帰り葛見神社に寄ったので
「そうだ!次は伊豆国の式内社めぐりをしよう」と突然決定。
 
 

葛見神社

伊豆国の式内社です。
 
 
式内社(しきないしゃ)とは

延長5年(927年)の延喜式神明帳に掲載された全国2861の神社のこと。
延喜式は当時の記録文書、法律書みたいなもの、神明帳は神社のリストです。

(政治的宗教的など諸事情で延喜式にリストアップされなかった神社を式外社といいます)



式内社の分布数はその土地によって様々ですが、政治の中心地だった畿内は当然多く僻地だった関東や九州は少ないです。
(相模国なんかたったの13)
伊豆の場合は、なぜか都から遠く離れているにも関わらず92と数が多く、しかも名称の漢字が万葉仮名のまま?みたいに難解なところが目立つ。


伊豆国の式内社ってちょっと変だよ

と昔からいくつかまわったのですが、ほとんど忘れてるので
この機会にもう一度新企画としてチャレンジしたいと思います。

これで伊豆に頻繁に遊びに行けますね。


でも92ぜんぶまわるのはおそらく無理なので、できる限り、、ということで。

 
 

延喜式神名帳に書かれてる「久豆弥神社」に当たるといわれてるのが葛見神社です。
 
他にも熱海市の湯前神社が「久豆弥神社」では?と論じられており、このように複数候補がある場合は式内論社といわれます。
 
伊東の地は古くから久寝、久須見(くすみ、くづみ)などと称されてるからわかるんだけど、熱海市の方はどうして論社になったのか・・・不思議です。
 

祭神が葛見神、って全くわからない神、たぶん全国でここにしかいらっしゃらない神でしょう。
 
この地の領主伊東氏により庇護されのちに京都伏見神社から倉稲魂命が勧請合祀されています。
 
 


式内社というと広くて立派な境内を思い浮かべるかもしれませんが
こじんまりとした小規模なところが多いです。
 
葛見神社は5年ほど前に一度訪れて忘れていたので
この場に立ってフワフワフワーッと記憶が蘇り感激しました。
 

夏越大祓の時期だったので社殿前で人形(ヒトガタ)の奉納ができました。
半年間ありがとうございました。
今年の猛暑も無事に過ごせますように。
 
 


葛見神社の大樟(クス)
 
国指定天然記念物
樹齢千数百年、幹周15m、神社が創設された時期かそれ以前から存在していたと思われます。
 


樹齢1000年を超える木、しかもこの大きさにはなかなかお目にかかれません。
 
根元の祠は疱瘡神。
疱瘡(天然痘、もがさ)にかかった時にできる皮膚の瘡蓋がクスノキの樹皮に似てるから祀られてるそうです。
 




大樟の周囲には遊歩道があり、立派な姿をぐるりと見て回ることができます。


大樟の脇にある境内社
 




可愛い狛犬とレトロなポンプ
 
うちの近所の掃雲台跡地のポンプと同じかも。
 
 
 
 


葛見神社には駐車場がないので(どうしても見つからなかった)
すぐ近くにある伊東家の菩提寺、東林寺に駐車して合わせて参拝するのがおすすめです。
 
 

葛見神社から徒歩5分くらい
 




階段の上に河津三郎の墓があります。
(私は膝の調子が悪くて断念)
 
 
 

さらに葛見神社から300mほどに伊東祐親の墓があります。
 
300mと言っても坂道なので徒歩はちょっときつい。
住宅地の中にあり駐車場はないので私だけ車から降りて大急ぎで撮影だけしました。
 
 


後で知ったんですけど、伊東市役所の駐車場を利用すると徒歩10分くらいで来れるそうです。
 
市役所から葛見神社まで行けるのかは不明。