おだにゃら記

地元小田原市中心のフィールドワーク備忘録。
歴史、神社仏閣、あとはいろいろ。


御殿場の浅間神社ぜんぶまわる その16 駒門浅間神社

2024年10月17日 00時36分00秒 | 御殿場の浅間神社ぜんぶまわる
昨年の6月から
いや、正しくは一昨年の秋からの
「御殿場の浅間神社ぜんぶまわる」企画もいよいよ16回目、今回で最終回となります。

アクティブな人なら一日で終わってしまいそうな巡礼を2年近くもダラダラとやっておりました。
御殿場のあちこちにダラダラと出没したおかげで、地域のいろんなことを知れて大変勉強になって楽しかったです。


記念すべきラストを飾るのは駒門浅間神社です。




駒門浅間神社は御殿場市内の全浅間神社中、最も境内が広く社殿も立派。
なんと独自のウェブサイトもある親切な神社です。


参道入り口

大きな社号標
絶対迷いそうにありません


悠々と広い参道、というよりは道路ですな


なんと
大きな
平城京
ではなく鳥居


ほんと大きいです

二社大神 とあるのは
祭神の木花佐久夜毘売と大山祗命親子のようです。


階段登ると
おおぉ なんと広い



いつも誰もいない小さめ神社しか行かないので
こんな広いとこ来てしまうと
気分は
ラストエンペラー…



皇帝目線


セキュリティもばっちり




この日は祭りがあったようで後片付けの真っ最中でした。

お邪魔しました。





この間まで暑い暑いとボヤいていたけど
キンモクセイの季節になってたんですね。



木犀やしづかに夏秋入れかはる


ぜんぜんしづかじゃない季節の移り変わり。
どうしたものか。



さて、駒門浅間神社がこんなにも立派で真新しいつくりなのは
新東名高速道路建設のため2005年(平成17)に遷座を余儀なくされたからです。

新東名が駒門地域の真ん中を縦断すると発表されたのは1992年(平成4)
その後地域で論議を重ねた末に遷座を決意されたそうです。

自分の住む地域のど真ん中を高速道路が通るなんて、しかも氏神様を移動しなければならないなんて、
悲しい。複雑。



境内に祖霊社がありました

この鳥居は移転以前の浅間神社から運んだものだそうです。



南無帰命月天子

月天子とは珍しい。月待講の供養塔でしょうか。



庚申塔

馬頭観音


社殿裏に六地蔵
どこかの寺から移転されたのかな



祖霊社にもキンモクセイ




こちらは浅間神社跡地

新しい浅間神社から2〜300m、新東名の真下に残されています。







祖霊社にあった馬頭観音とそっくり。
天保の日付も同じです。



これも馬頭観音






駒門の大公孫樹

御神木だったのでしょう。
さすがに木は引っ越しは難しいのでここに残されたんですね。



高速道路の圧がすごいけど
これからもどうかお元気で。





駒止め石

源頼朝が巻狩りの際に乗っていた馬が驚いて足を止めたという石。
駒門の地名の由来にもなってるそうです。

元々ここにあったのではなく、何度か移転しているようです。






駒門浅間神社ウェブサイトより
移転前の鳥居と社殿

鎮守の森の奥に新東名の高架脚が見えます。



御殿場の浅間神社ぜんぶまわる その15 西田中聖権現

2024年10月08日 23時25分00秒 | 御殿場の浅間神社ぜんぶまわる

5月に訪問していた西田中の浅間神社をUPしていないことに気づきました。

 
5月ですよ5月🎏

御殿場の田んぼに映る逆さ富士が見たいなーなんて思ってた5月です。

 


西田中の浅間神社の場所は大変わかりづらかったです。
深沢ほどではないですが、深沢は私が間違えてリストに入れていた小祠なので、
正規(?)の御殿場浅間神社15社の中で一番わかりづらかったのがここ西田中でした。
 
 
R246下り線のタイヤランドさん右手の細い道に
 

神社入り口の看板があります。
これを見つけられたらOKですが、見つけられないとかなり地獄です。
 
 

砂利道を行くとすぐに神社が見えてきます。
車を駐められるスペースもあります。






鳥居は東の田畑を向いてます。
 
参道はなくなってしまったのか、
神社の位置が変わってしまったのか。

5月の田園風景、和みます。








御殿場の神社にしては珍しく丁寧な由緒書き(すみません)

 
もとは芹澤氏の屋敷神だったそうです。
芹澤氏は茱萸沢(ぐみさわ)に居住していた土豪、将監は役職名です。

御殿場という地名の由来になった徳川家康のための御殿(現在の吾妻神社、御殿場高校一帯)
その造営の命を受けたのが芹澤将監でした。
 
それだけ地元で力を持っていた一族で、今でも御殿場市内には芹澤姓は大変多いです。
 

このあたりに芹澤氏の屋敷があって、祀られていた氏神が母乳にご利益があると評判になり、芹澤氏だけでなく地域の人々にも聖権現として崇拝されるようになったのでしょう。
(なぜ聖権現という名称なのかは不明)
 
明治に村社とするにあたり、権現だけだと仏教色が強く許可されないためコノハナサクヤヒメを合祀して浅間神社と改名したようです。


となると
浅間神社の隣に聖神社の名を並べたのは戦後に社格制度がなくなってからかな。

やっぱり地域の人たちには浅間神社という名称はピンと来てなかったのでしょうか。


御神木のシラカシ
 


こんなに空洞になってるのにお元気そうです
 


本榊の大木

榊は成長が遅くあまり大きく育たないので、こんなに背が高いのは珍しいと思います。
 
 
立派な記念碑

西田中というよりは栢の木地区というんですね。

社殿や狛犬など境内は平成30年に改築されたようです。
もともとが屋敷神ですから昔はもっとささやかな社だったのかもしれません。



御殿場の浅間神社ぜんぶまわる その14 なぜか深沢に導かれる

2024年05月24日 13時45分00秒 | 御殿場の浅間神社ぜんぶまわる
御殿場の浅間神社も14件め。
いよいよ残り少なくなってきました。




今回は深沢の浅間神社に向かったのですが
ちょっと…おかしな事象発生。

Googleマップには確かに神社は載ってるのですが、現地周囲どこを探しても神社に至る道が見つからない。
つまり神社に辿り着けない。

もしかしたらとYahoo!マップを開けると、
ありました!神社までの細い道。
どうもGoogleマップは細い路地なんかに弱いですよね。(ちなみにマピオンにも出てました)


Yahoo!マップが示す神社への参道?入口はここ。
案内板などないし、畑に繋がる私有地の道っぽくて不安。



でもいい雰囲気ではある



なんか先が開けてきた


競技場らしき広場の隣を通ります



突如田んぼ!美しい!
この時は田植え前でした



富士山も美しい!



おおぉ
鳥居が





なんとか浅間神社に到着できました


…ってあれ?



林の中に可愛い石祠が一つあるだけ


わたしは静岡神社庁に記載されている御殿場市内の浅間神社をまわっています。
調べたところ全部で16、リスト化して地図も作成してます。

でもこの深沢の浅間神社はどう見ても神社庁に載るほどの規模ではないんです。

その場で急遽確認したら
やはり神社庁には登録されていませんでした。


そういえば、最初に御殿場の浅間神社を書き出した時は15だったんです。

それがいつの間にか
地図作成の頃かな、神社庁には掲載されてないこの小さな浅間神社がリストに入り込んで16になってしまったみたいです。



自分がどこをどう調べてこの浅間神社をリストに加えたのか謎。

でもこれもきっと神様のお導きなのでしょう。
面白い参道(?)や素敵な景色を見せていただけて嬉しかったです。


以前にも神社庁に記載されてない浅間神社に偶然出会ったこともありますし、

まぁ、こういうのは全部お導きでOK!

御殿場の浅間神社ぜんぶまわる 番外編 - おだにゃら記

今回は番外編です。川柳の浅間神社に行った帰り、県道155沿いでこんな神社を見つけました。静かな県道155え?あれは?浅間神社じゃん!神社本庁に所属していない小規模な浅...

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深沢には明治に近隣の七社を合祀した七社神社という鎮守があります。

その中に浅間神も入ってますが、こちらの小さな浅間神社はおそらく個人宅の氏神だったと思われます。
由緒はもちろんわかりませんが、木々に守られた清浄な空気のもとで大切に祀られていることが窺えます。





後でわかったのですが、隣にある御殿場市東運動場(野球場)に駐車できれば浅間神社に難なく行けるんです。
この日は野球場も駐車場もクローズしてたので気づきませんでした。

さすが御殿場市、なかなか立派な野球場です。



駐車場の一角に古い建物が

赤い三角屋根がレトロで可愛らしい

昭和の公民館ってこんな感じだったような。





玄関先に説明板がありました。


大正、昭和期のキリスト教伝道師、賀川豊彦が全国に農民福音学校を建設。
キリスト教精神に基づいた地域農民対象の学校。

御殿場でも有志が賀川の援助のもと1931年(昭和6)に高根村に高根学園を創設。
その時の校舎がこの建物です。
1966年(昭和41)に東運動場敷地内に移築。
現在は賀川記念館として保存されていて、当時の農民福音学校の校舎が現存しているのは全国でここだけだそうです。



賀川豊彦のことも農民福音学校のことも全く知らなかったので
帰宅して調べて驚くことばかり。
もっと知りたくなってしまいました。
賀川さんってスゴい!


これもきっと
深沢の浅間の神様のお導きなのでしょうね。



御殿場の浅間神社ぜんぶまわる その13 大坂の湯立神楽

2024年05月01日 00時30分00秒 | 御殿場の浅間神社ぜんぶまわる
前回の神山のお隣、大坂の浅間神社です。


駿河志料によると
「大坂村は小村なので産土神である神明社の他に小祠も寺院もない」

なんだかひどい言われ様 笑


現在、この神明社は見当たらないし古地図でここ以外に神社はないので、名称が浅間神社に変わったのだと思われます。

神明社であれば天照大御神がいらっしゃるはずですが、
例によって静岡県の神社の祭神はわかりにくいですので、
合祀なのか末社があるのか等はまったくわかりません。



大坂浅間神社は県道155号線沿いにあります。



県道と高低差があるので運転注意です。
写真手前に数台とめれる駐車スペースあり。



畑の中に伸びる参道













大坂浅間神社では湯立神楽が行われており、沼田子之神社の湯立神楽とともに令和4年に国の無形民俗文化財に指定されています。

沼田と違って境内に由緒も湯立神楽のことも何も掲示されてないのでもったいなく感じます。


こちらのサイトから写真をお借りしました。






御殿場のお盆は7月23〜26日と時期が独特で「御厨盆」と呼ばれています。

大坂の湯立神楽は御厨盆明けの最初の土曜日に催されます。
今年だと7月27日ですね。


湯立神楽の詳しい説明はこちらで

しずおか文化財ナビ 沼田・大坂の湯立神楽(大坂の湯立神楽)|静岡県公式ホームページ

静岡県公式ホームページ

静岡県公式ホームページ

 








カタカタ音がする

と見回したらペットボトルの風車がありました。

かわいい。




御殿場の浅間神社ぜんぶまわる その12 神山 三社宮の謎

2024年04月09日 20時28分00秒 | 御殿場の浅間神社ぜんぶまわる
細々と続けてますマイ企画。

今回は神山の浅間神社。

神山は御殿場市の最南端、有名なホテル「時の栖」がある地区。
最寄り駅は裾野市の岩波駅になります。




ロマンチック街道を通り神山へ。


神山は御殿場中心地より標高が200mほど低いので高原の雰囲気はあまりありません。

普通の田園地帯が続いており見通しがよく、浅間神社もすぐ見つかりました。

絶対に迷いそうにないところです。





真新しい鳥居と玉垣は平成19年の竣工。

鳥居の位置が独特。
古地図を確認すると参道が県道394号方面へ伸びていたのではないかと。
となるとかつての鳥居は数十メートル先にあったのではと想像できます。



社殿の建物も変わってます。

扉下方につまみのついた引き戸があって
その中に賽銭箱がありました。

ギギギッと開けるのちょっと緊張。





石灯籠には三社宮と彫られています。

駿河記ではこの神社は「浅間辨天山神三社」と記載されており、
昔は浅間神と弁天と山神が合祀されていたのか別々にあったのかは不明ですが
名称はまとめて「三社宮」だったようです。



文政四年(1821)の頃は三社宮。

神仏分離で仏教色の強い弁天が外されて名称が浅間神社に変更されたのかな。

山神様はどうなったんだろう?
そのまま合祀されたのかな。
摂社等の社も見当たりません。


静岡県神社庁は祭神を記載しないし、
御殿場市は郷土史の資料が少ないので調べても調べても…わかりません。




境内も最近かなりの改変があったのか、石灯籠と社殿と手水石以外は何もありません。

求む狛犬的奉納品〜

玉垣は道路沿いだけであとはなんとなくの石積み程度。

風通しよいです。





社叢も少なめ。
まだ若い榊があちこちに。



雲がかかってますが富士山が見えます。


まあ
モヤモヤは残りますが、シンプルで開放的な境内は寂しいどころか清々しく心地よく
居心地のよい神社ではありました。