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* 朽の柿村のおイトばぁさん(060)
朽の柿村は、奈良県の新益京市から
3時間ばかりいったところにある山間の集落だ。
おイトばぁさんは、その村はずれに一人で住んでいる。
彼女と知り合ったのは、
バイクでツーリングに出掛けた帰りのことだった。
その時、山の中で、咽喉が乾いていた。
もちろん自動販売機などは見当らない。
最近はどんな山奥の中の小川といえど、
うっかり川の水などを口にすると、
とんでもない目に遭いそうだ。
どこで農薬をばらまいているかもしれない。
ヘリコプターで散布していることもある。
つづく
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地域の人は、放送や広報で知らされているが、
私のようにふらりと何百kmも離れた所から、
のこのことやってくる者には、何も知らされない。
まあロクに調べもせず、
やってゆく方が悪いと言えば悪いのだろう。
そんなわけでどんな山深くの川であっても、
手足を洗うに止めている。
ゆっくり走っていると、
広い庭に井戸のつるべがあるのが見えた。
山の中、それも井戸だったので、興味を覚えた。
そこで、立ち寄って水を飲ませてもらうことにした。
赤いつつじの垣がきれいに手入れされていた。
庭には砂利が敷き詰められ、鶏が数羽放し飼いにされている。
「こんにちわー」
つづく
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4~5回声を掛けたが、誰も出てこなかった。
奥の方で犬の吠え声が聞こえてくる。
薄暗い土間のかなり向こうには、裏山の緑が見えていた。
墨で掛かれた門札に歌の字だけが判読された。
新生活云々とかいう貼り紙が黄ばんでいる。
人が出てくる気配もなかったので、上を見上げると、
瓦には苔が生え、軒は波打っていた。
私は、タバコを取り出して吸った。
犬は鳴き止みそうな気配はなかった。
私は、気がひけたのだが、
どうしても井戸の水が飲みたかったので、
少し待つことにした。
玄関を開けたままだから、そう遠くにいってもいまい。
つづく
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私の趣味の一つに、バイクツーリングがある。
土曜日になると、一人でふらりと出掛けてゆく。
むろん日帰りである。
サタディ・ストローラー、
土曜日専用漂泊者とでも呼べばいいのだろうか。
週休も2日制が定着し、
その恩恵にあずかるようになってくると、
自然時間が余ってくる。
子供が小さい頃は、その休みを待ちかねて、
手ぐすねひいて待ってくれていたのだが、
中学生ともなると、お呼びでなくなった。
ということは、時間を持て余すようになる。
つづく
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7~8年も、子供の相手であちらこちらに出掛けていたのを、
止めてしまうと、結局は、
彼らが私の時間を潰してくれていたのかと
錯覚を起こしてしまった。
実際は、私の時間を子供たちに食われていたはずなのだが、
私もそれを義務のように思って、
子供の相手をするように自分で自分を制約していたのだろう。
子供が鼻も引っかけてくれなくなると、
あり余る時間を何かで塗りつぶさなければならない。
私は、ぢっとしているのが、嫌いなタイプである。
まあ大病にもかからないので、どちらかと言えば、
健康にも恵まれている部類に入るのだろう。
健康であれば、出歩きたくもなる。
つづく
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バイク・ツーリングは、
そんな私の性格にぴったりする趣味であった。
バイクは高校生の頃から乗っているので
違和感はあまり感じられなかった。
バイクの良さは、数えるといくらもあげられる。
また反面問題も多い。
バイクの持つマイナーな面ばかりに目を向けると、
これは決して誉められた趣味ではない。
しかし、いい面を見てやれば、
もうあばたもエクボに見えるほど
素晴らしい世界を展開してくれる文明の利器でもある。
プラスとマイナス、
私は、マイナス面に後ろ髪を引かれながら、
バイクと付き合っている。
つづく
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決して、全面的に肯定しているものではないのだが、
愛妻のあゆかは、そうは見てはくれない。
妻といえども、
この微妙な心理の動きは伝わらないのだろう。
{いい歳して、若者のように、バイクに乗って}と
いうような見方に支配されているようだ。
いつか、あゆかに免許を取らして、
二人でツーリングに出掛けるのが、
私の願いの一つでもある。
しかし、あゆかは、小馬鹿にして相手になろうともしてくれない。
私は、それはそれでよいと思っている。
夫婦で趣味など一致すれば、
喧嘩ばかりして対立するだろうなあとも思っている。
つづく
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同一趣味といえども、
その深さ、姿勢が一致するなどとは、
とうてい思えないからだ。
下手をすると、
逆に近親憎悪のようなものが
生まれるかもしれない。
あゆかは、クラシックが趣味でもある。
私は、音痴なものだから、
あんなものじっとして聞いていると、
イライラしてくるのだ。
つづく
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オーケストラなど、目にすると、
大の大人があんなに沢山、
あんな狭い場所で、
何を汗かいてやっているのだと思う。
しかし、その反面、
人と人との共同作業に憧れもする。
だが、私自身は、
一人でツーリングでもしている方が楽しいのだ。
人に合わせて、何かをするということは、
苦手でもある。
そんな性格が物事の見方を制してしまっている。
つづく
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しばらくしていると、
訝しそうな目つきをした年寄りが、
「何んか用かい?」と、声を掛けてきた。
私は、家の中から人が出てくるものばかりと
思い込んでいたものだから、
道路の方からの出現に意表をつかれた。
「咽喉が乾いたものですから、
井戸の水を飲ませていただきたいと思いまして」
つづく
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「そうか。咽喉が乾いているんかい。
しかしな、その井戸は飲料には不向きじゃ。
洗濯と泥落としぐらいにしか使ってないんじゃ。
こち来」
慣れて来ると、老婆は人なつっこい顔に変わった。
背は、私の肩より少し低かった。
頭に手ぬぐいを巻いて、鼠色の格子のエプロンをかけていた。
色黒いシワの平たい深い顔には、愛敬が漂っていた。
つづく
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「あの井戸の水、旨そうなんだけど・・・」
「表面はな。保健所の人が来て、検査したところ、
飲むには適してないということじゃよ。
何でも、この先の山上にあるゴルフ場の農薬が
沁みこんできていると言っていた。
夏は、冷たく、冬は暖かくて、
いい水だったんだけどなあ。
だんだん年が経つと、暮らしが便利になって、
いいことはいいんじゃが、
昔のいい所まで殺されてしもうた。
長生きするのも良し悪しじゃのう」
私は、冷えた麦茶を飲みながら、
玄関の上がりカマチに、そのばぁさんと腰を降ろして
話し込んでしまった。
つづく
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犬のヤツも、そんな私とばぁさんの
馴れ合いぶりをみて吠えなくなった。
ばぁさんは、おイトばぁさんと言った。
男の子が一人いるのだが、東京で就職して、
今は孫も二人になったという。
連れ合いは、5年ほど前にボケて、
谷底に落ちて亡くなったらしい。
東京へは、数年に一回顔を出すだけで、十分だ。
一人暮しは、決して人に勧められるものではないが、
コンクリに囲まれた団地暮しは、2日以上は、
ごめんをこうむりたいとも言った。
家には、猿の桃子と犬の猫助、
豚のデン子がいるので、淋しくはないという。
つづく
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犬に猫とは変わった名前の付け方をするばぁさんだ。
話を聞いていると、孫が赤ちゃんの
犬と猫の区別もつかなくて、つけたものらしい。
おイトばぁさんも、
目に入れても痛くないような孫の命名なので、
そのままにしているらしい。
ばぁさんの歳は71歳で、
年金収入と杉山が少しばかりと、
2反ほどの田をアテアゲにしているらしい。
アテアゲとは、米作りを一切他人にまかせて、
収穫した米の2割ばかりをもらう方式のようだ。
つづく
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収入は減るが反面、田圃づくりから開放されるので、
気楽になったとも言っていた。
杉の方は、枝落としに、その歳でも行っているらしい。
孫が大きくなった時、ばぁちゃんの育てた杉だよと
残してやるのが夢だとも語っていた。
その日、私は、小1時間ばかり居て別れた。
半年に一度ぐらいは、ツーリングで傍を通るので、
おイトばぁさんの姿が見えれば、寄ることをしている。
バイクも乗りっぱなしでいると、緊張して疲れる。
休憩するには、気の休まるところでもあった。
ばぁさんと話していると、ごみごみとした都会生活とは、
かけ離れた話になるから、私もホッとするのだ。
それから、数年経った頃である。
つづく
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私は、おイトばぁさんの所に寄った。
玄関が開いていたからである。
声を掛けると、猿の桃子が走り寄ってきた。
もう、3匹とは顔なじみである。
彼らは、ペット用のフードをお土産がわりに持っていって
やっているものだから、すっかり私を認めてくれているのだ。
桃子が、私の革ズボンをしきりと引っ張るので、
奥に入っていった。
おイトばぁさんが、布団に寝ていた。
犬の猫助と豚のデン子は、その傍で寝そべっていた。
私が傍へ行くと、2匹とも力なく頭をあげた。
つづく
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「おイトばぁちゃん、病気かい?」
「おうおう、これは休人はん、よう来てくれたのう。
変なヤツに捕まってしもうてな。このざまよ。何とも情けない」
うっすらと目尻に涙が滲んでいた。
「どこが悪いの」
「足腰をやられてしもうてなあ。寝たきりなんじゃよ」
「ええっ、いつから」
「もう2月にはなるかいな」
「医者には?」
「3日に一度は来てくれるが、あんなものでは治らんて」
つづく
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「ご飯や洗濯は?」
「みんながやってくれるのでな。助かるよ。
畜生でも、日頃から子供のように可愛がって
世話してやっていると、恩返ししてくれるんじゃのう。
ありがたいことじゃ」
おイトばぁさんは、手は動くので、メモを書けば、
犬の猫助が使い走りをするらしい。
下の世話は、豚のデン子にまかせている。
炊事は、猿の花子が受け持っているという。
息子も、近所の知らせで東京から帰ってきて、
病院に入ることを勧めたのだが、
ガンとして拒否してやった。
つづく
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病院などに入ると、余計に悪化しそうな気がする。
何人もの知り合いを見て、そう感じたらしい。
養老院の世話にもなりたくはない。
ここで、じっくりと病と戦いながら暮らしてみせる。
他人の手を煩わせたくはない。
私自身も、人の世話など御免を蒙る、
お相子でいいじゃないかと呟くように言った。
私は、それを聞いて、心の中で拍手を送った。
といって、私に出来ることと言えば、それぐらいである。
毎週訪ねてやりたいが、往復6時間も掛かるので、そうもいかない。
というより、それが義務化するなると、
これは私の重荷にもなる。
そういう真似は到底出来かねる。
2~3度ならまだしも、
常時となるとハタと考え込んでしまう。
つづく
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私の奥底には、どうしようもないほど、
冷たい血が流れているのだろうか。
しかし、おイトばぁさんは他人の、
いや自分の息子の手さえ借りようとはしないのだ。
私が、そういうことをするなど望んでもいないだろう。
逆に、そんなことされると、
ばぁさんは余計に気を悪くするであろう。
そういう事を望むなら、とっくに病院に入るか、
近所の世話になっているはずである。
ペットには、迷惑をかけるが、
どうせ彼らは他に取り柄もないのだ。
つづく
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単に人間の慰みものとなって、
ノホホンと寿命を尽きるよりも、
おイトばぁさんの役に立って感謝されながら、
生きる方が素晴らしいに違いない。
畜生といえども、心はある。
感謝の心で、日々接するばぁさんの気持ちが
伝わらないわけは無いのだ。
つづく
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私は、ばぁさんの中に人間の強さを見た。
何の変哲も無い山の中に埋もれた
一人の朽ち女に過ぎないが、
彼女の姿勢は現代に生きる人類の求めるべき姿勢でもあった。
と同時に畜生と呼ばれているモノとの限りない共存、
といっても、彼らが人間の意向を無視しては、
この地球では、生き延びることは出来ないのだ。
その畜生に与えられた生きがいというようなモノを
垣間見たように思った。
つづく
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もし、万一、ばぁさんが死んだりすれば、
後はどうなるのだろうという気がしないでもない。
けれども、おイトばぁさんは生きているのだ。
生き続けてゆくのだ。
根性を貫いて生きていれば、
また歩けるようになるかもしれない。
治るかもしれない。
いや、あの心がまえなら、
必ずや歩けるようにはなるだろう。
ずっと先の話になるのだが、
この世に、神や仏が居るものなら、
せめての慈悲として、
4者の寿命を同時に尽きさせてやって欲しいという、
願っても叶えられそうにもない願いを抱いて、
暗い夜道に、バイクを踏み入れた。
おわり