time is moneyとはよく言ったもんだ。
子供のころからその言葉は聞いていたけど、やっぱり大人になって仕事をするようになると意識が強くなってくる。でも、時間を意識せずに近くの公園で野球やサッカーを日が暮れるまでやっていたあの頃の時間感覚はどこへ行ってしまったのだろうか。
時代も変わるし人も変わる。まあ変わらない人もいるけど、それでも学んだことや時代の流れで変わっていくもんだろう。あのときこんなことを言っていた自分がいたけど、今思えば恥ずかしいことだなぁとかいう経験は誰にでもあるだろうし、私もそんなのたくさんある。自分はあまりにも幼かったと思えることで成長したと言えるのだろうか。
それは今現在にも言えることでもあるだろう。今、ブログに雑多なことを書いている私だが、数年後に自分で読み返したりしたときに、やはりあのときは小僧だったなぁと思うに違いない。私より色々な経験を積んでいる人から見れば、これもやっぱり「なんだこいつは、考えが足りんやつだなぁ」と思われることは避けられないんじゃないだろうか。
だからと言って書くことを止めることもないし、別に誰かに褒めてもらいたいだとか他人から見てどうのこうのを意識して書いているわけではないので問題はない。私にとってこのブログはただの記録であり、書くという作業でアウトプットして自分の行動や考えの輪郭をはっきりさせるための作業なのだろうと思っている。これは誰のためでもなく、自分のために書いていると言える。そう、こんな稚拙な文章でも少しは考えて書いているのだ。
紙に書く日記もいいだろうけど、ブログに書くことで不特定多数の人に読まれるという前提があるので、やはりそれも多少意識して書くことになる。だからある程度は人が読んでどう考えるかとか、読みやすい文章とはどんなものだろうかだとか、そんなことも考えることになるから自然と勉強になる。ブログはある程度定期的に更新しないと新鮮感がないし、更新されていないブログは、他人から見たら書くこと止めたのかと判断されかねないから、週1回とか少なくても月に1~2回とかは更新しなければ、著者は一体どうしたんだということになるだろう。
そういうこともあるので、やはり継続させるのがブログのひとつの特徴であり、これにより物事を続けるという継続力もつくようになる。終了や休止宣言などをするなら別として、そもそも、ブログのような簡単なものすら継続できないで一体何を継続できると言えるのだろうか。と、一応ブログを継続できているから少しは説得力があるはずの私が言ってみた。
私なんかは学が無いほうだから、自然と勉強をしたくなるのかもしれない。人は自分に無いものを欲するから、見方によっては、おそらくそういうことなんじゃないかとも考えられる。勉強と言っても、数学なんかを参考書片手にやるのは苦手だが、世の中にある多くのものに好奇心を持ち、少しでも疑問に感じたことは解決するようにしているし、それには勉強が必要だ。それには当然仕事に関係することもあるし、これが自分の役に立つのかと言われれば、すぐには役に立たないだろうといったこともある。
ブログを書くこと自体に疑問を投げかける人もいる。うん、書くも書かないもまったく自由であり、書きたければ書くわけだし、書く意義がないと思えば書かなければよく、何もブログを書く必要もないわけだ。しかし、ブログのような不特定多数に読まれるという前提のある場所に定期的に文章を書くという行為は、なるほど勉強になるなぁとたまに思う。time is money、つまり時は金なりと言うと、何か時間を無駄にしないために効率的に物事を運んだり時間の節約に努める姿を想像しがちだ。しかし、時間もかかり地道で面倒だと思われがちなブログを書くという行為は、自分へのフィードバックに大いに貢献する有意義な時間の使い方であり、結果としてtime is moneyに十分に合致しているものだと思うわけだ。
子供のころからその言葉は聞いていたけど、やっぱり大人になって仕事をするようになると意識が強くなってくる。でも、時間を意識せずに近くの公園で野球やサッカーを日が暮れるまでやっていたあの頃の時間感覚はどこへ行ってしまったのだろうか。
時代も変わるし人も変わる。まあ変わらない人もいるけど、それでも学んだことや時代の流れで変わっていくもんだろう。あのときこんなことを言っていた自分がいたけど、今思えば恥ずかしいことだなぁとかいう経験は誰にでもあるだろうし、私もそんなのたくさんある。自分はあまりにも幼かったと思えることで成長したと言えるのだろうか。
それは今現在にも言えることでもあるだろう。今、ブログに雑多なことを書いている私だが、数年後に自分で読み返したりしたときに、やはりあのときは小僧だったなぁと思うに違いない。私より色々な経験を積んでいる人から見れば、これもやっぱり「なんだこいつは、考えが足りんやつだなぁ」と思われることは避けられないんじゃないだろうか。
だからと言って書くことを止めることもないし、別に誰かに褒めてもらいたいだとか他人から見てどうのこうのを意識して書いているわけではないので問題はない。私にとってこのブログはただの記録であり、書くという作業でアウトプットして自分の行動や考えの輪郭をはっきりさせるための作業なのだろうと思っている。これは誰のためでもなく、自分のために書いていると言える。そう、こんな稚拙な文章でも少しは考えて書いているのだ。
紙に書く日記もいいだろうけど、ブログに書くことで不特定多数の人に読まれるという前提があるので、やはりそれも多少意識して書くことになる。だからある程度は人が読んでどう考えるかとか、読みやすい文章とはどんなものだろうかだとか、そんなことも考えることになるから自然と勉強になる。ブログはある程度定期的に更新しないと新鮮感がないし、更新されていないブログは、他人から見たら書くこと止めたのかと判断されかねないから、週1回とか少なくても月に1~2回とかは更新しなければ、著者は一体どうしたんだということになるだろう。
そういうこともあるので、やはり継続させるのがブログのひとつの特徴であり、これにより物事を続けるという継続力もつくようになる。終了や休止宣言などをするなら別として、そもそも、ブログのような簡単なものすら継続できないで一体何を継続できると言えるのだろうか。と、一応ブログを継続できているから少しは説得力があるはずの私が言ってみた。
私なんかは学が無いほうだから、自然と勉強をしたくなるのかもしれない。人は自分に無いものを欲するから、見方によっては、おそらくそういうことなんじゃないかとも考えられる。勉強と言っても、数学なんかを参考書片手にやるのは苦手だが、世の中にある多くのものに好奇心を持ち、少しでも疑問に感じたことは解決するようにしているし、それには勉強が必要だ。それには当然仕事に関係することもあるし、これが自分の役に立つのかと言われれば、すぐには役に立たないだろうといったこともある。
ブログを書くこと自体に疑問を投げかける人もいる。うん、書くも書かないもまったく自由であり、書きたければ書くわけだし、書く意義がないと思えば書かなければよく、何もブログを書く必要もないわけだ。しかし、ブログのような不特定多数に読まれるという前提のある場所に定期的に文章を書くという行為は、なるほど勉強になるなぁとたまに思う。time is money、つまり時は金なりと言うと、何か時間を無駄にしないために効率的に物事を運んだり時間の節約に努める姿を想像しがちだ。しかし、時間もかかり地道で面倒だと思われがちなブログを書くという行為は、自分へのフィードバックに大いに貢献する有意義な時間の使い方であり、結果としてtime is moneyに十分に合致しているものだと思うわけだ。
「備忘録」にもなりますよね。
僕の日記は実はほぼ「備忘録」を目的として
書いています。何せ記憶力が悪いもんで。。。(^ ^;)でもその日記が今では大いに
役立っています。また不特定多数ではない方に
コメントを寄せてもらってますが、不特定多数ではないので、コメントを寄せる側も茶化す事ができず、みな真面目なコメントを寄せてくれますので、勉強にもなりますし、正確な
情報交換にもなります。「全体公開」も中には
真面目にコメントを寄せる方もいますが、
中には自分の欲求不満のはけ口として
コメントする輩もいますので、
「面倒くさいヤツを相手にする」という
リスクが伴いますね。
上海に来てから始めたブログが3年近く経っていますが、やはり中には匿名性を利用した一方的なコメントもいくつかありましたね。匿名を保つのはいいんですが、面と向かっても言える程度にしておいたほうがご本人のためだと思っています。