「人間には時々ふと立ち止まって考える時間が必要だ。そしてそれができるのは人間だけなんだ。」
だからふと立ち止まって考えてみる。
28年、生きてきた。
「もう」なのか。
「まだ」なのか。
それは分からない。
幼少期には、特発性拡張型心筋症を患い、大きな病院での治療のために、九州から関東へ引っ越した。
小学4年のときに長期入院をして、治療に専念した。
症状は治まり、普通に生活するのには支障はなかった。
中学入学。
めずらしいという理由でハンドボール部に入部した。
勉強と部活と、充実してた。
高校受験も無事に終わり、感慨深い様子で卒業。
高校入学。
特に部活には入らず、帰宅部。
よく放課後や休日に友人と遊んだ。
勉強熱心だったかと言えば、そうでもない。
テスト前日に一夜漬け。
そんな勉強方法。
それでもそれなりの成績を残して、大学受験。
一般公募推薦にて、大学合格。
あまり感慨深くもなく、卒業。
大学入学。
テニスが好きだった。
ナブラチロワが好きだった。
入学後、しばらくサークルには入らなかったが、友人の勧めもあり、テニスサークルに入った。
ルールは熟知していた。
初めてのテニス。
ホームランばっかりだった。
それでもゲームができるぐらいにはなった。
今でもたまに友人とテニスはやる。
勉強はというと、講義をよくサボった。
それでも単位はちゃんと取れて「優」が多かった。
試験前になると、図書館のコピー機には行列ができた。
みんな考えることは一緒だった。
私は自分のノートだけが頼りだった。
大学2年には漢字検定2級を取得。
何かに必死になりたくて猛勉強して取得した。
講義が終わると、夕方から夜20時までテニス。
そんな日々を過ごしていた。
恋もした。
淡い恋。
勉強にサークルに恋に一生懸命だった。
ただの青年だった。
人の出会いが一番多かった時代。
今でも交流がある人が多い。
人生に大きく係わってくる人にも出会った。
大学時代が一番大きい影響を受けた。
一番光り輝いていたような気がする。
あっという間の4年間。
しかし、最後の最後に運命を変えることが起きた。
卒業式の翌日から、彼女(妻)との交際が始まった。
卒業後、私の進路はと言うと、公務員受験をするため浪人。
警察官を目指していた。
ある人には「似合わない」と言われた。
優しいゆうには法で人を取り締まるのは似合わないと。
さよか。
彼女(妻)は地元静岡での就職。
遠距離恋愛が始まった。
1年間。
公務員受験、頑張ってみたけど、結局だめだった。
ただ、その1年の間で、目標が変わっていた。
結婚。
彼女(妻)は鬱病だった。
とても重いものだった。
何度も入退院を繰り返し、仕事も辞めざる得なかった。
私は何度も静岡へ通った。
「1日でも早く、近くで支えたい。」
それが目標になっていた。
私はやがて中小企業に就職。
働いて、ひたすら貯金をして、婚約指輪を買って、結納をして、東京で一緒に暮らし始めた。
彼女(妻)の鬱の症状も寛解《かんかい》(症状が、一時的あるいは継続的に軽減した状態。または見かけ上消滅した状態。)していた。
「消費しているだけじゃ嫌だ。私も働きたいんだ。」
と言って、彼女(妻)は働き始めた。
こうして二人の生活が始まった。
朝は私より早く起きて、弁当を作ってくれた。
小さくてとてもかわいい弁当箱だった。
私はそれをとても喜んだ。
仕事から帰ると、彼女(妻)は、料理の本を見ながら、夜ご飯を作ってくれていた。
慣れない料理で包丁で指を切ったこともあった。
それでも喜んでくれるからと、お弁当に加え、夜ご飯も作ってくれた。
料理はだんだんうまくなっていった。
仕事の疲れやストレスなど、どこかへ飛んでいってしまうくらいに幸せを感じた。
ただ、彼女(妻)は少しずつ体調が悪くなっていった。
引越による環境の変化、慣れない家事、始めた仕事、結婚式の準備・・・
それらが鬱を再発させた。
一緒に近くの心療内科を探して、そこに通っていた。
薬で鬱を抑えながらの生活。
彼女(妻)はだんだん動けなくなっていった。
私はできる限りのことをした。
仕事から帰ってきてから、掃除、洗濯、食事の支度。
そしてできるだけ彼女(妻)の傍にいた。
体調をだましだましの生活。
そんな中でも結婚式の準備は進み、
2004年3月27日、結婚。
同年4月1日、婚姻届提出。
「エイプリルフールに提出だなんて、嘘じゃないよね?」
妻はそんなこと言っていた。
しかし、結婚式直後から、妻の鬱は顕著に現れ始めた。
まるで結婚がゴールだったかのように、体調が崩れた。
結婚式から1週間後、妻は入院を余儀なくされた。
自傷行為、自殺衝動・・・
再度、鬱との闘病生活が始まった。
面会に何度も足を運んだ。
妻は私が行く度にうれしそうな顔をしていた。
帰るときは、手を握り、寂しそうな顔をして、離さなかった。
入院して1ヶ月ほどすると、外泊許可も出た。
私の休みの日に合わせて、アパートへ帰ってきて、貴重な時間を過ごした。
症状はだんだんよくなっていった。
その様子は医師でない私にも見てとれた。
入院して2ヶ月半ほどすると、大学友人の結婚式にも私と一緒に参加。
出かける体力も少しずつ回復していた。
その約2週間後。
外泊許可を得て、帰ってきてアパートに泊まり、次の日、病院へと送っていった。
いつもの外泊と変わりない様子だった。
病院から帰るとき、手を握り、寂しそうな顔をして離さない。
私は両手を添えて、
「来週、また来るから。」
と言った。
「うん。」
と妻はうなずいた。
それが私と妻の最期の会話だった。
帰宅後、夜になってから、携帯に電話がかかってきた。
病院からだった。
電話をとる前に時計を見たら、夜22時だった。
何か起こった!
瞬時に最悪を察知した。
あわてて電話に出た。
「あ、ゆう様ですか?○○病院の○○と言いますが・・・」
院長からだった。
「奥様が心肺停止状態で発見されて、現在心肺蘇生をしています。救急車を呼んで待機中です。搬送先の病院が分かり次第、またご連絡いたします。」
最悪は最悪だった。
一気に涙が溢れてきた。
泣き叫びながら、言葉にならない言葉で、院長にたったひとつだけお願いをした。
「助けてください!助けてください!助けてください!・・・」
何度も同じ言葉を繰り返していた。
電話を切って、泣きながら妻の名前を叫び続けた。
恐れていたことが起こってしまった。
すぐに妻のお父さんに電話をした。
何てしゃべったか覚えていない。
完全にパニックになっていた。
ただ、何が起こったのか、そして現状を伝えた。
「今から向かうから。」
そう言ってくれた。
静岡からすぐに向かうと言ってくれたのだ。
続いて私の両親に電話をした。
泣き叫びパニックになっている私に、
「落ち着きなさい!今からそっちに向かうから。」
「わかった。」
しばらくして病院から電話がきた。
「搬送先の病院は○○病院です。心肺蘇生を続けています。」
最初の電話から1時間以上が経過していた。
心肺蘇生での救命率は10分が限度。
救命技能を持っていた私はもう結果を知っていた。
電話を切って、まもなく私の母親がアパートに到着。
すぐに搬送先の病院へ向かう。
向かう車の中では、ただ事故を起こさず、到着することだけを考えた。
数十分後、搬送先の病院に到着。
看護師に案内され、救命室へ入る。
妻が横たわっていた。
心肺蘇生がまだ続けられていた。
この時、最初の電話から2時間が経過。
妻の口には酸素マスク、鼻には管が装着されていた。
心肺蘇生の際、心臓を押す度に、その管から血が流れ込んでくる。
見るに耐えなかった。
すぐに救命室を出た。
どうしようもなかった。
何が起こっているのか。
どうしてこんなことになったのか。
何故、私と妻はこんなところにいるのか。
わけがわからなかった。
ただ、妻がもう助からないということだけが、どこかでわかっていた。
救命室の外で呆然と立ち尽くす私に、出てきた医師が伝えた。
「心肺蘇生を続けてきましたが・・・まだ続けますか?・・・」
私は泣きながら、必死に声を絞り出した。
「もういいです・・・」
また涙が溢れ出した。
私は医師に支えられながら、妻のもとへと案内された。
まるで眠っているかのようだった。
いつものように、手を頬に寄せた。
冷たかった。
魂の抜け殻。
それは体温じゃなかった。
唇は紫色になっていた。
認めざるを得なかった。
死を。
泣き崩れる私に看護師がこう言った。
「指輪は外されますか?」
死後硬直が始まるからだと言う。
「外してください・・・」
そう言って外してもらった。
その結婚指輪を見てまた泣いた。
サイズが小さくて、私の指では小指にしか入らなかった。
左手小指にはめて、握り締めた。
救命室を出て、外の椅子に座り込んで泣き崩れた。
すごく悔しかった。
何もできなかった自分が。
本当に無力な自分が。
なんで救えなかったんだろう。
なんで・・・なんで・・・
目に映るものが悪夢に見えた。
母に連れられ、実家へ帰宅した。
父に、
「眠れるときに寝とけ」
とだけ言われた。
布団に入っても泣いていた。
泣きすぎて、ボーっとしてきて、夢の中にいるようだった。
おかしい状態だった。
やがて夜が明けた。
早朝、妻のお父さんが到着した。
朝の8時に、妻が安置されている昨日の病院へと向かった。
しばらく待たされて、霊安室にて、再会。
顔にかけられていたカーゼを静かにとった瞬間、
そこにいた全員が泣き崩れた。
嗚咽を止められず、ただ、ただ、泣いた。
誰もが辛かったが、妻のお父さんが一層辛かっただろう。
妻のお母さんは、私と妻が大学3年の時に病気で亡くなっていたからだ。
妻のお父さんは、自分の奥さんだけじゃなくて、娘までも亡くしたのだ。
どれだけ悲しかったことだろう。
そこにいた妻はきれいな顔をしていた。
本当に眠っているかのようだった。
すぐにでも起きてきそうな感じだったが、二度と目覚めることはなかった。
享年25歳
結婚して3ヶ月後のことだった。
・・・続く・・・