最近、ため息が多くなった気がする。
考えても考えても、答えが出ないので、やがて考えるのをやめた。
7年前、身体は冷たくなっていた。
頬に手で触れて、あり得ない体温だった。
触れた瞬間に、感じた。
あぁ、ここにはもういない。
大粒の涙が溢れた。
2004年6月25日、都内病院にて、死体検案が行われた。
監察医の報告によれば、縊死(いし)。
心肺停止の連絡から、病院到着の連絡の間、3~4時間。
近くにERもあったのだが、救急車が着いた病院は、ERより近かった小さな病院だった。
おそらく、多数の病院に断られたのだろう。
タクシーでワンメーターの距離だ。
数時間前に会話を交わしたのに、その時は冷たくなっていた。
もし、あの時、入院したのが、静岡の病院だったなら?
もし、あの時、AEDがあったなら?
もし、あの時、自分が医者だったなら?
もし、あの時、コウシテイレバ・・・
もし、あの時、
答えなんてあるわけねぇ・・・
人生に「もし」は無い。
だけど、失ったものが大きく、多かった。
できることは全てやった。
病気を治すための入院だった。
治って戻ってくれることを願っていた。
だが、叶わなかった。
人生のほとんどを病気に苦しんだ。
きっとそれから解放されたのだ。
そう願うしかなかった。
2004年6月25日から、人生は変わった。
俗世間に疎ましさすら感じる。
何も期待していないし、私に何も期待するな。
そう思うことが多くなった。
残された時間をどう生きるか。
深く考えるようになった。
だから、言葉の端々に、隠居という文字が出てくる。
期待されるほど、大した人間でもないしな。
重要なのは、納得だ。
納得できれば、悪くはない。
ただ、周りの友人らには、こう言える。
「未来を創れ」
考えても考えても、答えが出ないので、やがて考えるのをやめた。
7年前、身体は冷たくなっていた。
頬に手で触れて、あり得ない体温だった。
触れた瞬間に、感じた。
あぁ、ここにはもういない。
大粒の涙が溢れた。
2004年6月25日、都内病院にて、死体検案が行われた。
監察医の報告によれば、縊死(いし)。
心肺停止の連絡から、病院到着の連絡の間、3~4時間。
近くにERもあったのだが、救急車が着いた病院は、ERより近かった小さな病院だった。
おそらく、多数の病院に断られたのだろう。
タクシーでワンメーターの距離だ。
数時間前に会話を交わしたのに、その時は冷たくなっていた。
もし、あの時、入院したのが、静岡の病院だったなら?
もし、あの時、AEDがあったなら?
もし、あの時、自分が医者だったなら?
もし、あの時、コウシテイレバ・・・
もし、あの時、
答えなんてあるわけねぇ・・・
人生に「もし」は無い。
だけど、失ったものが大きく、多かった。
できることは全てやった。
病気を治すための入院だった。
治って戻ってくれることを願っていた。
だが、叶わなかった。
人生のほとんどを病気に苦しんだ。
きっとそれから解放されたのだ。
そう願うしかなかった。
2004年6月25日から、人生は変わった。
俗世間に疎ましさすら感じる。
何も期待していないし、私に何も期待するな。
そう思うことが多くなった。
残された時間をどう生きるか。
深く考えるようになった。
だから、言葉の端々に、隠居という文字が出てくる。
期待されるほど、大した人間でもないしな。
重要なのは、納得だ。
納得できれば、悪くはない。
ただ、周りの友人らには、こう言える。
「未来を創れ」