トロッコが線路に沿って走っている最中、制御が利かなくなった。このままでは線路の上に立っている5人がトロッコに轢き殺されてしまう。そこでトロッコを別路線に引き込んで5人を助けたいが、この場合別路線に立っている別の1人がトロッコに轢き殺されてしまう。トロッコを別路線に引き込むべきであろうか?
つまり5人を助ける為に他の1人を殺してもよいか、という問題であるといえる。
いつだったか、私も、
『神』の領域として、似たようなことをここに書いた。
結局、この手の問題には、答えはないのである。
だけども、考えてしまう。
いつか、そういう状況に置かれたら、自分がどういう判断をするのか。
考える。
どちらかを選ばなくてはならない事態に遭遇したときを想定する。
「緊急避難」という話を聞いたことあるだろうか?
「カルネアデスの板」という言葉の方が有名かもしれない。
舞台は紀元前2世紀のギリシア。一隻の船が難破し、乗組員は全員海に投げ出された。一人の男が命からがら、一片の板切れにすがりついた。するとそこへもう一人、同じ板につかまろうとする者が現れた。しかし、二人がつかまれば板そのものが沈んでしまうと考えた男は、後から来た者を突き飛ばして水死させてしまった。その後救助された男は殺人の罪で裁判にかけられたが、罪に問われなかった。
まあ、とんでもない話さ。
医療の現場では、トリアージなんて言葉もある。
トリアージとは、人材・資源の制約の著しい災害医療において、最善の救命効果を得るために、多数の傷病者を重症度と緊急性によって分別し、治療の優先度を決定すること。
命が危ない人と、骨が折れてる人。
どっちを優先するかと言われれば、命が危ない人が優先されるだろう。
骨が折れてても、重傷なんだけど、重体ではないから。
答えの無いことを考えるのは、極力避けたいところだが・・・。
生きてると、そういうこともあるわけで・・・。